世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3366
世界経済評論IMPACT No.3366

ルーマニアからの対外移住と過疎化

小山洋司

(新潟大学 名誉教授)

2024.04.08

 社会主義時代,東欧のルーマニアは農業優位の国であり,ブルガリアと並んで,コメコン体制の中で食糧供給基地の役割を与えられた。しかし,ルーマニアのチャウシェスク政権はそれには満足せず,西側の支援を受けて製鉄業を中心に工業化をはかり,石油資源を活かして石油化学工業の発展に努めたが,うまくいかず,1980年代末には多額の債務を抱え,深刻な経済危機に陥った。1989年,東欧諸国で体制転換が平和裏に進んだが,ルーマニアでは体制転換は流血を伴った。市場経済の担い手が十分に育ってなかったので,この国が開放経済体制下で短期間に市場経済に移行することは大きな困難が伴った。

 世界経済に組み入れられたこの国の農業は,競争力をもたず外国から輸入した農産物が国内市場に大量に出回るようになった。また,EU先進国からの輸入が激増したこの国は,産業構造のドラスチックな変化を強いられた。ルーマニアの学者によると,1990年代,企業のリストラのせいで,斜陽産業(鉱業,金属加工,化学・ゴム,農業機械,トラック,重機)から300万人の雇用が消え,商業,農業,サービスにおけるわずか100万人の雇用がとって代わった。残りの200万人はどうなったかと言えば,一部は仕事を求めて外国へ移住し,そのほかは労働市場から退出した。政府はその状況を放置した。とくに40代,50代の人々の経験は悲劇的であった。地方での適切なインフラの欠如,高い交通費,低レベルの給料のため,しかも政府の支援がないので,仕事探しのため近隣の都市へ通うのは現実には無理であった。彼らのかなりの部分は農村や地方都市でくすぶるか,非公式経済(具体的にはサービス業や建設業)で働くことを余儀なくされた。この国の経済発展にとって,外国直接投資(FDI)は重要である。EU加盟後,EU先進国からのFDIがかなり増加したが,先端産業の発展につながるようなFDIは十分来ていない。

人口流出

 体制転換後,出生率の低下と高齢者人口の相対的増加のため,人口の自然増加率は1992年にマイナスに転じた。人口は1990年は2,319万人で,2020年には1,926万人であるから,この30年間に423万人(16.9%)も減少したことになる。この人口の減少には,対外移住が77%も寄与しており,自然減の寄与度はそれほど大きくない。

 体制転換後,国民は移動の自由を得たが,西欧への旅行にはビザ取得が必要であった。2002年にビザ要件がなくなり,ルーマニア市民はEU域内での移動の自由を得た。2007年1月,ルーマニアはブルガリアと一緒にEUに加盟した。これにより,ルーマニア市民はEUの労働市場に直接参加できることになり,対外移住が増加した。移住先として最も人気があるのはイタリアであり,次いでスペイン,ドイツである。その理由は第1に,2000年代半ばに建設ブームがあり,建設労働者に対する需要が高まったからである。第2に,イタリアには介護を必要とする高齢者が存在し(この点はイタリアに限らないが),専門の高齢者介護施設ではなく,自宅に住む高齢者を介護する人材に対する需要が高まり,ルーマニアの女性がそれに応えた。対外移住したルーマニア人労働者からの本国送金はGDPの3.3%を占め(2008年の数字),重要であるが,それの大部分は消費(家電製品購入や住宅建設,等)に回り,投資には回っていない。

 農村の状況は深刻である。1992年には農村人口は1,048万人で,総人口の45.7%を占めていた。2020年には882万人で,約166万人も減少したが,総人口に占める割合はほとんど変わらず,45.8%であった。多くの若者や中年の労働者が都市へ,そして都市を経て外国へ,または直接に外国へと流出した。残った人々の多くは高齢者である。ルーマニアのある学者は,「農村には生活に必要なものは何でもある。ただないのはカネだ」と述べていた。

頭脳流出

 とくに医療従事者の頭脳流出は「国民的な懸念材料」となっている。彼らの国外流出はかならずしも利己的な動機だけによるとは言えないようだ。ルーマニアの研究者は,不適切な労働条件,合理的なインセンティヴの欠如,不満足なキャリア形成システム,残ったスタッフの過負担という問題を指摘している。さらに,グローバル金融危機の影響もあった。2000年代にルーマニア政府は医療労働者が国にとどまるよう,そして帰国移住を促すために医療分野の労働者の賃金を20〜24%引き上げていた。ところが,2008-09年のグローバル金融危機の後,政府は緊縮措置をとることを余儀なくされ,公的セクターの賃金の25%引き下げとスタッフの数の削減を行ったが,これは医療従事者の意欲を削ぐ措置であった。外国で働くルーマニア人医師の数は2013年の時点で1万4000人を超えており,それはこの国の乳幼児死亡率の高さ(EU諸国の中で最高)に反映されるような最も貧弱な医療レベルを物語っている。これに対する国民の不満も強く,このことがまた国民の先進国への移住の動機の一つになっている。

帰国移住の奨励

 EU先進国とルーマニアの経済的格差が大きいので,ルーマニアの研究者はこの国からの対外移住は当分続くと見ているが,対外移住のペースを下げる必要があると考えている。移住者にはいくつかのタイプがある。①外国に定住する者,②外国に長期に移住するが,やがて帰国する者,③外国に短期に移住する者,④外国と本国の間を頻繁に移動する者。政府は,比較的長期に外国で生活しているルーマニア人に帰国を奨励し,蓄えたカネ,外国で身につけた知識と技術を本国の経済発展に活かしてほしいと考え,さまざまな政策を打ち出してきた。帰国して製造業やサービス分野での起業家になった例がかなり見られるが,それらはまだ小規模企業にとどまっている。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3366.html)

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