世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1289

19世紀型グローバル・エコノミーと現下のグローバル・エコノミー

宮川典之

(岐阜聖徳学園大学教育学部 教授)

2019.02.25

 本コラムでは,題目に提示したふたつのグローバル・エコノミーが,どのような側面で似通っていて,どのような側面で異なっているのかを明らかにすることによって,今後の国際社会を観るための一種の枠組みもしくは指針を提供することを主たる目的としたい。

 さて19世紀はいうまでもなく,パックス・ブリタニカ(イギリスによる世界支配)の時代である。おそらくその主たる要因は18世紀後半から19世紀初期にかけて達成された産業革命に求められるであろう。近年では,史家のあいだではオランダの経済史家ヤン・ド・フリースによって定式化された「勤勉革命」とセットで考えられるようにもなっている。ともあれ内外のさまざまな要因により,このふたつの革命が成就したのだが,ナポレオン戦争(1815)に勝利したイギリスは,ウォーラーステイン流にいうなら,中核国たる自国を世界の工場として位置づけるとともに,残余世界を周辺地域として位置づけ,一次産品供給地としての歴史的役割を担わせた。一次産品供給地としての役割は,当時の大陸ヨーロッパ主要国やアメリカ合衆国ですら例外ではなかった。たとえばドイツは穀物を,アメリカはタバコや綿花を主に輸出した(ただしこれら2国は,19世紀後半には新興工業国として台頭する)。そしてこの日本ですらペリー来航を契機に,生糸や茶を輸出したのだった。つまり19世紀は,イギリス中心の自由貿易体制の時代であった。いうまでもなくその根底に流れる経済思想は,アダム・スミス,デイヴィッド・リカード,およびジョン・スチュアート・ミルの路線で展開された自由貿易主義であった。しかも象徴的なことに,中核国のイギリスにおいて,重商主義の残滓たる穀物法と航海法が19世紀半ばに撤廃されたのだった。

 すでにイギリス東インド会社によって植民地化されていたインドは,イギリス本国の発展のための後背地としての役割を果たし,かつてこの国が得意としていた綿布(キャラコ)は,イギリスの機械制大工業の生産システムを通じて生産された綿織物によって取って代わられたし,中国までもアヘン戦争(1840−42)のイギリス側の勝利によって半植民地化された。これらの国はイギリス本国により,租税を徴収されただけでなく,当時の日本と同様に不平等条約(治外法権と関税の自主権の欠如)を押しつけられたのだった。インドは,綿花や茶といった一次産品供給地としての役割を担わされた。中国(当時は清王朝)はさらに悲惨であった。19世紀末には後発国としての近代国家をめざしていた日本と闘うこととなった日清戦争(1894−95)にも敗れ,17世紀のイギリスの政治思想家ホッブズのいう野蛮が跋扈する自然状態が日常となる。

 20世紀になると,世界の中核国がイギリスからアメリカへと代わる。つまり覇権国家が入れ替わったわけだ。19世紀の先端技術が投影されていたのは蒸気機関車と蒸気船であったし,主要燃料として石炭が使われた。ところがアメリカが中核国となると,主要産業は自動車産業となる。新たな生産システムは,フォードのT型車に代表される連続流れ作業組み立てライン方式である。いうなれば19世紀を代表するベストプラクティス生産システムは大きな工場の中で新規に発明された機械と労働とを合理的に組み合わせた要素結合による機械制大工業だったが,20世紀には規格化された部品を連続的に組み立てて完成品を大量に生産する方式に取って代わられたのだった。

 企業の組織の在り方も変容する。つまり所有と経営の分離が現実化する。シュンペーター流の言い方をするなら,19世紀のイギリス方式はすでに旧式であり,創造的破壊のプロセスが進行することとなる。

 さらにグローバルな視点からみると,19世紀も現在も国境を越えた生産要素移動は同じである。すなわち資本も労働も国境を越えて移動したし,いまもまさしくそうである。ではどこが違うのか。この問いに対する解答は次のようになろう。つまり19世紀の移動は,資本面においては,イギリスを中心とした資本輸出であり,イギリスマネーが主に英語圏――南北アメリカ,オーストラレーシア,インド,および南アフリカ――における鉄道敷設や運河建設などのインフラ向け投資(主に証券投資)に使われた。そして20世紀半ばから現在にかけてのそれは,企業の多国籍化をともなう海外直接投資に向けられた。しかも現下のそれはM&Aを含意し,その背景はIT革命および金融派生商品に代表されるイノヴェーションである。しかもおもしろいことに,いまや新興国は中国とインドなのだ。

 では労働移動についてはどうだろうか。19世紀はプランテーションや鉱山開発向けの強制ないしは半強制移民――アフリカ系もしくは中国人,インド人,日本人などのアジア系――であったし,ヨーロッパ系は自由移民であった。ではいまはというと,先進国からは対外直接投資にともない駐在員の海外赴任であり,途上国や新興国からは外国人労働者の形となる。かくしてかつてのグローバル・エコノミーと現下のそれとでは,要素移動は同じでもその内容は根本的に異なっている。

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