世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1326
世界経済評論IMPACT No.1326

英国の米穀市場にみる移民のプレゼンス

高橋 塁

(東海大学政治経済学部 准教授)

2019.04.01

英国における米穀需要の増加

 近年,英国の米穀需要が拡大している。英国のRice Associationによると1970年代からの英国における米穀消費は現在まで450%増加している。またFAOのデータによれば,英国の米穀輸入は1961年の9万9,557トンから2016年の54万7,083トン(いずれも精米ベース)へと約5.5倍も拡大している。他方,英国では小麦や芋が食卓の中心となってきたが,家計のパン購入は徐々に減少している(2016/2017年版Family Food Surveyによると2013年から2016/17年まで12%減少)。こうした英国での米穀需要の高まりは,グルテンフリー食材としてのコメへの関心の高まりなど,様々な要因が考えられるが,ここでは英国における米穀需要が移民によって支えられている側面を検討したい。

欧州における米穀産業発展の歴史

 欧州では一般にコメは主食とならないが,コメと欧州との関わりは古い。紀元前4世紀のアレキサンダー大王による東方遠征時にはすでにコメは欧州に知られており,古代ローマやギリシャでは薬としても珍重されていた。特に欧州の稲作は7〜8世紀のイスラム勢力による地中海侵攻,例えばムーア人のイベリア半島侵攻によりスペインに稲作がもたらされたことはよく知られている。またフェルナン・ブローデルの名著『地中海』にも記述があるように,その後イタリアのピエモンテ,ロンバルディアなどポー川上流の肥沃地帯でも稲作が行われ,コメが流通するようになった。英国については,東インド会社によるアジアとの交易やアジア屈指のコメ生産・輸出地域であったビルマやインドを植民地として統治したことが英国の米穀市場発展に寄与したといえる。

 さらに19世紀末には,ダグラス・グラントやヘンリー・サイモンなど蒸気機関や小麦の製粉技術を所有していた英国企業が白米生産を可能にする近代精米機を開発し,アジアに導入した(臼杵での伝統的な精米技術では完全な精白は不可能)。これはコメの輸出商品としての価値を高め,国際米穀市場の発展にも貢献することとなった。こうした近代精米機の開発と普及は,米穀市場を通した評価をうけなければ難しいので,英国が欧州内外の米穀市場にある程度統合されていたことが窺える。実際,19世紀末から20世紀にかけて,ロンドンやリバプールでは,ビルマや他のアジア地域からの輸入米が再精米され(ときにglazed riceとよばれる油,糖蜜などを米粒に塗布する処理がなされ),西アフリカ,西インド諸島などのプランテーション労働者などに再輸出されていた。他方,英国内では小麦の不作時としての利用や中間層以下の人々の限定的需要に供された。したがってかつての英国米穀市場は国際的なコメ交易のもとで成り立つものであったといえよう。

移民によって支えられる英国の米穀市場

 しかし現在の英国の米穀市場はかつてと様相が異なる。前述のRice Associationによれば,購入されている米のうち半数は,南アジアの香り米として名高いバスマティ(Basmati)が占め,それ以外の長粒種がそれに続く。バスマティは現在,インド産が73%,パキスタン産が27%となっている。英国での米の用途は,小売が32%,食品加工用29%,ケータリング25%,輸出13%である。英国には多くのインド料理店や中華料理店があり,近年では日本料理に対する関心も高いので,ケータリング向けが全体の4分の1を占めるのは首肯できる。小売,加工食品については,家計消費分が相当あると思われる。かつて再輸出が多かった英国のコメが,現在は国内消費だけで9割近くになっていることは興味深い。

 英国における米需要の伸びと国内消費が大部分を占める現状の背景には何があるのか。英国国家統計局による2017年の英国年央人口推計は6,600万人で,これまでの最多となり,1998年以降は移民の増加が人口増の主要因とされている(2017年の純移動は約28万2,000人)。こうした移民には,米食の豊かな食文化を持つ中東からのムスリムの人々や南アジアからの人々も多く含まれる。例えばロンドンでも北西部のEdgware Road等,中東移民が多く住む地域の食料雑貨店に入ると,エジプト米やインドのパンジャーブ産バスマティなど多様な米が入手できる。またロンドン中心部Soho地区の中華街では,タイのカーオホームマリなども売られ,英国のコメ需要が移民の人々に支えられている一端が容易に垣間見える。かつて英国の米穀市場は,国際的なコメの流通・交易,換言すればコメという商品,モノの国際的移動により維持発展してきた。これに対し,現在は移民という国際的なヒトの移動によって担われているといえよう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1326.html)

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