世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
オプジーボの教訓:イノベーションの成功実数を増やすには?
(愛知学院大学 教授)
2017.01.23
最近,知財やイノベーションの価値評価に関することを考えさせられたのが,癌治療薬のオプジーボの件である。オプジーボは免疫治療薬という新薬であり,癌による体内の免疫抑制機能を解除して癌細胞を免疫細胞に攻撃させるというメカニズムを発現させる。1992年に本庶佑教授の発見をきっかけにして小野薬品との共同で開始され実用化された。実は免疫治療は放射線治療,化学療法などのこれまでの癌治療を刷新する画期的なイノベーションであり,ノーベル賞候補にも挙げられている。
近年,医薬品業界の変化に影響を与えたのは,緊縮化する社会保障政策である(伊藤邦雄:2010)。多くの先発薬が特許切れしてジェネリック医薬品が台頭し,薬価切り下げによる医療費抑制政策も強化された。前者は後者とは関連するが,いずれも企業のイノベーション価値の制約に繋がるものであり,メーカーにとっては大きな障壁である。こうした国家政策は企業の開発意欲を削ぎ,イノベーション創出を妨げるものであるとの指摘がある。オプジーボの場合は医療費抑制政策の観点から薬値が50%に切り下げられるという。確かに医薬品業界は厳しい環境下にある。
実はイノベーションが創出企業に対して必ずしも経済的収益をもたらすものでないことは,よく知られている。このことについて,ティースはイノベーションを収益化に結び付ける5つの評価要素を指摘している。イノベーションの専有可能性は業界特性,技術特性,特許などの「強さ」によって決定され,状況によって強弱が変化することがある。オプジーボの場合は,ノーベル賞級のイノベーションであっても,必ずしも強い専有可能性を発揮して経済的なリターンを確保できない。専有可能性とは,経済学用語であるが,イノベーションによる利益をどの程度確保することができるのかを意味する。
イノベーション創出には価値創造と価値獲得の局面があると考えられる。前者はイノベーションを創出する局面であり,研究開発という行為を効果的にイノベーションに結び付けることが必要となる。また後者はイノベーションを実用化して独自なビジネスモデルを構築するなどの仕組みによって経済的リターンに結び付ける局面である。両局面が共に達成できなければ,イノベーションを収益化することは現実には難しいのである。オプジーボの場合は,価値獲得すなわちリターンについて,国家政策から制約条件が設けられたことになる。
さて,それでは小野薬品は,どうすれば専有可能性を確保でき,強固なビジネスモデルを維持することができるのだろうか。価値獲得まで到達できるイノベーションは実数としては少ない。秘訣は成功率よりも全体数を増やして,成功率は下がっても成功実数を追求すべきである。医薬品業界構造の特徴はクローズドな垂直統合型であるとされてきた。メーカーは新薬研究開発を自社独自で達成し,専有化を図るというのが定石である。新奇かつ有望な技術シーズについて入手するには,主としてM&A戦略を進めて,クローズドな囲い込み型のビジネスモデルを確立しようとする傾向がある(伊藤邦雄)。かつてICT業界においても同様の傾向があったが,2000年以降は水平分離型に転じたことはよく知られている。すなわちオープンイノベーションが進んだわけである。実は小野薬品はオープンイノベーションに気づいており,既に開始している。例えばブリストル・マイヤーズとの免疫治療薬の共同開発すなわち提携がそれである。肝心なのは,生み出していくイノベーションの実数をこうしたオープンイノベーションで増やすべきである。成功率を意識しすぎると失敗を意識しすぎて慎重になり過ぎる。垂直統合型のクローズドイノベーションは成功率を上げるかもしれないが,取り組み数は伸びず,成功実数は少なくなるであろう。
垂直統合志向の強い医薬品業界においてもオープンイノベーションがなされていないというわけではない。創薬分野のパテントプールが少数ではあるが出現している。例えば,途上国の患者の治療機会を改善しようとする「医療アクセス問題」改善のためにHIV/AIDSや熱帯病疾患を対象にする活動がある。ゲノムに関する創薬のR&Dに関して,企業や政府機関などが,Structural Genomics Consortium という特許調査データベースコンソーシアムを創設し,ICTパテントプールとして実績のあるMPEG LAが2012年に設立したLibrassayは,ゲノム解読を必要とする医療診断に関するパテントプールである。バイオテクノロジー創薬のために企業や団体などは国際研究共同体であるSNP Consortium のゲノム配列特許検索用パテントプールがある。
こうした取り組みは,企業別の垂直統合型のビジネスモデルよりも,成功率は下がるかもしれないが,結果として開発コスト・時間の低減化に貢献し,なによりもイノベーションの成功実数を増やすであろう。イチローではないが,打率よりも安打数を意識すべきである。
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梶浦雅己
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