世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日米貿易協議の行方:安倍政権の不確実なシナリオ
(杏林大学 名誉教授)
2019.01.07
日米の貿易協議が早ければ2019年1月下旬にも始まる。日本政府は物品に限ったTAG(物品貿易協定)の交渉に限定したいが,トランプ政権はサービスその他重要な分野も含めた包括的なFTA(自由貿易協定)を目指しており,日米の思惑に違いがみられる。果たして日本のシナリオ通りの展開となるのだろうか。
TAGにこだわる安倍政権の意図
18年9月26日の日米首脳会談で日米貿易協定の交渉入りを合意した。しかし,日本政府が,共同声明の英文にもない「TAG」という造語を使ったことから,野党からは「TAGを捏造」と批判されることになった。
日本政府が発表した共同声明には,「日米両国は,所要の国内調整を経た後に,日米物品貿易協定(TAG)について,また,他の重要な分野(サービスを含む)で早期に結果を生じ得るものについても,交渉を開始する」と書かれている(傍線は筆者による)。このTAGへのこだわりに安倍政権の戦略的な意図が読み取れる。安倍首相も,「TAGは日本がこれまで締結した包括的なFTAとは全く異なる」と説明している。
この2年間,環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱したトランプ政権が包括的な日米FTAの締結を日本に迫るなか,米国抜きのTPP11を主導した安倍政権は,日米FTA交渉には絶対に応じないと言い続けてきた。しかし,二国間主義に基づき追加関税で脅しながら相手国に譲歩を迫るトランプ流の交渉術が一応の成果を上げ,それが多国間よりも二国間の交渉の方が米国に有利だというトランプ政権の主張を勢いづかせ,「米国のTPP復帰が最善」と主張する日本にとっては不都合な状況になった。
結局,米通商拡大法232条(安全保障条項)に基づく米国の自動車・同部品の25%追加関税の対象から日本を除外させることが,安倍政権の優先課題となってしまい,TPPの問題を一時棚上げにして米国の要求を受け入れ,実質的な日米FTA交渉の開始に合意するしかなかった。TAGはその苦肉の策だ。
TPPか日米FTAか,日米の思惑が錯綜するなか,日本は着地点に向けてどのようなシナリオを描こうとしているのか。玉虫色の日米共同声明には,さらに,「上記協定の議論が完了した後,他の貿易・投資の事項についても交渉」とある。
安倍政権は,第1段階は関税撤廃などTAGに限定,第2段階で関税以外のルールづくりを目指すという2段階方式のシナリオを描いている。ただし,米国のTPP復帰を諦めていない。深読みすれば,ポスト・トランプも睨みながら,第2段階のルールづくりで日米FTAの議論をTPP復帰問題にすり替えるチャンスを虎視眈々と狙うしたたかな戦略を考えている。それがまた,米国のTPP復帰を前提にTPP11(CPTPP)をまとめ上げた安倍政権の矜持といえよう。
死角だらけの日本の通商シナリオ
表現がどうであれ,TAGは紛れもなくFTAである。関税撤廃などを米国だけの特別扱いにするのであれば,FTAを締結しなければ,WTO協定の最恵国待遇原則に違反する。TAGに関する日本側の最大の懸念材料は,米国がTPP水準を超える農産物の市場開放を日本に要求してくることだ。その懸念を払拭するため,「農産物の市場アクセスはTPPの水準を超えない」との文言が合意文書の了解事項として盛り込まれた。
さらに,18年7月の米EU合意と同様,交渉中は米国が日本に対して自動車・同部品の25%追加関税を課さないようにするため,「交渉中は,共同声明の精神に反する措置の発動を控える」という表現で米国の確約を得た。これら2つの約束を取り付けたという意味で,安倍政権にとっては米国の圧力下で満点に近い合意を得たと言ってよかろう。
だが,今後の展開は予断を許さない。その後「TPP以上の譲歩を日本に要求する」というパーデュー農務長官の発言が飛び出すなど,「TPP並み」が農産物の攻防ラインとなるのは必至だ。さらに,米国側の了解事項に,「自動車分野について,米国内での生産及び雇用の増大に資するものとする」という文言が盛り込まれたことが火種となろう。米自動車メーカーは日本市場において戦意を喪失しており,日本への自動車輸出は増える見込みがないため,日本の対米自動車輸出を規制するという「管理貿易」の議論に発展しそうだ。
日本は米国の要求を飲まされるのか
米国の貿易関連法により,貿易交渉開始の30日前に,米通商代表部(USTR)は議会に交渉目的を通知しなければならない。このため,USTRは18年12月21日,日本との貿易協議に向けて22分野の要求項目を議会に通知した。22項目の中身をみれば,TPPとほとんど同じような分野が並んでおり,包括的な日米FTAの締結を目指すトランプ政権の強い姿勢がうかがえる。
18年12月10日にワシントンで開かれたUSTRの公聴会では,米国の業界団体からTPPを上回る水準の協定を求める声が相次いだ。このため,要求項目には,農産品の関税引き下げや自動車貿易の改善にとどまらず,通信や金融などサービス分野を盛り込んでいる。さらに,薬価制度や為替問題も協議するとしている。
日本側が最も反発する項目は,通貨安誘導を禁ずる為替条項の導入である。米自動車業界は円安による日本車の輸出攻勢を恐れている。このため,円売り介入だけでなく,日銀の異次元金融緩和までも円安誘導策とみている。安倍政権は交渉対象から為替問題を外し,日米の財務当局に委ねたい考えだ。
USTRによる議会への通知によって,改めて日米の思惑の違いが浮き彫りとなった。日米の貿易協議を担当する茂木経済財政・再生相とライトハイザーUSTR代表が12月中旬に電話会談をし,共同声明を順守することを確認したとされるが,ゴリ押しの通商政策を展開するトランプ政権を相手に,果たして日本のシナリオ通りにTAGの議論を先行できるかは不確実だ。
米中協議が難航すれば日本に追い風?
一方,18年12月1日の米中首脳会談で90日間の貿易協議に入ると合意した。期限は19年3月2日である。米中とも貿易戦争による国内景気の悪化を避けるために一時休戦で折り合った格好だ。米国は対中貿易赤字の大幅削減を要求しているが,知的財産権の保護や技術移転の強要などの問題も議題に挙げている。だが,中国の国家資本主義の象徴ともいえる「中国製造2025」をめぐる米中の対立はハイテク覇権争いが絡んでおり,落としどころが難しい。
19年1月下旬から開始予定の日米TAG交渉に,米中協議はどのような影響を及ぼすだろうか。「米中衝突は日本にプラス」との見方は少なくない。中国が譲歩しすぎると米国が自信をつけて日本に高圧的になる恐れもあるが,逆に米中協議がもつれると,日本との交渉は先送りされる可能性も出てくる。
日米はTAG交渉には期限を定めていない。それでも19年6月下旬に大阪で開かれるG20首脳会議に合わせてトランプ大統領が来日するが,その折の日米首脳会談で譲歩を迫られることを日本側は警戒している。安倍政権の本音としては,TAG交渉の決着をできるだけ19年夏の参院選後に引き延ばしたい。与党自民党が,農産物の市場開放がたとえTPP並みであっても,選挙にマイナスに響くことを恐れているからだ。
「タリフマン(関税好き)」を自称するトランプ大統領は,日米の貿易協議入りと引き換えに,自動車関税を棚上げにしたが,矛先が日本に向くリスクは消えていない。日本側の時間稼ぎに腹を立て,再び関税の引き上げを言い出す可能性がある。2019年のTAG交渉は安倍政権にとってまさに正念場といえよう。
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