世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3638
世界経済評論IMPACT No.3638

2024年度ノーベル経済学賞と「開発論」

宮川典之

(岐阜聖徳学園大学 教授)

2024.12.02

 2024年度ノーベル経済学賞は,ダロン・アセモグルとサイモン・ジョンソン,およびジェームス・ロビンソンの3人に与えられることとなった。すでに各方面から慶賀の声が寄せられているが,かれらの業績は「開発論」と大いに関係しているので,私なりの所見をここで述べておこうと思う。なおかれらの開発論は,2019年度ノーベル経済学賞を与えられたアビジット・バナジーとエステル・デュフロによれば“AJR”として知られている。

 かれらは経済学の系譜としては,ロナルド・コースやダグラス・ノースの流れをくむ米国新制度学派に属する。現在の多くの経済学者と同様に私も,10年以上前からかれらの業績に注目していた。おそらく最初にかれらのオリジナルとして脚光を浴びたものは,2001年に著された共著論文であろう。それから10年後に,それを平易なナラティヴの形で一般向けに公にしたのが『国家はなぜ衰退するのか』(邦訳は上下2分冊で公刊された)である。私は邦訳が出る前にすでに読んでいたが,一気に読み進めて感動したことを今でも覚えている。とくに米州大陸の北米と中南米とで,歴史プロセスが異なること――ここがポイントなのだが,両者がヨーロッパの国ぐに(歴史的順序によれば中南米はスペイン,北米はイギリス)によって征服植民地化されていく中で,異なる政治社会制度が根付いていった事情――に起因して,その後の政治経済の発展過程が著しく違うようになったことが主張された。具体的にいうなら中南米においてはスペインによってエンコミエンダ制が持ち込まれ,カトリックの布教とともに先住民の強制労働化が制度化され,社会構造的にはスペイン人の支配特権階層とその他の従属貧困階層とが構造化していった。そのことをかれらは収奪的制度の経路依存性とみなした。それとは逆に北米では,イギリスの勅許会社であるヴァージニア会社によって植民地化が進められたのだが,そのプロセスは収奪的ではなくて包摂的(包括的)制度が植え付けられたとみるのだ。どういうことかというと,ヴァージニア会社の首脳陣は当初スペイン流のコルテス=ピサロ=デ・トレド式の植民地化図式を構想していたが,北米の地理的事情が中南米と大きく違っていた――先住民人口が相対的に少なく貴金属も見当たらないといった事情――ため,スペインが行ったようにすることは北米には無理であることが徐々に理解され,結局のところイギリス人入植者自らが畑を耕して食料自給するという自助努力を余儀なくされたのだった。社会構造的にも,当初イギリス貴族がイギリス人入植者を強制的に支配しようとしたもののそうはいかず,下からの突き上げが強くなってゆき上下の階層化が崩壊して民主主義の萌芽が出現することになり,多元主義が広がっていった。つまりそのことをかれらは,包摂的制度が根付いていったとみるのである。

 中南米と北米とでそうした歴史プロセスの違いから,前者では権威主義が後者では民主主義が経路依存的になってゆき,その後の政治経済の発展過程を規定することとなったというのがかれらの説の趣旨である。かくして北米では民主主義の広がりとともに市場経済が発達して,国全体が富裕化することにつながった。それに対して中南米はスペインによる植民地支配が終焉してからも,収奪的制度(上層の支配的特権階層と下層の従属的貧困階層との二極構造)が根強く残り,それが権威主義体制と一体化して大衆の貧困は一向に解消されない状態なのである。

 かれらは決定的岐路というキーワードも用いて歴史を論じた。具体例としてイギリスの名誉革命(1688)やフランス革命(1789),および日本のペリー来航(1853)などを挙げている。そうした出来事を契機に,多元主義が芽吹いて,民主主義のプロセスが進行したとみる。

 ただしかれらの歴史的パースペクティヴに対して,当然のごとく批判が提示された。最も多いのは,中国は権威主義に市場経済を取り入れる方式により高度な経済発展を達成したというものだ。この国は決して民主主義ではない。さらに言えば,日本も含めて東アジアの国や地域は権威主義の中で近代化を達成してから民主主義へ移行した。東アジアの歴史プロセスについてはまだまだ議論の余地がありそうだ。

 最後に新たな視座から歴史全般を論じて地平を開拓したという意味で,かつてのカール・マルクスやマックス・ヴェーバー,さらにはカール・ポランニーらと大いに異なる世界観を提示したことは高く評価されてしかるべきであろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3638.html)

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