世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
リーマン・ショック10年後から見たグローバルマネー
(京都大学公共政策大学院・経済学研究科 教授)
2018.09.03
2008年9月15日に,リーマン・ブラザーズが経営破綻したことを機に,世界的な規模の金融危機が発生した。経営破綻した投資銀行の名を冠して「リーマン・ショック」と呼ばれたり,あるいはその後世界的に拡大した金融危機を総称して「世界金融危機」と呼ばれたりするようになった。
あれから10年経ち,当時の「肥大化した貨幣経済」は,現在はどうなったであろうか。ここで,「肥大化した貨幣経済」ということの意味は,第一に,個別金融機関のバランスシートの肥大化である。すなわち,資産側では,リスクの大きな住宅債権がバブルによって膨らみ,負債側では,それを購入するためレバレッジを高めることで大きくなった。
しかし,住宅バブルがはじけ,資産価格が大きく下落したことで,バランスシートは債務超過に陥り,多くの金融機関が倒産した。他方,大きすぎて潰せない金融機関には,資本注入(ベイル・アウト)という名の国有化が行われた。金融危機後のデレバレッジによって,肥大化したバランスシートが一気に縮小する一方で,いわゆる非伝統的金融政策によって,中央銀行のバランスシートが肥大化した。
また金融規制も強化され,ドッド=フランク法に含まれるボルカー・ルールは,預金業務を行う商業銀行に対して,危険資産の保有(投機的投資)を制限するもので,直前に廃止されたグラス=スティーガル法の復活とも目された(オバマ政権のレガシーと言われるドッド=フランク法は,トランプ政権によって大幅に緩和された)。さらに,これまで自己資本比率で制約を課してきたBIS規制も,バーゼルⅢによって直接レバレッジ比率を規制する方向に転換した。
「肥大化した貨幣経済」の第二の意味は,一国の対外バランスシート(国際投資ポジション)の肥大化である。金融危機発生前の20年間以上にわたって,主として東アジアの新興国では,1997年のアジア危機を契機として,経常収支黒字が定着し,黒字国から赤字国へ(新興国から米国へ)という一方向の資本フローが続いた。その結果,ストックでみても「ネット」の対外純資産が拡大した。これに対して,先進国間では,双方向での(米国と欧州といった赤字国同士での)国際資産取引が活発となり,グロスの資本フローが流出・流入とも大きく拡大した。その結果,ストックとしての国際投資ポジションも,「グロス」の対外資産・負債が両建てで膨張した。
米国が経常収支赤字国(資本流入国)で,世界最大の債務国というのは,あくまでネットの資本移動とネットの対外純資産からの見方である(経常収支=対外純資産の変化)。いわゆるグローバル・インバランスも,ネットの資本フローに焦点を当てたものである。しかし,金融危機前の米国の資本フローの大きな特徴は,流入も流出もグロスで拡大を続けたこと,したがって国際投資ポジションも,対外資産も債務もグロスで肥大化したことである。
金融危機前に,米国の経常収支赤字が持続可能であったのは,グロスの対外資産・負債が肥大化したことによる評価効果(キャピタルゲインの稼得)が大きかったからであるが,一国の対外バランスシートに過大なレバレッジがかかっていたことの脆弱性が,金融危機となって露呈したのである。金融危機前に米国の資本移動が,流出・流入ともにグロスで拡大した背景には,欧州の米国に対する短期借り・長期貸しがあり,その要因には,欧州のグローバル銀行が,ユーロ導入およびバーゼルⅡの積極的採用による高レバレッジ経営にあった。その意味で,世界金融危機で欧州のグローバル銀行のバランスシートが毀損したことが,その直後のユーロ危機(欧州債務危機)と直結していたのである。
リーマン・ショックから10年が経過し,「資本移動の大いなる安定」(“The great moderation in international capital flows,” Journal of International Money and Finance,” 2017)とも形容される一時期が経過した。しかし,2015年後半から米連邦準備銀行(FRB)が,量的緩和やゼロ金利政策といった非伝統的金融政策の「出口戦略」を検討し始めた頃から,新興国からの資本流出が顕著になってきた。最大の流出国は中国である(岩本武和「中国経済の減速と中国からの資本流出」『世界経済評論インパクト』No.801,2017.02.20)。そして,アルゼンチンやトルコなどの新興国通貨の下落が著しく,20年前のアジア通貨危機の様相さえ呈している。これからしばらくは,新興国から先進国へのグローバルマネーの動きという,いわば古典的な通貨危機に注目しておく必要がある。
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