世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.652

台湾・蔡英文新政権の対TPP・RCEP戦略

大庭三枝

(東京理科大学 教授/国際政治学)

2016.06.06

 今年5月,台湾において民進党の蔡英文氏が総統として就任した。台北の裕福な家庭の生まれであり,ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得したインテリであり,しかし政治の世界に縁故はなく清廉なイメージを維持している台湾初の女性総統が,今後どう舵取りしていくのか,個人的に大変興味を持っている。

 そして私の研究テーマであるアジアにおける地域統合の政治的分析という観点からも,彼女および蔡政権には注目している。彼女は就任演説で,台湾が「持続可能な発展を目指す新たな経済モデルを打ち立て」る改革の必要性を訴えたうえで,こう明言した。「改革の第一歩は,経済の活力と自主性を強化し,世界各地及び地域とのリンクを深めることです。多角的,及び二者間の経済協力協定,もしくは自由貿易協定交渉を積極的に進めます。ここにはTPP(環太平洋パートナーシップ協定),RCEP(東アジア地域包括的経済連携)などが含まれます。そしてさらに『新南向政策』を推進することで,対外経済のスケールを広げ,多元性を高め,かつての単一市場に依存していた現象から抜け出すのです」(出典:「蔡英文新総統の就任演説」Radio Taiwan International ホームページ)。

 蔡英文の前任者である国民党の馬英九総統も,台湾のFTA戦略には積極的であり,また台湾のTPPやRCEPへの参画の重要性を訴えてきた。中国とは「両岸経済協力枠組み協議(ECFA)」を構築し,中台間の経済交流のさらなる進展と政治関係の安定化を図るとともに,「台湾・ニュージーランド経済協力協定(ANZTEC)」,および「台湾・シンガポール経済パートナー協定(ASTEP)」など,国交のない国々と,実質的にはFTAと呼べる協定を結んできた。馬政権は,中国との良好かつ濃密な関係を深化させることでその支持を得つつ,他の国々との実質的なFTA関係を広げていこうという戦略をとっていたといえる。馬政権にとって,TPPやRCEPへの参画はそのような,「中国の傘の下でのFTA拡大戦略」の延長線上にあった。

 しかし,蔡新総統の就任演説の中のTPPやRCEPへの言及は,馬前総統の戦略とは明らかに異なる文脈で語られている。すなわち,蔡英文は,経済的な中国依存を脱却のための方策として,TPPやRCEPへの参画を進めようとしているように見受けられる。いわば「中国からの自立性の確保戦略」の一環としてこれらを位置付けている。

 こうした蔡の対中自立戦略は,一つには馬政権期,さらにその前の陳水扁政権期を通じて進展した台湾経済の中国依存が目に見えて進んだことに対して,台湾の人々から強い危機感が示されたことに応えるものである。今や台湾経済は中国経済なしではやっていけなくなっており,また台湾の経済人たちはビジネス上の観点から中国との関係を重視している。他方2014年の「ひまわり学生運動」は中国依存をより深めるであろうと見なされた「両岸サービス貿易協定」承認を強行採決しようとした国民党およびそれに同調した行政院や馬総統に対する激しい反発を示すものであった。この運動が結果的に「勝利」し,結局この協定の採決が見送られたのには,台湾政府内部の権力闘争も影響しているとはいえ,台湾経済のこれまで以上の中国経済への依存や,それに伴って中国の台湾に対する政治的影響力がより強まることに対する反感が,馬政権(や中国)が想定するよりも非常に大きかったことを示していよう。

 もう一つ指摘したいのは,蔡英文の対中自立戦略が,台湾の人々の描く「台湾のかたち」と深い関係にあることである。彼女のこれまでの発言から読み取れるのは,我々は台湾人であり中華民国人(中国人)ではないというアイデンティティを持った人々が今台湾では多数派を占めつつある中で,「台湾独立」という中国を過度に刺激し台湾のみならず東アジア情勢を不安定化させるカードを出さず,いかに実質的な台湾の自立を目指していくか,というテーマに取り組もうという姿勢である。台湾人アイデンティティを持った人々は,中国との統一は望んでいない。他方,彼らの多くは,台湾の独立をも望まず,現状維持を支持しているという。その意味で台湾の人々は現実主義者である。蔡英文は,そうした現実主義を踏まえつつ,しかしあくまでも中国には飲み込まれず自立を目指すという戦略の中に,RCEPやTPPへの参加を位置付けているように見受けられる。

 そもそも,東アジアにおける実際の経済的社会的相互依存や経済発展の中で,台湾は重要な位置を占めている。また,中国の台頭に伴い,日本をはじめとする地域諸国にとっての台湾の戦略的重要性は増している。にもかかわらず,「一つの中国」原則と関連した特殊な国際的地位ゆえに,台湾は,国家間レベルで進みつつある東アジアの地域経済統合の試みから概ね排除されていた。台湾のTPPやRCEPへの加盟の実現は,そうした経済における実態面と国家間レベルで進みつつある地域経済統合の試みとのズレの解消につながる。蔡英文が具体的にどのような手を打つのか,またそれに対し各国がどう対応するのか,目が離せない。

[参考文献]
  • 川島真「台湾の116選挙の読み方:戦後台湾と東アジアの岐路に立つ蔡英文・新政権」2016年2月2日Nippon.com(http://www.nippon.com/ja/editor/f00038/)
  • 竹内孝之「蔡英文政権の登場と中台関係の展望」『アジ研ワールド・トレンド』No.248』2016年6月,43-46ページ。
  • 野島剛『台湾とは何か』ちくま新書,2016年。

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