世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
新たな世界秩序の構築を目指して:「米中貿易戦争」の背景にあるもの
(早稲田大学 名誉教授)
2018.10.29
トランプ政権の誕生以来,世界は混乱させられ続けている。きわめつけは,新聞などを賑わしている「米中貿易戦争」であろう。トランプ大統領は,米国の対中国貿易赤字は過大であり,安売りによって鉄鋼やアルミ製品などが大量に米国に輸出され,その結果米国の企業が競争力を失い,国内の雇用が奪われていると主張する。さらに,ハイテク製品を生み出す知的所有権を無視した経営行動は不正だと決めつけ,中国から米国への輸出品を制限するために高い関税を課し始め,事態はエスカレートしている。
米中戦争の背景には,単なる貿易を越えた世界秩序の大きな変化が存在する。しかも,この状況は19世紀の後半から1914年の第1次大戦の勃発へとつながる時期の状況によく似ている。
1850年に英国は世界の工業製品輸出の43%を占めていた。同国は1870年において世界の工業生産高の32%を占めていたが,1913年にはその割合は13%までに低下した。それに代わって,ドイツが15.7%,米国は35.8%を占めるようになった。英国は工場制度の導入によって,18世紀後半から1世紀近く続いた繊維や蒸気機関をベースにした第1次産業革命の覇者であった。ところが,19世紀後半から生じた自動車,電気製品,化学製品の大量生産・大量販売・大量消費をもたらした第2次産業革命において,米国やドイツの後塵を拝するようになった。
当時の英国の批評家は,英国の一般的な家庭にいかに多くのドイツや米国の製品があふれているのか,警鐘を鳴らしている。その結果,西欧世界に保護関税と自国優先主義が台頭し,軍備の増強が進むことになったのである。
それから1世紀が経った現在,同じような状況が見られる。日米中3カ国の名目GDPの動きを見てみよう。1990年における世界のGDPに占める割合は,日本が13.8%,米国が25.4%,そして中国はわずか1.7%であった。その後,冷戦の終結にともない,米国は1強の超大国になった。世界のGDPに占める同国の割合は30.3%に上昇し,日本も14.4%を占め,中国は3.6%を占めるにすぎなかった。ところが,2017年になると米国と日本の割合は,それぞれ24.3%と6.1%に減少した。これに対し,中国の割合は日米の減少分を補うほどの15.0%へと急増している。輸出額でみても,2017年の中国の輸出額は,世界1位で世界輸出全体の12.8%を占め,2位の米国(8.7%),4位の日本(3.9%)を引き離している。
こうした中国の台頭は,第2次産業革命からME,IT,人工頭脳などのハイテク技術とネットワークに基づく「第3次産業革命」(米国では「IOT」,ドイツでは「Industrie 4.0」,日本では「Society 5.0」,中国では「中国製造2025」と呼ばれているものに匹敵するもの)へ移行する過程で生じている。中国国内におけるハイテク産業の発展は目覚ましく,今後はハイテク製品の輸出増加が予想される。中国の台頭による世界秩序の変容を見て,トランプ大統領が世界における米国の地位の低下に,危機感をもったとしても不思議ではない。
一方で,現在の国際経済システムは,第1次大戦前夜から第2次大戦の時代へ至る時代とは大きく異なる。当時は,各国とも自国で製品を作り外国へ輸出していた。ところが,現在では多国籍企業による海外直接投資が増大している。国と国の間の貿易取引として統計に表れる製品やサービスの多くは,多国籍企業の親会社と子会社間,あるいは子会社間,多国籍企業間の「企業内取引」による。また,多国籍企業の多くは原料の調達から生産・販売を自社内で統合化した企業ではなく,他社との提携や分業体制によるサプライチェーンなどのネットワークを国家間で構築し,サービス取引を増やしつつある。
今や,世界経済システムのなかに多国籍企業の取引が埋め込まれ,貿易構造は単純な2国間取引ではなくなってきている。にもかかわらず,トランプ大統領は2国間交渉で米国と各国との貿易赤字の問題を解決しようとしている。ゲーム理論的に言えば,2国間の交渉は比較的簡単であり,カナダやメキシコのように,米国にとっての両国の重要性と両国にとっての米国の重要性に大きな差があるときには有効である。
しかし,中国と交渉する場合には,これら両国との交渉ほど簡単にはいかない。なぜなら,中国はいまや経済力,政治力,軍事力において大きな力を持ち,「世界の工場」から「世界の市場」として,多くの国々から投資を受入れ,複雑な国際経済システムの要ともなっているからである。中国製品に対する高関税による輸入制限は,中国の企業や経済に影響を与えるだけでなく,米国の企業や経済に影響が及び,ひいては世界中の企業や経済に影響を与えることになる。
現代の国際経済システムにおいては,多国間の協調主義こそが自国を豊かにするものであり,自国第一主義は問題解決にならず,結局自国を苦しめることになるのである。
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