世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
MAGA(偉大なアメリカの再現)のアキレス腱:不可避の本格的「黒人の貧困」対策
(国際貿易投資研究所 顧問)
2024.12.16
荒廃したサンフランシスコ中心街
かつて自由貿易を腕力で押し広げた米国が一転,トランプ次期大統領は関税障壁をまたぞろ引き上げるようだ。米国の産業競争力や構造が自由貿易に耐え切れないほど弱体化したと言うべきか,あるいは中国や隣接国等への制裁だというならば消費者を犠牲にした愚策でしかない。今の米国が必要とするのは,MAGA(Make America Great Again=偉大なアメリカの再現)を大言壮語して腕力を振り回すのではなく,病んだ社会をどう立て直すかという暮らしに密着した視点ではないか。まして友好国の信頼を反故にしてGreat Americaはあり得ない。
サンフランシスコ在住の友人が,のっぴきならない街の荒廃ぶりを伝えてきた。「相次ぐ町中のドラッグストアや高級店でも常態化した万引き堂々や静かなる銀行強盗。万引き犯は盗品と思われる新品のブランドものの靴やシャツに身を包み,新品のリュックにストアの棚からお菓子,常備薬,日用品,電化製品などをじっくり吟味しながら詰め込み,客も従業員も注視・非難するなかを慌てるでもなく,木偶人形のような無表情のままサンタのような大きな袋を肩にかけてのっし,のっしと店を出て行く」。静かなる銀行強盗は無言のまま「金を出せ」メモを突き付け,行員は訓練宜しくまた無言でお金を渡すと,賊は静かに退出するという無言劇だ。行内の客は誰も犯行に気づかない。
こうした光景は日常茶飯になり,店舗の閉店少なからず,中心部のユニオンスクエアは廃墟のようだという。選挙前の市民の心情は「この際,もう保守でも共和党でもいいから誰か町の犯罪率を元通りに下げて,廃墟のユニオンスクウェアに活況を取り戻して物価の高騰をストップしてくれたらその人に投票する」とやけっぱち気味だ。
なかば無法状態に陥ったのは,カマラ・ハリスが州司法長官時代(2011〜17年)に推進した法案PROP47(2014年),曰く「約950ドル以下の万引き・強盗・詐欺等は軽犯罪」とした法律が災いとなった。容疑者は逮捕されず,また逮捕されても収監されずに釈放されるという盗人天国を招いてしまった(事態に鑑みた修正法PROP37は12月現在実施待ち)。ハリスは選挙中,「民主主義を守れ,自由を守れ」と高邁な理念を鼓舞したが,他州の有権者はハリスが唱導したこの州法の成り行きをじっと注目していた。
メディアが抑制する黒人犯罪の報道
カリフォルニア州でハリスが勝利したのは,市町村で多少の違いはあれ,トランプ嫌いと不信が,治安悪化の責任糾弾より強かったのだろう。トランプが「Make America Great Again」といくら叫んでもだ。
だがMAGAを繰り返すトランプから,その目指すアメリカの将来像が聞こえてこない。端的に解釈すれば,豊かで真っ当な暮らし,アメリカが輝いていた1950〜60年代の豊かな中流家庭を全米で再現することだろうか。
60年余前と比べたアメリカの変貌ぶりを冷静に観察すれば,今偉大なアメリカの再現を叫ぶのは,さながら夢追い蜃気楼に近いと見える。雇用を支えた製造業の凋落・国外移転,ドルの減価などに加えて人口構造の激変がある。1950〜60年代は勤勉を旨とするプロテスタンティズムに支えられた白人がほぼ9割を占め,経済の主役を果たしていた。その割合は年を追って落ち込み2045年には5割を切りマイノリティー化すると予測されている。(当サイトコラム24年9月16日付No.3483「アメリカ経済に迫る壁」参照)
MAGAに影を落としているのが黒人の貧困だ。黒人世帯は総人口の13.4%にもかかわらず,商品・サービスへの総支出の10%弱と低い。貧困問題は黒人への差別的な事件を契機に沸騰し,2013年以降BLM(Black Lives Matter)デモ,黒人差別に対する抗議が全米を揺るがした。BLMの風波はメディアを巻き込み,黒人犯罪にかん口令を敷かせたかの報道ぶりになった。アメリカ社会が腫れ物に触るような,黒人問題への立ち位置に戸惑い感さえ見られる。黒人犯罪を逐一報道すれば「黒人差別だ」の非難を浴び,逆に表立ってかん口令を敷けば「黒人問題をないがしろにするな」とまた非難が集中する。中には過度のパーフォーマンスで迎合する傾向すら散見されるようになってきた。能力に関係なく,黒人だから昇進させるという例だ。前向きに解釈すれば,黒人の貧困をなんとかしようという,土壇場の禁じ手を打つまで追い込まれたということか。
実際,黒人に対する差別は1965年の公民権法以後も依然として根強く,その経済的損失は2020年までの20年間で16兆ドル,このまま無策で推移すれば今後5年間で5兆ドル,GDP年4%相当を失うという巨額損失となる(City Group 2020年調査)。
MAGAのアキレス腱「募る黒人の貧困度と格差」
米国統計局の報告では2020~23年の間で,全米の公式貧困人口の割合は11.5%から11.1%へと漸減している。だがこのうち白人の9.7%(23年)に対して,黒人の貧困比率は17.9%と8割強も高く,前年と比べ白人の低下傾向に対して黒人は逆に0.8ポイント増加している。
公式貧困度はキャッシュベースで計られる所得を対象にしているが,統計局は貧困度の実態を正しく把握するために,キャッシュベース以外の政府各種給付を「補足貧困度=SPM(Supplemental Poverty Measure)」として発表している。これには低所得者・世帯に対するフードスタンプや学童・出産に関わる女性向け食糧等補助のほか,エネルギー,インターネット,家賃・住宅ローン等への補助,資産税に関わる各種控除などが含まれる。
この各種SPMは低所得者・世帯への直接支援プログラムであるため,臨場感溢れる貧困度の指標になっている。
SPMによる白人の貧困比率(23年)は12.9%,黒人は18.5%といずれも前年より各0.5〜1.3ポイント増加し,同時にキャッシュべースの公式貧困度を上回る。同年の総受給者数4,284万人のうち,白人2,917万人,黒人831万人と数では圧倒的に白人が上回るが,注目すべきは両者の経済格差の深刻さである。
TIAA研究所の調査(2019年)によると,所得の中央値は白人$61,200,黒人$35,400,世帯純資産は白人$171,000,黒人$17,600,副業を持つ正社員は白人28%,黒人42%,住宅ローン返済延滞率では白人14%,黒人46%と,いずれも両者の経済状況の格差は明白だ。
Emanuel Nieves(Prosperity Now)の調査(2017)によれば,格差がこのまま推移すれば黒人世帯は中流にシフトアップするどころか,2053年には保有純資産はゼロになると警告している。ヒスパニックも含め,マジョリティーに踊り出る現在のマイノリティー世帯は,着々と世帯資産ゼロへの下り坂を小走りしている光景だ。
サンフランシスコの店舗略奪の日常化は,黒人の貧困抜きには議論できない。統計局は人種別の犯罪統計を発表していないので,黒人犯罪の数的把握はできないものの,メディアの意識的抑制が逆に黒人犯罪の深刻さを裏書きしている。
差別を見逃し,貧困を深めるベクトルを逆回転させるのは腕力ではない。人間の尊厳に対する深い敬意と愛情が施策の源エネルギーになければならない。先住民を武力で制圧した上に建国し,黒人奴隷の労役と差別を足下に繁栄したアメリカの黄金の60年代は,あだ花の開花に似ている。今また黒人の貧困を「見ないふり」したまま,「世界に「偉大なアメリカ再現」を咆哮するのは時代錯誤そのものだ。「政(まつりごと)は民を養うに在り(易経)」ではないか。状況判断を誤った戦略の末は破綻しかない。国民が治安悪化に戦き,人種間の亀裂は深化拡大,国外の信用・信義を失い,尊敬も吹っ飛んだままで「偉大なアメリカ」はあり得ない。
高らかなMAGA喇叭は,経済的弱者に寄り添うメロディーを奏でるだろうか。
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