世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.880
世界経済評論IMPACT No.880

流行の経済学と国際開発過程

宮川典之

(岐阜聖徳学園大学教育学部 教授)

2017.07.24

 そのとき流行の経済学と国際開発問題との関係は,開発経済学が生誕したときにすでに見られていた。この分野で口火を切ったのは,ローゼンスタイン=ロダンのビッグプッシュ説(1943)だったし,その後プレビッシュとシンガーによる一次産品の対工業製品交易条件の長期的悪化説(1950),そしてアーサー・ルイスの余剰労働移動説(1954)などがもてはやされた。これらの学説はいずれも初期構造主義経済学として特色づけられる。そしてそれらは,とくにブレトンウッズ体制の一角を占めた国際復興開発銀行(IBRD)すなわち世界銀行の中核を占める主要学説となった。もっと具体的にいうなら,ツー・ギャップ説(外国為替ギャップと貯蓄ギャップ:1960年代),および伝統的部門から近代的部門への労働移動説(ルイス・モデルから派生した期待賃金モデル:1970)が優勢的位置を占めた。ところが1970年代の世界経済の混乱——ドル・ショック,石油ショック,スタグフレーションの蔓延,および経済学の分野で繰り広げられたケインジアン=マネタリスト論争など——とともに,構造主義の影響力は低下する。

 1980年代には債務累積問題が発生し,新古典派経済学が復権する。その極めつけが,1990年代に一世を風靡したワシントン・コンセンサスだ。スローガンとなったのは,貿易の自由化,金融の自由化,資本の自由化,および公的部門の民営化などだった。これらの政策パッケージは,新自由主義経済学(ネオリベラリズム)的な処方として知られる。しかしこれも前世紀末に起こったアジア経済危機によって後退を余儀なくされ,スティグリッツやアマルティア・センおよびダグラス・ノースらによる制度重視の経済学の影響が大きくなる。この変化を言い換えるなら,「すべての価格を適正にせよ」から「すべての制度を適正にせよ」というスローガンに移行したというわけだ。

 IMFと世界銀行の政策スタンスも,構造調整貸付(SAL)方式から貧困削減戦略文書(PRSP)方式へと転換する。そして国連開発計画(UNDP)によって人間開発指数(HDP)が提示され,それが開発尺度として次第に重視されるようになる。

 近年,さらに新しい動きが見え始めた。行動経済学もしくは実験経済学の影響がそれだ。この分野で最も有名なのはカーネマンによる『ファスト&スロー』(2011)である。筆者なりに開発論の分野に応用可能なキーワードを拾いあげてみると,まず参照点への顧慮,エコンとヒューマンとの行動の違い,およびアニマル・スピリットなどだ。たとえば参照点についていえば,農村から都市への労働移動モデルにおいて仮定される余剰労働の移動の主体は,農村部門において得られる賃金所得を参照点として都市部門で期待される賃金所得とをあらかじめ比較したうえで移動しようと意思決定するであろう。こうした事情は中国での経済特区への労働移動や,東南アジアでの似たような労働移動において見られるであろう。さらには構造主義が影響力を有していた時期だけれど,ラテンアメリカの主要国やインド,インドネシア,ガーナ,およびエジプトにおいて試みられたいわば高度な輸入代替工業化戦略は,ときの為政者(ネルー,スカルノ,エンクルマおよびナセルなど)が合理的に考えるエコンではなくていずれかといえば国家としての威信を重視するようなヒューマンつまりアニマル・スピリットによって心理的作用を受けたものと解釈されよう。

 最後に現在さまざまな地域の開発過程において試みられようとしている政策として,リチャード・セイラーによって提示された「スマート・ナッジ」が功を奏しつつあるように思える。これにあえて日本語を当てるなら,「絶妙の一押し」とでも言おうか。たとえばアフリカにおける医療アクセスとして蚊帳の配給や麻疹の予防接種などへの補助金政策などがそうであり,教育の分野では実験経済学の一例として,教科書配布と成績との因果関係の実験(ランダム化比較実験)などがあげられる。じつはこれらはいずれも,センによる「人間開発」の増進の具体化として捉えられるのである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article880.html)

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