世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.987

「なりふり構う」オリンピック・パラリンピックを

湯澤三郎

(ITI 専務理事・世界経済評論編集長)

2018.01.08

 再来年にオリンピック・パラリンピックが迫った。だが聞こえてくるのは経費1兆3,500億円に至るいざこざ,近隣自治体の経費分担をめぐるさや当て,TV画面に躍る代表決定選手の笑顔ぐらいだ。1964年の東京開催と比べて高揚感は今いちだ。

 21世紀の初頭に日本で開催する意義や理念は,一向にはっきりしない。

 生存の危機に陥る環境,激化する紛争,拡大し続ける格差。こうした世界で今,日本はどういう理念を掲げて開催するのか。公共事業を頼みにした経済の浮揚が本音ならば,世界の期待を著しく裏切るものだ。

 各国選手の若さが迸る開会式・閉会式は,どの大会でも同じ平和な光景を演出する。

 参加選手や世界の視聴者にわくわく感を抱かせ,「日本で開催してよかった」と思わせるメッセージが必要ではないか。

 「おもてなし」は開催の理念にはなりえない。理念とは誰もが膝を叩いて大きく頷くような,人間性に根差す普遍的で高邁なものだ。

 少なからぬ世界市民は今,資本の論理の横行によって枯渇し疲弊する生態系の危機に慄く。対話による解決を標榜しながら,戦火に翻弄される現実に途方に暮れる。普通の暮らしすら崩壊に瀕し,希望が遠のく日々に顔色を失う。

 オリンピックの現実を見よう。リオのオリンピックへの参加は206か国だが,過半は途上国が占める。10人以下の選手を送った国は約半分の98か国。一方三桁の選手が参加した国は32か国で,殆どが先進国だった。当然メダル獲得上位10か国は先進国が占めた。

 オリンピック,パラリンピックは科学とカネがモノを言う,持てる国のショウ舞台の観がある。資本の論理そのままに,持てる国が選手の科学的訓練や着衣,靴,用具に至るまで競って極限の可能性を追究している。各国ともなりふり構わずメダルに目の色を変える。揚句は国を挙げてのドーピング騒動になった。

 政治の世界でも「なりふり構わず」の自国主義が跳梁し始め,各国市民は将来に暗雲を感じている。

 東京オリンピック,パラリンピック開催国の日本は,「なりふり構わずメダル数」とは一味違う,もう一つの「なりふり構う」在り方を発信できないだろうか。

 例えば通常のケースとは別に,参加選手10名以下の国に対して,自治体が中心になってトレーニング・キャンプ地への招待を申し出たらどうだろうか。それらの国は殆どが途上国で,経済的な理由から碌に事前トレーニングもままならないだろう。10人以下の選手の滞在費,トレーニング施設の提供は,自治体にとっても実行可能な範囲に収まるのではないか。クラウドファンディングで直接市民に呼び掛ける手もある。

 地元の子供たちにも国際教育のいい機会になる。地元の人々との交流は選手やその母国で応援する全国民に,人肌のぬくもりが伝わるまたとないメッセージとなる。メダルは持って帰れなくても,メダルでは得られない日本人の友情を持ち帰ることになる。

 さらに,地元で個人輸入の才がある人がいれば,選手の母国が誇る産品,名物品を輸入し,商店の傍らに販売コーナーを設けたら如何だろう。選手にとって母国の代表的産品を日本人が買ってくれることは,自国の誇りであり自慢である。母国にとってはメダル以上に嬉しく,誇らしくもある。オリンピック・パラリンピックは一過性だが,商品が地元に愛されれば,それを機に選手の国との絆は継続する。もし地元に同国に駐在したNGOボランティアや企業人,JICAの海外青年協力隊,技術協力専門家として同国で働いた人がいれば,産品の推薦や買い付けの大きな力になってくれるはずだ。地元関連企業が同産品をヒントに,改良品や新商品開発に意欲を刺激されるかもしれない。母国企業との協働の可能性も開けてくる。

 100か国の国民と日本の100地域自治体の地元民が人の絆で結ばれる効果は,少なくとも日本が従来のオリンピック・パラリンピックとは一味違う,「途上国に寄り添う」彩りで飾ることになろう。組織委員会の積極的なリーダーシップを期待したい。

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