世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.575

TPPの地政学的意味

安室憲一

(大阪商業大学 教授)

2016.01.11

 TPP(環太平洋経済連携協定:Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)は,早ければ2016年の内に日米を含む主要国(加盟12カ国のGDP合計の85%以上の国々)によって締結されるだろう。この経済連携は「戦略的」という名称が示すように,ある意図が込められている。おそらく10年後には,その意図がわれわれの目に見える形で現れるだろう。ここでは,TPPが秘めている「戦略性」について論じてみたい。

 20世紀人は,21世紀は国境の壁が取り除かれ,人・モノ・カネ・情報が自由に行きかう薔薇色の世界が来ると信じていた。ところが,新世紀は同時多発テロによるニューヨーク貿易センタービル崩壊から始まった。薔薇色のグローバリゼーションの夢は崩れ落ち,テロリストの暗躍と国家主義が幅を利かす時代が始まった。現代人の多くは,国家主義や民族主義は第二次世界大戦で終わり,宗教的ないしイデオロギー闘争は社会主義圏の崩壊で解消されたと考えていた。ところが,中国の台頭が国家主義と民族主義を,そしてイスラム原理主義者が宗教による闘争を復活させた。このことが死語になっていた「地政学」(Geopolitics)を生き返らせた。われわれは,再び陰鬱な国家主義とイデオロギー対立(宗教戦争)の時代に引き戻されようとしている。TPPは,連携国が団結して,この現実を生き抜くための戦略なのである。

 TPP加盟12カ国を見てみよう。いくつかの例外はあるが,典型的な海洋国家である。アルフレッド・セイヤー・マハン(『海上権力史論』)の言う「シーパワー」である。これに英国が加われば,アングロ・サクソン系の海上権力機構が出来上がる。他方,加盟しなかった国々は,ハルフォード・マッキンダーの主張する大陸国(ハートランド)である。このユーラシア大陸の中央部分を占める「ハートランド」国の周辺,つまりユーラシア大陸の沿海地帯が,ニコラス・スパイクマンの主張する「リムランド」と言える。シーパワーとランドパワーの抗争は,どちらがリムランドを味方に引き入れるかの競争になる。この地政学のパラダイムが今日のTPPを解明する鍵となる。

 シーパワー諸国にとって,ハートランドと交易するためには,海上輸送路の確保が死活的に重要になる。国際貿易も国際投資もすべて航行の自由が前提となる。TPPの諸原則は,自由な経済活動を保証する「グローバリゼーションの憲法」と見ることができる。他方,ランドパワー国にとって,テリトリー内での支配権確保が死活的に重要な課題である。多民族から成るハートランドは,政府の中央集権が弱体化すれば民族主義が頭をもたげ,テリトリーの周縁部分から紛争が始まる。確実に内部固めをし,外部からの悪影響を遮断するためには,周辺地域(リムランド)を制圧しなければならない。ところが,シーパワーはリムランドという玄関口を失うと,ハートランドに近づけなくなる。そこで,シーパワーとランドパワーは,リムランドの支配権をめぐって対立するようになる。通常,シーパワーがランドパワーを脅かす形になるが,ランドパワーが力をつけて海上に勢力を伸長することがある。ランドパワーの海上進出によって,シーパワーが航行の自由を脅かされるとき,その緊張は頂点に達する。

 TPPはアメリカを中心とするシーパワーの連合であるから,台頭するランドパワーを抑止する軍事同盟に転化しやすい。両パワーの勢力争いは,リムランドへの影響力行使となって現れる。その典型が韓国である。半島国家の韓国は,シーパワーとランドパワーの狭間を揺れてきた。中国に隣接する北朝鮮はランドパワー側であるが,韓国は今までシーパワーに属していた。ランドパワーである中国の戦略は,リムランドに相当する韓国をランドパワー側に組み入れることである。これを阻止することがシーパワー勢力の戦略となる。したがって,韓国のTPP参加は歓迎されなければならない。賢明な韓国は,日中韓のFTAと日米のTPPを繋ぐ連結ピンの役割を果たそうとするだろう。TPPが諸島連合の性格を持つのなら,当然,インドネシアやフィリピンも参加すべきだろう。こうして,21世紀初頭の中国の台頭と海外進出は,「地政学的世界観」を復活させる。TPPが「戦略的」であるのは,まさにそれ自体が現代の「地政学」を意味するからに他ならない。

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