世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.825

アメリカにおける中年白人労働者層の高死亡率が語る重い現実とその打開

関下 稔

(立命館大学 名誉教授)

2017.04.10

 世界を震撼させたトランプ新大統領の就任から3ヶ月近くが経過した。就任早々,かねての公約実現を目指して次々と大統領令を連発して,政策転換を強く印象付けようとした。TPPからの離脱や核軍事力の強化,それに温暖化対策の見直しなどの対外政策面には多くの外国政府は冷ややかな反応を示しているが,アメリカ国内での利害に直結する,イスラム圏からの入国禁止は憲法違反に問われたり,その後の重要人事の議会での承認が滞ったり,そして最近は最大の目玉の一つであった,「オバマケア」を廃止して,それに代わる新たな医療保険制度案の提案に関しては,肝心の与党共和党内での統一が図れず,議会への提出を断念する仕儀に至った。そして国内での強い反発によって支持率は今や30%台に落ち込んでいる。このままでは連邦法人税の15%への引き下げや海外移転企業への「国境税」の課税や巨額のインフラ投資やメキシコ国境への壁建設など,予算措置が伴い,議会の協力が不可欠な政策実施にはさらに多くの困難と紆余曲折が予想される。

 ところで,トランプ当選に大いに力となったのは,「ラストベルト」といわれる伝統的な工業地帯における白人低所得層の支持であった。その背景にはIT化と情報化の進展に取り残された,これら働き盛りの人々の強い不満があった。あふれかえる安い外国製品の輸入や外国人移民労働者の存在などが要因となっている。これらはグローバル化の先陣を切ったアメリカ巨大製造企業の海外雄飛の結果,反作用としての国内経済の「空洞化」を生み出し,かつ深刻化してきたこの半世紀近くのアメリカ経済の宿痾であった。そこへ持ってきて,看過できないデータが最近注目され始めた。それは本来は働き盛りであるはずのアメリカの白人中年層の死亡率が,世界的——特に先進諸国——に見て,極めて高いことであり,しかも21世紀に入って増大してきていることである。それは低技能白人労働者が豊かになれずに取り残されてしまったということと結びついているのは容易に推理出来る。加えて社会保険が十分ではなく,再教育=訓練費も少なく,失業者への支援も弱い。肝心のセイフティネットが底抜け状態である。精神的にも追い詰められ,アルコールや医療用麻薬であるオピオイド(鎮痛剤)への依存や,さらに銃が容易に手に入るため,自殺者も増加している。医療保険も貧弱である。崩壊時におけるソ連での男性の無気力さや自殺の蔓延を想起させられる。この原因を探ることは極めて大事な課題であるが,残念ながら,経済学はそれらの諸原因に軽重のウェートをかけつつも,総体として判断していくため,ポイントを押さえた的確な解を見つけ出すことがかえってできにくい。

 こうした状況を見るにつけ,2016年のカンヌ映画祭のパルムドールを受賞したケン・ローチの「わたしはダニエル・ブレイク」を連想する。この映画はイギリスの物語だが,中年の腕の確かな大工が長年にわたる妻の介護の甲斐もなく,その死去によってたった一人になったうえに,心臓疾患のため,働くことを医師に止められる。しかし行政は働けると判断していて,必要な手当を受けられない。職業安定所で同様に支援を得られない2児を抱えたシングルマザーと出会い,貧しいもの同士が助け合って,必死に生きていく姿が描かれている。切実な現実に根ざしたケン・ローチの映画は常にわれわれに感動を与え,深く考えさせてくれる。地底に潜る炭鉱夫の兄から預かった宝くじを買う金を自分が密かに飼っていたハヤブサのえさに使ってしまう少年(「ケス」),メキシコからアメリカへの不法移民女性が夢と違って,低賃金かつ無権利でこき使われる境遇から団結の尊さを知る「ブレッド&ローズ」,イギリスへの旧ソ連・東欧の移民を心ならずも劣悪な労働現場に送り込む仲介業の女性(「この自由な世界で」)など,いつまでも忘れられない映像を残してくれる。現実を直視し,個人的な心情ではなく,抜き差しならない関係に陥らざるを得なくなる客観的な社会関係として登場人物を創造していく,その創造力が冴え渡っている。

 見終わったあと,深く考えざるを得なくなり,一層の感慨に心揺さぶられる。今回も改めて,IT化のなかでの「デジタルデバイデッド」とはなにか,人間らしく生きていくことの誇りの大切さ,そして貧しい者同士の連帯の意味について深く考えさせられた。

 これは豊かで社会保障が整っているはずの先進諸国における深刻な実態と,その中でもがき苦しんでいる庶民の姿をリアルに活写して,共感とともに普遍性を帯びて迫ってくる。我が国でも高齢化の中での「働き方」が問われているが,働いて生きていくための主体の自覚と覚悟と権利主張,そのための仕事の保障と支援,そして人々の連帯の輪の広がりが何よりも大事なことを物語っている。件のアメリカは今その岐路に立たされている。

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