世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.933
世界経済評論IMPACT No.933

「イノベーション・エコノミー」とパラドックス

平田 潤

(桜美林大学院 教授)

2017.10.16

はじめに

 先進諸国は2008年リーマンショック以降,経済が回復する中でもデフレリスクを抱え,成長率の伸び悩みに悩まされた。これはとくに雇用の構造的な変化(非正規雇用の拡大,中・高賃金職の減少や削減),労働分配率の抑制などを背景に,個人消費の伸びに持続的な力強さを欠いたことが大きい。次に主要国の潜在成長率を見ても,近年2%台を割り込み低下傾向が続いている米国をはじめ,欧州・日本(GDP改訂等見直しもあり上方修正が見込まれるが,2016年OECD推計値では0.7%の水準)共に,低い状況にある。

 一方2017年になり,世界経済の復調が鮮明化すると共に,先進各国の景況も企業部門を中心に好調さを増しているが,中長期的にみると,各国共通して,労働投入面でのボトルネック要因(人口の伸び率鈍化や減少,少子化の進行や,移民への規制や抵抗等),資本装備面におけるブレーキ(企業のアウトソーシングや,トランスナショナル化により国内投資が抑制される)という困難に,直面している事態には変わりはない。

 そうした中では先進各国共に,今後の持続的成長を実現する「キーワード」として,「生産性向上」「イノベーションの促進」を戦略的に重視せざるを得ない。実際に各国の民間部門〔主に大企業/ベンチャー企業/ファンド等による投資〕,政府部門〔政策対応による投融資/科学技術・学術研究への支援〕が相まって,「生産性向上〔改善〕」に繋がると思われる各種・各分野の「イノベーション」に向け,多くのヒト・モノ・カネ・情報が投入されている。

1 「生産性」と「イノベーション」

 2017年版内閣府「財政経済白書」(以下『白書』)では,第3章で「技術革新への対応とその影響」を展開している。その主なテーマとは,まさに「イノベーション」と「生産性」である。以下,『白書』によれば,日本経済を中長期的に展望すると「少子高齢化・人口減少という人口動態による労働供給の制約があるにも関わらず,日本の労働生産性が国際的にみて低水準にとどまっており」,「今後の経済成長の制約となる可能性」が考えられる。

 そして「現在の日本経済が直面する人手不足と低生産性という2つの大きな課題に対応するためには,技術革新に迅速かつ適切に対応し社会への実装を促すことが,働き方改革と並んで大きな鍵となる。」と結論づけられている。

 2013年にスタートした「アベノミクス」で,三本の矢戦略をテコに,デフレ経済からの脱却に精力的に取り組んだ日本経済であるが,円安・株高による企業業績の大幅好転や,雇用環境の顕著な改善傾向が,企業の投資の拡大,賃金上昇による家計所得の増大・家計消費の堅調な伸びに,順調に繋がっていくという「好循環の実現」には苦戦をしており,景気拡大(期間)こそ長期に持続しているが,個人消費を核とした成長率が期待したほど高まらない状況が続いている。

 そして,人口減少による労働投入の趨勢的減少が不可避となった現在,日本経済成長の要として,女性の一段の雇用市場への参入や,高齢者の活用はもとより,「働き方改革」という雇用面(残業規制や時間管理徹底やワークライフバランスの実現)からの生産性の向上と,「イノベーション促進」による生産性向上が喫緊の課題となっている。

 さらに成長の持続/加速の実現は,日本に限らず欧米先進諸国経済にも共通する大命題であって,今や「イノベーション」の役割は益々増大している。

2 AI(人口知能)シンドロームの到来

 こうした「イノベーション」への期待が大きく高まる中,注目が集まっているのがAI(人工知能)であろう。AI実用化については,最近時の一連の成果もあり,その実現性,ビジネスへの適用性(分野・範囲),いずれも拡大/昂進しており,諸メディアが競って採りあげていることもあって,いわば「AIシンドローム」ともいうべき現象が発生している。そして加速するイノベーション(第四次産業革命)の中でも,とくにICTや先端科学技術が達成しつつあるAIの「異次元的進化」(さらに将来到来が想定されるシンギュラリティ)をめぐる議論が活発化している。一方AIの急速な実用化が進展しつつあるため,これに対する(欧米の)ジャーナリストから,識者/関係者(ICT企業のトップを含む)までをまじえて,(a)AIが人間を多方面の分野で凌駕する,(b)人間の「知性」に取って替わる可能性,(c)AIが人間の職や雇用を漸次置換して奪ってしまうリスク,まで様々な「不安や強い懸念の高まり」が発信されている。

 (c)の議論の背景(および潜在的な問題意識)としては,ICT革命/リーマンショックを機に,欧米諸国(特に米国)の広範な中間層に生じた経済環境の激変(これまでの中間管理職的或は汎用的な知的ジョブのエリアが,ビジネスモデルを革新し高度化したICTプラットフォーム・アーキテクチャーとソフト/コンテンツ等によって代替され,あるいはリエンジニアリングされ,しかもリーマンショック以降リストラやアウトソーシングが加速していった)がもたらした雇用・所得へのダメージ,マイナスインパクトが,非常に深刻であったことを無視するわけにはいかない。

 実際に,AIによって社会の利便性が増す反面,中高度レベルの知的労働が代替され始め,多くの人々に残される雇用分野は,生産性が低いとされ賃金水準も低い〔対面型サービス等の〕労働に益々狭まっていくのではないか,という議論も起こっている。

 こうした流れや議論を考える限り,AIのみならず様々なイノベーションがもたらす多大なメリットに,随伴するかもしれない負の側面,即ち雇用の喪失や消滅,人間の知的労働におけるスキルの代替,無価値化,及びそうした未来・将来が早期に実現することへの懸念や否定は,まさにイノベーションが惹起した,人間/人間社会に対する一種の「反作用・副作用」であり,パラドックスに他ならないことになろう。

 そしてそうした議論のダイナミズムは,多くはロジカルというより,感情的・感性的な反発や忌避に基づいており,欧米社会に広く推定される潜在的不信感(グローバリズムやイノベーションがもたらす成果が必ずしもあまねく国民大衆にWIN・WINをもたらすとはもはやいえない)や,不満(成果の波及は,到底,均質的・公平なものではない),そして漠然とした不安を示唆していると考えられよう。

3 グローバル経済の政策トリレンマ

 さて,経済や市場の拡大・発展・高度化に親和的な「グローバリゼーション」が,実は「国家主権」や「民主主義」といった伝統的かつ正統的な価値概念とは,鋭く背反する(パラドックス)ことを正面から展開したのが,「グローバリゼーション・パラドックス」(ダニ・ロドリック・ハーバード大学教授,2013年)であった。そこで主に展開されたのが「世界経済の政治的トリレンマ」仮説である。

 すなわち①「ハイパー・グローバリゼーション(グローバル化の深化)」②「国家主権(国民的自己決定)」③「民主主義(民衆政治)」を同時に追求することは無理であって,1つは犠牲にせざるを得ず,その選択(政治)が問われるというものである。

 2016年に長期にわたるキャンペーンや,選挙戦を経た上で,「民主主義(投票・選挙)」による選択の結果,英国・米国において「英国のEU離脱」「米国トランプ政権誕生」が示されたことを見ると,先進諸国の中で,これまでこのパラドックスから最も遠いと思われた両国が(両国は,①規制緩和や市場開放を率先して実施推進し,所謂グローバルスタンダードの確立で先進諸国を凌駕してきた,と同時に,②強力な「国家主権」を行使し,国益の実現を追求し,かつ,③民主主義の強固で歴史的な基盤とその実効性を維持し誇ってきた),ついにこのトリレンマに陥り,グローバル政治・経済・社会へのリーダーシップを喪失しつつある,とする識者も多いのではないだろうか。

 現在先進国で根強い存在感を示している「攻撃的ポピュリズム」とは,上記2で示した「パラドックス」として広く蔓延している潜在的な「不信感」「不満」「不安」を,有力な背景・エネルギー源としていると推定されよう。そして

 ①グローバリゼーションが直接・間接的にもたらした大きな成果や,豊かな果実は棚上げした上で,その副作用やひずみ歪みに注目し(反・非グローバリズム),これに対し②国家主権や②民主主義を標榜する座標軸を強力に対置して,支持を集める政治ダイナミズムに他ならないと思われる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article933.html)

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