世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1408

中国の新経済と米中貿易戦争

岩本武和

(京都大学公共政策大学院/経済学研究科 教授)

2019.07.08

 「新常態」とは,一般に,中国経済が高度成長期から安定成長期という段階に入っていることを示し,端的に言えば「中国経済の減速」を表す言葉である。習近平国家主席が,2014年5月に河南省を視察した際,「我が国は依然として重要な戦略的チャンス期にあり,自信を持ち,現在の経済発展段階の特徴を生かし,新常態に適応し,戦略的平常心を保つ必要がある」と語ったことに由来する。

 中国の実質GDP成長率は,ピーク時であるリーマン・ショック直前の2007年の14.20%から,最新の2018年では6.76%へと半分以下になっている。経常収支黒字の対GDP比は,経済成長率と同様に,ピーク時であるリーマン・ショック直前の2007年の9.89%から,最新の2018年では何と0.37%へと急減している。驚くべきは,国際通貨基金(IMF)が今年4月に公表した『世界経済見通し』で,3年後の2022年に中国の経常収支が赤字化し,その額も66億ドルになると予測したことである。

 これまで中国は,経常収支の黒字と金融収支の黒字(資本流入)という双子の黒字(双順差)によって,外貨準備高は大幅な増加を続けてきた。ところが,2014年の3.8兆ドルをピークに減少を始めたのである。

 経常収支の黒字幅が減少しても,資本流入(金融収支の黒字)が続いている限り,外貨準備の増加は続くはずである。中国の金融収支を,外貨準備を除き,誤差脱漏を含んだもので考えると,外貨準備が減少し始めた2014年から,中国から大幅な資本流出(金融収支の赤字)が続いているのである。これらに伴い,人民元も元安傾向が続いている。

 確かに,このようなマクロ経済指標からみると,「中国経済の減速」を確認できる。他方で,習近平が「新常態」を語った4ヶ月後の2014年9月に,天津市で開催された夏季ダボス会議(テーマは「イノベーションによる価値創造の推進」)において,李克強首相は「双創」の構想を提起した。「双創」とは,「大衆創業・万衆創新」の略称であり,創業とは起業,創新とはイノベーションを指し,「大衆による起業・万民によるイノベーション」の意味である。

 いま中国(の都会)を訪れる日本人で,「減速する中国経済」を実感できる人は少なく,多くはその活気に圧倒され,特に「現金」を見る機会がほとんどなく,コンビニはおろか,タクシーや屋台まで全てがスマホ決済になっていることで,彼我の違いに愕然とするはずである。

 「世界の工場」として君臨してきた中国は,今日人件費の高騰など生産要素価格の上昇によって,経済成長の原動力を要素投入の拡大から,イノベーションによる生産性の向上へと切り替えた。とりわけ,デジタル・イノベーションの加速を目指して,多くの中国企業は,自ら研究開発に積極的に取り組むようになった。さらに,イノベーション・プラットフォームを作り,深圳などへの地域集積を行ってきた。アリババやファーウェイなど,ハイテク企業が急成長し,イノベーションが,産業高度化の原動力になってきたあるのである。

 現在の中国は,マクロ経済指標の悪化に見られる「新常態」(中国経済の減速)と,デジタル・イノベーションの加速化による「新経済」(生産性の上昇)という2つの側面からフォローする必要がある。

 制裁・報復の応酬が繰り返されてきた米中貿易戦争の本質は,貿易摩擦や為替切下げ競争でなく,デジタル・イノベーションを巡る覇権争いにある。それは国家安全保障の分野にまで波及している。われわれは,スマートフォンでSNSやキャッシュレス決済のサービスを受け取る対価として,膨大な個人情報を手渡している。問題は,こうした民間で蓄積された膨大なデータに対する政府機関のアクセス・ルールや,ハイテク企業の情報開示ルールなど,「第4次産業革命」に対応できる政府間での合意や貿易ルールがないままでの技術覇権争いということにある。2019年6月のG20大阪サミットで日本が提案した「大阪トラック」が,こうしたルール作りの第一歩となるかもしれない。

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