世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
国際M&Aにみるリスクと問題点:日本製鉄によるUSスチールの買収事例
(早稲田大学・文京学院大学 名誉教授)
2024.11.18
一見両極端にみえる日本製鉄(以下,日鉄)によるUSスチール(USS)の買収と,カナダのアリマンタシオン・クシュタールによるセブン&アイの国境を越えた買収提案が注目を浴びている。本稿では,日鉄のUSS買収案件を例に,国際M&Aのリスクや問題点について考えてみたい。
2023年12月,日鉄は米国の高炉・電炉一貫鉄鋼メーカーであるUSSを140億ドルで買収すると発表した。資金として,日本3大メガバンクからの融資を確保しているとした。
日本国内市場の縮小,日系自動車メーカーの中国でのシェア低下や米中対立,米国への製造業の回帰などから,日鉄にとって米国市場は今後重要性を増す。そのため,この買収は日鉄にとって極めて重要な案件といえる。
この買収の発表直後に,約85万人が加入する全米鉄鋼労働組合(USW)が,「買収によっていくつかの製鉄所が閉鎖され,雇用が失われるのではないか」という懸念から,「外資による買収反対」の声明を出した。これについて,2023年8月のUSSの売却先を選定する入札で,日鉄に敗れたクリーブランド・クリフ社もUSWに同調して反対を表明した。
さらに,ミシガン州,ペンシルベニア州といったラストベルト出身の政治家や知事もこの買収に反対した。この度,次期副大統領となったバンス上院議員はその典型であった。トランプ次期大統領も,選挙期間中この買収について,「私なら瞬時に阻止する。絶対にだ」と反対した。
バイデン大統領も,安全保障の観点から買収を認めるか審査する意向を表明した。その後「USSが国内で所有・運営される米鉄鋼企業であり続けることが重要だ」だという声明を出した。この買収は,安全保障の面から対米外国投資委員会(CFIUS)の審査や反トラスト法の見地から当局の審査をクリアしなければならない。ルールは定められているとはいえ,審査に当たっては政権の意向が反映されやすい。
こうした政治的な要素の強い反対運動に対して,日米のビジネス界からは批判的な意見も出ている。日本の鉄鋼業界,経団連のみならず,日米および米日経済協議会,各国企業が加入する経済団体「グローバル・ビジネス・アライアンス」などが,この買収に対する政治的圧力について疑問や懸念を呈している。USSの発行済株式数の5%弱を保有する大株主である米国投資運用企業のベントウォーター・キャピタル・マネジメントLP社も,この買収を支持する声明を出した。
この買収反対の動きに対して,USSと日鉄も様々な手を打っている。買収発表直後から,両社のトップはUSWのトップとの面談,組合員との対話,政府への書簡送付などの対応を行った。日鉄はUSWが結んでいる労働協約は継続し,同協約には雇用を守るだけでなく,10億ドルの設備投資が盛り込まれているとした。さらに,日鉄は3月に14億ドル,8月末には13億ドルを追加投資すると発表した。USSのCEOは,両社の合併で米国の自動車メーカーに世界最高の自動車用鋼板技術を提供できるようになると述べた。日鉄も,技術面で相互補完的であり,商品,設備,操業,脱炭素などの面で協力できるとした。
日鉄は,3月になると弁護士事務所やロビイング会社と契約し,首都ワシントンなどでPR活動を始めた。岸田首相(当時)がバイデン大統領と会談した4月には,ワシントンの空港やバス停などに,日鉄とUSSの合同広告を掲示し,この買収の利点をアピールした。7月には,日鉄はトランプ前政権下で国務長官を務め,共和・民主両党にパイプを持つマイク・ポンペイオ氏をアドバイザーに起用し,買収交渉を円滑に進めようとした。
日鉄は地元からの賛同を得ようとして,米国本社を現在のテキサス州ヒューストンからUSSの本社のあるペンシルベニア州ピッツバーグへの移転と,買収後の取締役の過半数を米国籍とすることを発表した。また,中国鉄鋼メーカーに対抗するための競争力の向上,米国が懸念する通商対策として,米国籍の委員で構成する「通商委員会」を設置して,取締役会に助言する体制を構築するとし,さらには,反トラスト法の問題を避けるため,自動車向け鋼材加工を手掛ける米M/NSカルバート(アラバマ州)株のうち日鉄の持分を,合弁相手であるあるアルセロール・ミタルに1ドルで譲渡することを10月に発表した。
しかし,この買収に対する米国当局の判断が,大統領選挙期間の政治的影響から長期化したことに鑑み,日鉄は米国当局との話し合いにより,9月23日が審査期限であった申請を一旦取り下げ,再度申請をすることにした。これにより,審査期限が90日間延び伸び,買収の可否は,大統領選挙後の判断へと延長されることになった。
この度の日鉄によるUSS買収案件から,改めて米国企業の買収について考慮すべき以下のようなリスクや問題点が浮かび上がってくる。第1は,国際M&Aについては,近年過度に株主や経営者の視点が強調されているが,多様なステークホルダーに対して真摯に対応することが求められる点である。例えば,この買収が成功した時には,高額の報酬がCEO以下役員に支払われる契約内容があり,利益相反の疑いがあるほどである。また,買収が成立しない場合の,高額の賠償金支払いのリスクもある。
第2は,大規模な生産設備や大量の人員を抱える重厚長大型の産業企業にあっては,現場の労働者が加盟する労働組合や,地域社会への買収の影響を明確にすることがきわめて重要なことである。
第3は,米国は常に国益を重視する「自国第一主義」であるということである。米国は相手が同盟国の企業であっても,自国が優位な企業や産業については「自由(貿易)主義」を標榜し,逆の場合には「保護主義(相互主義)」を主張することである。
この買収案件は,1980年代の日本企業の米国会社の買収に反対する米国人の「愛国心」により,買収が阻止されたり,買収後の統合化プロセス(PMI)がうまくいかなかったりした多くの事例を想起させる。
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