世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.748

「油・食・銃(ゆ・しょく・じゅう)」で考える日ロ関係

榎本裕洋

(丸紅経済研究所(経済同友会出向) シニア・アナリスト)

2016.11.07

 日ロ外交が活性化しているようだ。日ロ両首脳の高い国内支持率と,両首脳間の信頼関係に加え,安倍首相が5月にプーチン大統領に提示した経済協力プラン8項目が日ロ関係に肯定的な影響を与えている,というのが大方の見方だろう。18歳の時にロシア語を学び始めてから四半世紀以上にわたってソビエト・ロシアを観察し続けてきた筆者としては,非常に喜ばしい気持ちと,「また期待を裏切られはしまいか」という疑いの気持ちが混ざり合った,複雑な心境だ。一方,世間では「油価下落と経済制裁で追い詰められたロシアが相手なら,交渉は簡単にまとまるだろう」といった,ロシアを甘くみた楽観論が強まってはいないだろうか。以下3点指摘したい。

 第1に指摘しておきたいのは,依然としてロシアは超大国だということだ。国家の実力を計る方法は様々だが,筆者は経済力に加え,「油・食・銃(ゆ・しょく・じゅう)」の3要素を重視している。「油(ゆ=エネルギー自給率)」・「食(しょく=食料・穀物自給率)」・「銃(じゅう=軍事力)」こそが,世界から孤立した場合に国民の命を守る国力のバロメーターと考えているからだ。G7にブラジル・ロシア・インド・中国を加えた11カ国について調べると,ロシアのエネルギー自給率は11カ国中1位で183%(日本は6%で同11位),穀物自給率は同3位で124%(日本は28%で同11位),軍事支出額は同3位(日本は同7位)と彼我の差は大きい。もちろん,世界と協調し,自由貿易を続ける限りにおいては「油・食・銃」はさほど重要ではない。むしろ戦後の日本は,これら「油・食・銃」に事欠く国だったからこそ,国際協調を重視し,自由貿易を通じて国家を発展させることができた。しかし,そんな日本にとって,孤立を恐れぬ意志と能力を備えたロシアとの交渉は容易ではなかろう。

 第2に指摘しておきたいのは,ロシア経済が底堅いことだ。直近2016年4-6月期の実質GDP水準は,直近ピークだった2年前の2014年4-6月期の実質GDP水準と比較しても,2年間で5.1%しか低下していない。主要輸出品である原油価格が暴落し,西側諸国から経済制裁を受けているにもかかわらず,である。参考までに言うと,リーマンショックを受けた2009年の日本の実質GDP水準は1年間で5.5%低下している。当時の日本ではいわゆる「派遣切り」が社会問題となったが,ロシアはどうだろうか。ロシアの失業率(原数値)は直近8月で5.2%と2014年8月の4.8%と比較すれば0.4%悪化しているが,歴史的にみればまだまだ低い。一部の日本人がイメージするような,「追い詰められた状況」とは程遠いといえる。

 第3に指摘しておきたいのは,日ロ交渉の主要テーマである領土問題は安全保障問題だということだ。日本人の中には「経済問題>安全保障問題」と考える人もいるかもしれない。しかし,ロシアも含む多くの国家にとって,「安全保障問題>経済問題」である。実際,西側社会はロシアに対ウクライナ政策を緩和させるべく経済制裁を課しているが,ロシアは微動だにしない。また,ロシアがクリミア併合作戦に着手するにあたって,経済閣僚は会議に参加しなかったとの話もある。従って,日本がいかに魅力的な経済協力プランを提示しようとも,それが安全保障問題である領土問題を動かす直接のテコにはなり得ないと考える。

 結局,領土問題が安全保障問題である以上,これを動かすのは両国間の信頼関係しかない。互いに相手国のために何ができ,何ができないかを駆け引きなく率直に語り,そして約束したことはお互い着実に実行するしかない。安倍首相が提示した経済協力プランもその中の1つだ。静かな環境の中で日ロ両首脳が信頼関係を深められることを祈りたい。安倍首相は2021年まで,プーチン大統領は2024年までトップを務める可能性があるというのだから,これは正に千載一遇の機会である。

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