世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
米国政治経済と倫理経済学
(岐阜聖徳学園大学 教授)
2025.06.02
このところ米国のトランプ大統領が打ち出す諸政策にさまざまな方面から疑問符が投げかけられている。最も際立っているのは,貿易相手国に対する輸入関税の一律的引上げだ。もとよりこれは関係国にとって近隣窮乏化政策として捉えられ,不評である。いうなれば重商主義政策の現代版に他ならない。トランプはハーバード大学への留学生受け入れを許可しない意向も表明し,世界の大学関係者から非難の嵐に見舞われている。さらには米国際開発庁(USAID)や米国教育省の解体問題など,枚挙に暇がない。本コラムでは,問題が大きすぎるのでとくに最後に挙げたことがらについて,倫理経済学の視点から考えてみたい。
マルクス・ガブリエルによる「倫理資本主義論」がよく知られている。ガブリエルは,GAFA(グーグル・アップル・フェイスブック[現メタ]・アマゾン)などの超大企業は「倫理」担当の特別局を設けるべきだと主張している。つまり当該企業が企画する案件が「倫理」基準に照らして,適合なのか否かを内部でチェックする必要があるというのだ。かれがそのように主張する背景には,とくに米国において巨大企業のさらなるガリバー化や国民レヴェルでの経済格差が歪化しているという認識がある。経済格差問題については,今世紀に入ってからすでに一方において経済学者のアンソニー・アトキンソンやジョセフ・スティグリッツらによって,他方において哲学者のマイケル・サンデルによってそれぞれ批判されてきた。
米国第一主義を唱えるトランプ大統領にはネオリベラリズムの権化ともいうべきイーロン・マスクが,二人の関係はややこじれたかに見えるものの,ぴたりと寄り添っている。このコンビは政府効率化省(DOGE)を新規に創設して,前掲の米国国際開発局と米国教育省をつぶしにかかったわけだ。この二人に共通するのは,徹底的な利益(利得)追求への姿勢である。サンデルはかれらの根本哲学はメリトクラシー(能力=実力主義)にあるとしている。すなわち各自に賦存する能力を自由に発揮して経済的利益につながるのが最も良いのであって,経済的貧困に陥るのは本人の能力不足に他ならず,それは自己責任であり,そこから這い上がる努力をすべきなのだと主張する。かくして格差が存在するのはむしろ良いことだといっているのである。
ここではこの論点について,経済学の父祖アダム・スミスが提示していた(道徳哲学上の)問題に還元して考えてみる。周知のようにスミスはもともと,スコットランドのグラスゴー大学における「道徳哲学」の教授であった。スミスは当初『道徳感情論』(1759)を著わした。そしてその後われわれにとってお馴染みの『国富論』(1776)を世に問うたのだった。前者の中で頻繁に使用されたキーワードは「共感」と「利他心」であったのに対して,後者においては「利己心」がそれらに取って代わった。この大変化のプロセスの中でいわゆる「経済学」が生誕したのである。言い換えるなら,個々の人間の織り成す社会において「利己心」のみに突き動かされる人間存在が,ホモエコノミクスとして独り歩きし始めたのである。つまり道徳哲学者スミスが主張していた「共感」と「利他心」はどこに行ってしまったのか。かつての代表的マルクス経済学者だった内田義彦は,その著書の中で共感は「共感能力」(他人を思いやる能力)と「共感獲得本能」(心理学でいう承認欲求)の二つの概念が重要だと述べた。利他心も同じコンテクストで考えるとよい。
ところが現在の米国大統領やかれの取り巻きには,そのような概念(他人に対する思いやり)の一欠片もない。かれらの意識は「利己心」一辺倒なのである。かれらは人は皆個々の「利己心」に動機づけられて生きていると言うであろう。人びとの意識には,「利他心」もあるはずだ。USAIDは途上国で生活する貧しい人びとへの「共感」を基礎に創設されたものであり,米国教育省は公教育において「他人に対する思いやり」を重要なテーマに挙げているはずだ。現在の米国の政治指導者はこのことをまったく顧慮せず,経済効率のみを追求しようとし,「共感」の重要性を無視している。
アダム・スミスは個人としての人間存在は,「利他心」と「利己心」との総合物であることを代表的二著書において述べていたことのであって,決して自己利益一辺倒ではなかったことを筆者はここで強調しておきたい。
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