世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
冷凍牛肉の関税緊急措置の仕組みと問題点について考える
(東京国際大学 教授)
2017.09.04
1.冷凍牛肉に係る関税緊急措置発動の経緯
2017年8月1日から2018年3月31日までの期間,「冷凍牛肉に係る関税緊急措置」(関税暫定措置法第7条の5第1項の規定に基づく)が発動されている。本措置は,WTOウルグアイ・ラウンドでの我が国と主要国との取決めによる特別措置としての緊急輸入制限である。この取決めは,1995年における対日牛肉輸出国の要望によるもので,内容は,1995年から2000年にかけて,日本の牛肉輸入関税をウルグアイ・ラウンド合意の譲許税率50%から段階的に38.5%まで引き下げる一方で,その代償として,「四半期単位の輸入量が発動基準数量(前年同期の117%)を上回れば自動的に50%関税に戻す」というものである。
今回は,2017年度第一四半期の冷凍牛肉の輸入量が,関税緊急措置の発動基準数量を超えたことにより自動的に発動された。発動基準について詳しくみると,①全世界からの3カ月の累計輸入量が対前年度同期の輸入量の117%を超え,かつ②日本とのEPA(経済連携協定)が発効していない国々からの同期間の輸入量が対前年度同期輸入量の117%を超えていることである。2017年度第一四半期の日本の冷凍牛肉の対世界輸入量89,253トンは,前年同期輸入量の117.1%と,基準をやっと超えているのに対して,EPA未発効国からの同期の輸入量は37,823トンであり,前年同期輸入量の124.8%となっている。(農水省ホームページ)。
ところで,WTOの一般的な緊急輸入制限は,「輸入が急増した貨物に対し,同種・競合貨物を生産する国内産業を保護するために課す割増関税」であり,発動のためには輸入急増による国内生産者の損害認定等の煩雑な手続きが必要である。これに対して,今回の緊急輸入制限は上記の理由により発動されるものであるから,その輸入急増が国内の競合産業に損害を与える恐れがなくても,政府の判断により措置を撤回する余地はない。
今回の冷凍牛肉の輸入量増加の原因について,農畜産業振興機構は,中国の米国産牛肉輸入解禁報道による先高懸念から一部業者が輸入を急いだこと,オーストラリア産牛肉が干ばつで高騰し米国産を多く買い入れる動きが出たことなどを挙げているが,いずれにしても特殊要因による一時的な輸入急増とみられる。
2.EPA(経済連携協定)未発効国からの輸入に適用
今回の冷凍牛肉の緊急輸入制限による関税引上げは,日本とEPAを締結している国には適用されない。日本の牛肉の輸入先は,2016年度においてはオーストラリアが約53%,米国が約39%,ニュージーランドが約3%,その他の国々が約5%となっている。牛肉の二大輸入先ひとつ,オーストラリアでは2015年1月15日に日豪EPAが発効しているために,オーストラリアからの冷凍牛肉輸入には今回の関税緊急措置は適用されない。
オーストラリアは,これまでに日本が締結した二国間EPAパートナーで最大の貿易相手国であり,牛肉は日本の対オーストラリア輸入の2.7%程度を占める品目である。EPAによって日本の対オーストラリア牛肉輸入関税率は段階的に引き下げられており,冷凍牛肉については2017年度には27.2%,2031年度には19.5%となる。ただし,EPAを締結している国との間でも,日本の牛肉輸入が一定量を超えた場合の緊急輸入制限の規定自体は設けられているが,日豪EPAの場合には1年間の輸入数量が発動基準となっており,発動後の関税率は38.5%と,EPA未発効国に対する緊急輸入制限の50%に比べて低い。
今回の緊急輸入制限措置におけるEPA発効国と未発効国での非対称性は,FTA(自由貿易協定)/EPAによって安定した強固な貿易関係を築くことが可能となることを示すよい例である。一方で,FTA/EPA未締結国の米国については,TPP(環太平洋経済連携協定)への参加を見送っていることのデメリットが浮き彫りになっている。
米国のパーデュー米農務長官は,本措置発動直前の7月28日に日本の本措置発動について日米貿易関係を害するものとして批判しており,米国の食肉団体からも日本政府の対応を求める声が出ている(『日本経済新聞』2017年7月29日付)。本措置発動により米国産牛肉輸入のFTA締結国からの輸入への切り替えはある程度進むとみられ,米国の牛肉生産者への影響に関して,2017年10月に予定されている日米経済対話でどのような話合いが展開されるのか注視したい。
3.本措置の影響と今後の対応の必要性
8月1日の本措置発動後,関税引上げによって米国産の冷凍輸入牛肉価格は,牛丼店などで使用されるショートプレート(ばら肉)で上昇傾向を示し,本措置発動直前に783円〜803円であったkg当たり単価(消費税を含まない)は,発動後には807円〜833円となっている(農畜産業振興機構の調査による)。農水省では「小売価格に関する牛肉価格相談窓口」を設置しているが,これまでに特に相談は入っていないとのことである。
今後,人気のある部位の米国産冷凍輸入牛肉価格の上昇が加速されたとしても,もともと安さを求める日本の米国産牛肉使用業者は,卸値が2倍程度である国産牛への需要切り替えを行うことはなく,一部の外食産業でのFTA締結国(オーストラリア,メキシコなど)からの輸入品への切り替えや,スーパーでの特売回数減少などで対処するとみられる(『日本経済新聞』電子版・2017年8月16日付)。つまり,輸入牛肉と国産牛肉は差別化により代替可能性が低いため,本措置による現時点での影響として国内牛肉生産者へのメリットよりも,スーパー特売減少等での国内牛肉消費者へのデメリットが生じていると考えられる。
先述したように,過去において,日本の牛肉輸入関税を譲許税率50%から段階的に38.5%まで引き下げたが,これによって生じた国内生産者の影響について見てみると,1989年から増加していた国内牛肉生産量が,関税引下げ開始直後の1996年に大幅に低下し,輸入量増加と国内生産量減少の傾向は関税引下げ完了直後の2001年まで続いた(農水省統計による農畜産業振興機構の資料)。こうした事実をみると,関税引下げ当時は,無秩序な輸入を抑制する意味で関税緊急措置の設置が必要であり,国内生産者の安心に繋がったと言える。しかし国内生産者のその後の努力により,農家一戸当たりの肉用牛の飼育頭数が大きく増加して生産効率化が進み,日本産牛肉としての競争力も向上した。こうした背景を考えると,今回の措置発動は,国内生産者保護を目的とする関税緊急措置の現在における存在意義について議論するよい機会を提供したと言えよう。
本措置の発動を抑えることに繋がる改善策として,「制度の発動基準となる期間を長くする」という提案もなされている(『日本経済新聞』2017年8月2日付)。四半期より長い期間での輸入数量増加を発動基準にすると,一時的な特殊要因等による輸入急増時の本措置発動がある程度抑えられる。しかしながらこうした改善策に留まることなく,過去の国際交渉の中で認められた制度として続いてきた本措置に関して,ウルグアイ・ラウンド後の時代の流れの中で生じた変化に対応した抜本的な改革への議論を進めることが重要であると考える。
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松村敦子
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