世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
前門のトラ,後門のオオカミ:トランプとEUと日本
(東北大学 名誉教授)
2025.04.28
「トランプが殴ってきたら殴り返さないと,さらにひどく殴られる」。トランプ1.0の鉄鋼・アルミ関税などの経験を踏まえた欧州(EU)議会の重鎮の発言だ。今回も,トランプ2.0の鉄鋼・アルミ関税25%に対してアメリカの家禽肉・オレンジジュース・豪華ヨットなどに対して合計210億ユーロ(3兆3千億円)相当の報復関税を発表した。
だが,その後自動車関税25%,さらに相互関税20%が発表されると,発動を停止,交渉へ切り替えた。EUの交渉方針は「工業品の関税をEU米双方がゼロにする」という自由貿易強化策である。だが,トランプ2.0政権は高率の関税を赤字財政是正の財源また国内への外国製造企業呼び寄せの手段と位置づけていて,EUの提案に乗ってくる可能性は低い。承知の上での交渉方針なのだろう。
トランプ2.0はEUを敵視し,EUの民主主義を非難して,「親ロシア・ドイツのEU離脱」を主張する極右政党AfDを全力で応援した。今日の米欧対立は関税を遙かに超えて根が深い。EUにとってトランプ2.0はまさしく「前門のトラ」,戦略が必要なのだ。
後門のオオカミ
米・中・EUは世界の3大貿易国(地域)である。EUが中国と自由貿易体制強化の方向で手を結び,新興諸国やTPPなど自由貿易地域に働きかけて,アメリカを孤立させる方向で共同行動をとることができれば,世界の自由貿易体制の延命に有益であることは言を俟たない。
だが,圧倒的な競争力と過剰生産をかかえる中国の輸出品が,トランプの高率関税で行き場を失いEUに押し寄せてきたら大変なことになると,EUの産業界は戦々恐々なのだ。「米国以上に中国が怖い」という。「前門のトラ,後門のオオカミ」が共にEUをにらんでいる。
中国はポストアメリカの世界自由貿易を主導できない
習主席は先日ベトナム,マレーシア,カンボジアを訪問して自由貿易体制の盟主のように振る舞った。だが,実像はどうなのか。
第2次大戦後のGATT/WTO体制の成功のカギは,基軸国アメリカが自国の巨大市場を世界に開放し,大規模輸入を続けたことである。日独は急激にキャッチアップし,フランスや南欧諸国などかつてのEUの保護主義国もWTO体制移行の1990年代に自由貿易体制へ切り替えた。
ところが中国は「中国製造2025年」や「双循環」政策が示すように,重化学工業部門・先端製造業部門で圧倒的な世界優位を獲得して「中国は世界から自立し,世界を中国に依存させる」という<大方針>をとっている。中国と本当の自由貿易を進めると,自国の製造業が危うくなる。
GATT/WTOのモデルは国民国家なのだが,中国は14億人の帝国である。知期間また都市と農村の格差を利用して,ハイテク品からローテク品まで輸出力が強い。東部の高賃金地域でも「シーイン(SHEIN)」のように主婦の低賃金労働を巧みに利用するなどして超安価品を製造したりもできる。
中国の自動車市場ではEV化の波に乗ってBYDなど中国企業が躍進し,日独米など西側諸国の販売シェアは2020年の62%から24年37%に縮小,日独米メーカーの立場はいずれも苦しい。ASEAN諸国でも日本メーカーは追い込まれている。「前門のトラ,後門の狼」は日EUに共通なのだ。
アメリカがWTOに背を向けたのは,自由貿易原則にそぐわない中国のやり方を提訴してもWTOが適切な措置を執らないという不満が募ったからである。WTOは中国を得てアメリカを失ったのである。
CPTPPに中国を加盟させる?
先日の日経に「TPP12を拡大し中国を入れるべきだ」という主張が出ていた。中国の競争力や上述した中国の“大方針”を認識した上での発言なのだろうか。共産主義型の国家主導の長期産業政策と膨大な国家補助,激烈な企業間競争,そこで鍛えられる技術力と低賃金が重なって中国製造業の競争力は2020年代に飛躍的に強くなった。23年の世界製造業生産シェアは約3分の1,米独日韓の合計より大きい。造船業の受注額は24年世界の7割を超える。その異質の強さに過剰生産が重なる。加盟させればTPPは中国製造業の支配圏になってしまうおそれもある。安易な拡大論はリスクだ。トランプ2.0が自由貿易体制を否定した。その後の中国の方向性もしっかり見極めるべきだ。
TPPとEU,新興国の自由貿易による連携
トラ関税で金融市場が悪化し実物経済もやがて悪化する中で,目下は対米交渉の時期である。だが,トランプ2.0政権が大きく譲歩することはないだろう。
資源に乏しい日本にとって自由貿易体制は生存条件だ。EUも同じである。EUは南米のメルコスール(南米南部共同市場)とFTAで合意(未発効),インドやASEAN諸国ともFTA形成を急ぐ(ベトナム,シンガポールとはすでに形成)。ASEAN諸国やインドもトランプ2.0の関税政策を受けてEUとのFTA形成に積極的になっている。
「後門の狼」へのEUの対応はどうか。「新しく整備されたモニターメカニズムが中国製品の輸入増をキャッチすればセーフガード措置をとる」とEUの欧州委員会は述べている。WTOルールにより中国の攻勢に対抗する方針である。
CPTPP(以下TPP)には昨年12月イギリスが加盟してTPP12になった。TPP12とEUの連携強化は世界の自由貿易体制の危機の時代に必然的な方向である。できればEUのTPP加盟が望ましい。アメリカが入るはずだったTPPはEUを受け入れる能力を十分にもっている。日本は再び主導してその方向へ動かすべきだ。並行して新興国への働きかけも強めていく。
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