世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
21世紀型の長期経済停滞?
(明治学院大学国際学部 教授)
2018.04.16
最近,欧米の先進諸国で長期経済停滞論が花盛りである。リーマン・ショックから10年が経過し,中央銀行がこぞって量的緩和を実施したにも関わらず,経済成長率が十分に回復せず,インフレ率も低位にとどまっている。こうした状態がこれほど長く続くということは,過去に経験したことのない新しい問題が発生したからではないか,新しい問題には新しい対策が必要なのではないか。それが長期停滞論の趣旨のようである。
日本では過去四半世紀間にわたってこの種の議論が延々とくり返されてきたので,欧米の長期停滞論には既視感を覚えざるをえない。しかし日本でもいまだに「過去に経験したことのない危機だから常識に囚われない大胆な政策が必要」の類の議論は健在である。事実,先日留任が決まった黒田東彦日銀総裁は今後も異次元緩和を続けるつもりらしいし,安倍首相も財政再建を棚上げして「機動的な」財政政策に邁進することを止めようとしない。
しかし政府や日銀の主張と行動は,現実の経済の姿からどんどん遠ざかっているように見える。まず,ほとんどの人は忘れてしまっているようだが,もともと不況対策とは雇用対策だったはずである。不況が問題なのは,働く気があるのに仕事につくことができない人が大量に発生し,これらの人の生活が成り立たなくなることに加え,人間というもっとも貴重な資源が無駄になってしまうからである。しかし今日の日本経済は掛け値なしの完全雇用状態にある。これ以上景気を煽ってどうなるというのだろうか。
こう言うと,企業や国民の景況感は十分に回復していないと言う人がいる。しかし景気にはもともと「景(客観的な経済の状態)」の部分と「気(マインド)」の部分があり,後者は究極的には人々の主観にすぎない。「国民が景気を実感できていないからどこまでも景気対策に邁進せよ」というのは,自制の効かない子どもに高価な玩具を無制限に与えよというのと同じである。そうしたことは本人にとってもよくないし,家計にとっても望ましくない。
また,完全雇用でも物価と賃金が上がっていないから不況だと言う人もいるだろう。しかし物価と賃金が上がらないのは人災である。1990年代初めまでの日本では,生産性の上昇率が高い製造業で賃金が上昇し,それがサービス業に波及することによって一般物価が押し上げられてきた。しかし1990年代半ばから脱工業化傾向が本格化し,こうしたメカニズムが働かなくなった。
今日の日本において需要がもっとも拡大しているのは高齢者向けの社会福祉サービスである。しかし医療・介護分野では,サービス価格も賃金も政府によって低位に統制されている。これでは潜在的な賃上げの主役の頭を抑え込んでいるのと同じであり,物価が上がらなくても不思議ではない。
最近はさすがに人手不足によって賃金に上昇圧力がかかりつつあるが,医療・介護分野の統制を止めることは絶対に必要である。そうしないと,この分野の求人難がますます深刻化して需要の拡大に応えられなくなるし,生産性も高まらないからである。サービス価格も賃金も事業者の参入も思い切って自由化すれば,いろいろなアイディアが生まれ,省力化も進むはずである。
ただ,そうしたことが行われたとしても,日本において政府が目指す2%の実質経済成長率を維持することはほとんど不可能だといってよい。今後の日本では労働力の縮小が本格化するので,生産性がよほど上昇しない限り,この目標は画に描いた餅である。しかし他の先進国でも生産性の上昇率は低下しており,それが長期停滞論を生む原因になっている。
日本でも欧米でも,構造改革が進めれば生産性は上昇すると主張する人が少なくないが,この種の議論にも注意したほうがよい。まず,少なくとも成熟した先進国に関する限り,「Aという政策を実施すると経済成長率が〇%上昇する」といったことは経済学者の間でも何も分かっていない。分かっていないのに分かっているフリをするのは真摯な態度でない。
また,政府に「構造改革を進めよ」「成長戦略を持て」などとけしかけると,筋の悪い産業政策やバラマキがますます横行してしまう。安倍政権は成長戦略の名目でおびただしい数の官民ファンドを設立したが,これらが目に見える成果を出したという話は聞かない。バブル期に林立した第三セクターと同様に,これらの多くは膨大な税金の無駄遣いに終わり,いずれ国民がその償却の尻ぬぐいをさせられるだろう。
日本の国民に,「経済活性化の名目で効果の不明瞭な産業政策を乱発し,税金を浪費する政府」と「財政破たんによって経済を混乱させないよう慎重に行動する政府」のどちらを望むかと問うたら,ほとんどの人は後者を選択するだろう。そうだとすると,現政権は完全に失格である。
また,「日銀がデフレ克服の名目で国債の利回りをマイナスにしてしまい,政府が財政に対する危機感をまったく失ってしまった社会」と「日銀が常識的な金融政策を行って金利がプラスの領域に保たれ,政府に間接的に財政再建を促すと同時に,高齢者が多少なりとも過去の貯蓄の利息を生活の足しにできる社会」のどちらが良いかと訊ねられたら,多くの人は後者を選ぶのではないか。そうだとすると日銀も失格である。
筆者は,欧米の長期停滞論は,いずれピントの外れた議論だったと総括される可能性が高いと考えている。日本はすでに長い間この種の議論をもとに質の悪い政策を乱発し,財政も金融ものっぴきならないところまで来ているのだから,そろそろ目を覚ましてもよいのではないか。
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