世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
高市首相の国会答弁と中国の態度硬化:連鎖の背景にあるもの
(関西学院大学 フェロー)
2025.12.08
国会での台湾有事に関連する質問に,高市首相は「戦艦を使って武力するものであれば,どう考えても存立危機事態になり得る」と述べた(日本経済新聞,11月17日)。言葉上,防御対象が米軍か,或いは台湾か,必ずしも明瞭ではなかったが,中国は台湾海峡への武力介入の可能性を示したと受け取り次々と対日強硬策を打ち出すに至った。
強硬な抗議と報復措置は背景にある中国の国情
官僚の答弁書に依らず,自らの言葉で発した首相の痛恨の一言。それを中国が素早く取り上げ,中国人への訪日観光中止要請,日本留学への警鐘,日本産水産物の輸入拒否,国連総会での対日批判,欧州主要国への“日本の徹を踏むな”との警鐘を込めた王毅外相発言等など猛烈な対日強硬措置を連発し始めている。
さらには日本の外相が(在阪中国総領事をペルソナ・ノン・グラータで国外追放しろとの,一部右派筋からの声を受けたのだろうが…),「(当該人物を)中国は自主的に召喚すべし」云々と述べ,問題を中国側に大人の対応で処理させようとした。しかも,それを外相本人がメディアに向かって公言した。こうした対応が,「日本では外相すら中国の怒りの真の原因を理解していない」と,中国側を一層激怒させ,その後の外務省局長の訪中に対し日本側釈明を歯牙にもかけなかったという(いずれも日本経済新聞の続報)。それにしても無防備である。まるで謝罪のために訪中したとのイメージを残してしまった外務省の局長。見送りに来るはずもない中国外交部の局長の尊大な振る舞いや,その場に中国メディアが群がっているのを見て,瞬時に中国側の意図を見破り,これ幸いと,その場で逆に日本の姿勢を声高々と発し,日本大使館に戻って,即座に,この間の不愉快な事情と,局長による対中説明の内容を大使館の広報から中国社会に向かって発信すればよかったのに…。尤も,日本側は説明のための秘密裏の特使派遣が先であるべきところ,いきなり外相が中国外交官の本国召還の話を出したこと,その外相の指示で訪中した局長の無防備対処を云々するのは,的外れかもしれないが…。一方,中国側もやり過ぎたと思っているのか,件の中国の局長が在大連の日本企業を訪問し,経済交流への影響は心配無用と言うなど自らの行動の微修正ともとれる動きを示している。
では,何故中国はこれほど強硬な抗議と報復措置を日本にぶつけてきたのか…。そう考えると,当初,高市首相自身も,自らの発言への中国側の受け止め方の意味合いを,十二分に理解していなかったのだろう,と思い当たる…,これではまるで「欧州情勢複雑怪奇」を公言した,第二次世界大戦勃発直後の独ソ不可侵条約締結に際しての,日本の平沼騏一郎総理の反応と全く同じではないのか…。相手国側の実情を十二分に把握していない。残念ながら,筆者には,そんな疑念・確信が浮かんできてしまう。
建国100周年に向けた習金平の「強中国夢」の実践
11月7日付のワシントン発共同電は,10月30日の韓国での米中首脳会談を振り返り,トランプ大統領が「中国の高官たちが,習主席をひどく恐れている様子だった」と語った旨報じている。同報によると,トランプ大統領が会議に同席していた中国高官の一人(恐らくは王毅外相)に発言を促したところ,習主席は発言を許さず,主席の両側に並んで座った高官たちが皆一様に,背筋を伸ばし緊張していたとのこと。トランプ大統領はこれを異常に感じ,「あんなに怯えた様子の人間を見たことはない」と述べた由。今回の高市発言での中国側の態度硬化は,この習政権内での,“主席への恐れ”,或いは,“主席の権力への恐れ”が作用しているのは間違いないと思える。
習近平は,2022年10月の中国共産党第20回大会で,3期目の任期を手中にした。中国が台湾を武力統一するとの憶測もそれ以降飛び交うようになった。それは,この時期に習主席自身の主張として,建国100年(2049年)を目途に台湾復帰を,との期限の設定と,「軍は奮闘しなければならない(能力増強目標達成は2027年)」との,党中央委員会の軍への指示という,時間フレームが明示されたためである。
この目標設定の奥行は実に深いものである。かつて米CIAの中国専門家だったマイケル・ピルズベリーは自著”China2049”で,習近平が,それまでの中国の指導者が公式の場では述べたこともない「強中国夢」と言う言葉を口にしたと書いた。ビルズベリーによると,「強中国夢」のタネ本は,2010年に中国で出版された劉明福(人民解放軍国防大学の教官)の「中国の夢」だという。その内容は,どうすれば中国が経済力で米国に勝るようになりまた,それに見合う軍事力が備わるか,それには建国の1949年からスタートして100年かかる,といったもの。「強中国夢」を多用する習主席の党内権力の増強に相まって,中国人には否定できないnationalisticなこの「夢」が,全面に押し出されてきたのだろう。
そして習近平の「強中国夢」には台湾の本土復帰が位置付けられてもいる。2021年の共産党第19期中央委員会第6回全体会議で採択された「歴史決議」には「台湾問題を解決するための総合戦略」との文言が盛り込まれた。これは,習主席が折に触れ打ち出していた一連の措置を総纏め,中国建国100周年の2049年までに台湾の祖国復帰を達成するというものだ。
台湾政策を担当する国務院台湾事務弁公室は2022年12月,対台湾総合戦略を次の10項目に集約した。即ち,①党中央の指導,②中華民族の復興と祖国統,③大陸の発展による台湾問題の解決,④平和統一と一国二制度,⑤一つの中国原理の遂行,⑥両岸関係の平和的・融合的発展,⑦台湾同胞との団結,⑧台湾独立の分裂意図粉砕,⑨外部勢力の干渉排除,⑩武力行使放棄は約束しない,というもの。そしてその遂行のために以下の4点を実践しなければならないとされた。即ち,a)祖国統一邁進のために歴史的主動権を能動的に発揮,b)福祉をはじめ,各領域で両岸の融合発展を図る,c)台湾独立派と外部干渉の排除,d)祖国統一に向け団結し,民族復興の歴史的偉業を達成する,だ。この4つの実践要求こそが,今や,中国の全ての関係機関(共産党内,行政府内を問わず)を規定する,鉄のルールとなっているのだ。高市発言は,この鉄のルールに触れた。中国の行政府・軍は,この4つの実践要求に従って,事に処せねばならない。そのように行動しなければ,習近平主席が下部の組織に課したリトマス試験検査に合格しないのだ。
以上みてきたように,これまでの経緯から中国の対台湾姿勢は,2021年11月の歴史決議で規定され尽くされていることを顧みれば,高市総理の発言に中国外交当局の姿勢が即時に硬直化するのは,至極当然のことだということになる。言い換えると,それ程までに,習主席の意向が党組織,官僚組織全体を覆っているのだ。つまり,中国の行政機構・軍組織は,それほどまでに習主席を恐れ,その権力に従順なのだ…。
中国社会の規範となる習近平思想
主席就任時には,「共産中国最弱の帝王」(産経新聞:2012年発行本)と評された習近平が,何故,中国の行政・軍関係者が一様に恐れる程の,権威と権力を掌握出来たのか…。以下でそれを見てみたい。先ず強調すべきは,習近平の生い立ちだ。父・習仲勲は周恩来首相の下で副首相を務めたエリートだったが1962年に文化大革命のため失脚する。習仲勲は身柄を拘束され,習近平自身も上山下郷運動の知識青年として,わずか15歳で農村に送り込まれた。当初の下方先は,父親の故郷で,多くの親戚がいる富平県だったが,親戚たちは失脚中の習仲勲との関わりを恐れて,習近平を門前払いしたという。仕方なく,習近平は北京時代の仲間を頼って陜西省延安近くの梁家河村にやってきたという。住み着いた住居は山を刳り貫いて作った横穴式住宅だった。
この梁家村在住時こそが,“習近平らしさ”の種植時期だった。悲痛な下放時代,彼は逆に,農村に溶け込んで,農村に浸りきる生活を決意したのだ。手始めに着手したのが,延安の方言や農村の諸習慣を体得だ。刻苦勉励した彼は,いつの間にか村のリーダ―になり20歳の時には共産党への入党も認められた。文革中逼塞していた鄧小平が表舞台へと戻り改革開放政策が始まった。1978年には上山下放運動も終結する。習近平も恐らくは鄧の引きで1975年に精華大学に入学しここから先はエリートの道をひた走る。一方,下放された経験の中で,権力の怖さも体感しており,基本的に敵を創らないように,共産党のドグマに反することのないよう,いわば仮面をかぶった慎重な行動に終始するようになった。また下方先で,村の共産党の書記にまで登れたのも,彼の知識の深さと敵を創らない感情抑制によるところが大きい。下放から戻った後は,再び太子党に所属し,同じく復権を果たしていた父親の人脈をフル活用した。太子党グループ内での習近平は,次第に激しくなる薄熙来との競争に打ち勝ち,同グループを代表する実力者になり上がった。最終的には,共青団出身のライバル李克強を押しのけ,江沢民の支持を得て,胡錦涛主席の後釜に座ることに成功したのだ。
習近平が指導者となるや,毛沢東に倣い,習近平思想を党内で定着させ,次いで中国製造2025年などの経済基盤強化策を実施,最終的には,建国100周年に向けた大目標をぶち上げ,ナショナリズムの醸成にも努める。要するに,思考は視野が広く,具体的・計画的・戦略的で,且つ,社会的受容力があるものを選好しているのだ。そうして気が付けば,いつの間にか習近平思想が中国社会の規範として,行政機構・軍機構をぐるぐる巻きに縛っていたという次第。
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