世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1276
世界経済評論IMPACT No.1276

ベオグラードにある国連大学と西バルカンの将来

小山洋司

(新潟大学 名誉教授)

2019.02.11

 昨年(2018年)10月26日,セルビアの首都ベオグラードで開催されたECPD(European Center for Peace and Development)の国際会議に参加した。ECPDは国連大学で,大学院生の教育を行うと共に,年に1回,国際会議を開催している。国際会議の最後に,博士号と修士号の授与のセレモニーもあった。今回は第14回の会議であった。ECPDの存在はわが国ではほとんど知られていない。実を言うと,筆者も数年前まで知らなかった。スロヴェニアの学者の推薦により,ECPDから招待(主催者が滞在費を負担)されたので,私は2015年10月の国際会議に初めて参加し,その後2017年と2018年にも参加した。

 なぜ国連大学がベオグラードに置かれたのだろうか。創立されたのは社会主義時代の1983年である。旧ユーゴスラヴィアの連邦議会がECPDの設立を決議し,国連がそれを認めて設立したのである。当時,ベオグラードは旧ユーゴの首都でもあり,また旧ユーゴは非同盟運動のリーダーでもあったので,国連大学ECPDがベオグラードに設立されたのも当然であろう。国連がECPDをベオグラードに設立した1983年のことであり,まだセルビアおよび旧ユーゴが国際社会と良好な関係を持っていたときであった。

 1980年代というと,経済危機が進行中であり,それと共に遠心力が強まったときである。セルビアではスロボーダン・ミロシェヴィチが1986年にセルビアの最高指導者になり,民族主義を煽り,他の共和国の反発を強めた。ついに1991年にユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国は分裂し,1991年から95年にかけてボスニアでは激しい民族紛争が続いた。ボスニアのセルビア人勢力を支援したセルビアに対して国連による経済制裁が課せられた。1995年10月のデイトン合意によりボスニアの紛争は終わり,セルビアに対する制裁は解除された。その後,1997年にセルビア共和国内部のコソボ自治州で自治の回復を求める多数派のアルバニア人とセルビアの治安部隊の衝突が起き,国際社会の仲介にもかかわらず,衝突はしだいに激化した。ミロシェヴィチ政権のコソボ政策に対する国際的非難が強まり,セルビアには1998年3月に再び国連制裁が課せられた(2001年初めまで)。1999年3月から78日間,セルビアはNATOの空爆を受けた。コソボ戦争は同年6月に終結した。ミロシェヴィチ政権は2000年10月に崩壊した。その後に発足した民主的政権の下でセルビアはようやく国際社会に復帰することができた。

 現在,ECPDの議長はスペイン人のフェデリコ・マイヨール氏(元ユネスコ事務総長)が務めている。先々代の議長は日本の外交官の都甲岳洋氏(元ロシア大使)であった。彼が2014年4月に急逝された後その仕事を引き継いだのが河東哲夫氏(元ウズベキスタン大使)で,昨年まで議長を務められた。このほかにも多くの日本人がECPDに係わってきた。事務局長やスタッフの話によると,大来佐武郎氏(元外務大臣)や明石康氏(元国連事務次長)が長年ECPDに協力してきた。明石氏が執筆した英文の著書『戦争と平和の谷間で-私が会った人たち-』が2007年にECPDから刊行された。市村真一氏(京都大学名誉教授)も長年協力してきた。2016年には日本経済やアジア経済に関する長年の研究をまとめた彼の著書『日本とアジア-国の経済発展と建設-』がセルビア語に翻訳され,ECPDから刊行された。旧ユーゴとバルカンの歴史研究で有名な柴宜弘氏(東京大学名誉教授)も10年ほど前からECPDの教授を務め,集中講義をしてきた。

 今回の国際会議には100人近くが参加したが,その顔ぶれは多彩である。参加者はセルビア人が多いのであるが,外国からの参加者も非常に多かった。その国籍を挙げると,セルビア,イタリア,スイス,アメリカ,オーストリア,ノルウェー,フィンランド,ドイツ,ロシア,イギリス,オランダ,マケドニア,アルバニア,コソボ,スロヴェニア,モンテネグロ,ボスニア・ヘルツェゴヴィナ,フランス,日本,ギリシャ,クロアチア,カナダ,ハンガリー,カザフスタン,エジプトで,25ヵ国になる。10月27日と28日には第6回の若者のフォーラムが「共通の将来のための若者の力」をテーマに開催され,数十人が参加し,各人の実践が報告された。

 このように,セルビアはひところのひどい国際的孤立状態から完全に脱したように思われる。セルビアはEUへの加盟を希望している。西バルカンではセルビアのほか,モンテネグロ,マケドニア,アルバニアが加盟候補国である。セルビアとモンテネグロが2025年加盟を目指して欧州委員会との加盟交渉を進めているところである。このほか,ボスニア・ヘルツェゴヴィナとコソボが潜在的候補国である。

 いまEUはブレグジットに加えて,さまざまな問題を抱えている。2015年に難民問題が激化して以来,EU加盟国において排外主義的傾向が強まり,下手をすると,EU自身が分解しかねない状況にある。そんなときにEU拡大について論じるのは馬鹿げているように思われるかもしれない。しかし,EUは,1999年に西バルカン諸国のために安定連合プロセスを開始し,改革のために努力すれば,遠くない将来にEUに加盟できるという明るい展望を与えたのである。2003年3月のブリュッセル欧州理事会は「西バルカンの将来はEUの中にある」と述べたうえで,ヨーロッパの統一は,これらの国々がEUに加わるまで完了しないだろう」と明言し,西バルカン諸国の人々に希望をもたせたのである。もしEUが西バルカン諸国のEU加盟の展望を断ち切れば,この地域は再び不安定化するであろう。だから,EUは西バルカンの支援をやめることができないのである。西バルカンの中ではセルビアが中心的な役割を果たすであろう。EU加盟に向けて西バルカン諸国が努力するときにECPDが持つネットワークは大きな役割を果たすだろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1276.html)

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