世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3666
世界経済評論IMPACT No.3666

移民・難民問題に関して:マリア・ルス号事件の史実が示すもの

石戸 光(千葉大学 副理事・教授)

方 亮(千葉大学 特任研究員)

2024.12.23

 グローバル化の進展に伴い,移民・難民問題が世の中で非常に注目されている。シリアおよびミャンマー,ウクライナおよびパレスチナを含めた移民・難民問題の原因は,経済,政治,人種,宗教,様々な対立と生々しくつながっている。災害,戦争の避難者や貧困層の人々が劣悪な渡航条件を受けて国境を越え,渡航中に死亡したり,またはたどり着いた他国でも極端に不安定な生活労働状況に陥ることが多い。

 こうした移民・難民および出稼ぎ問題は,歴史的にも繰り返されているように見える。東アジアにおける移民史の中で,19世紀にマカオと香港を拠点として「苦力(クーリー)」とも呼ばれる中国人労働者が,奴隷と同様に扱われ,東南アジアや南米に送り出されつつあった「苦力貿易」について触れたい。1870年代に,苦力貿易により抑圧された中国人労働者が,過酷な渡航状況に耐えられずに途中で暴動を起こし,逃走することが頻繁に発生していた。「マリア・ルス号事件」は,そのような背景の下で起きた。1872年7月,約230名の苦力を運ぶペルー船マリア・ルス号は,マカオからペルーに向かう途中で悪天候に遭い,横浜に寄港した。乗船していた中国人が逃げるために海に飛び込んで,停泊していたイギリス軍艦に救助を求めた。そして後日,再び複数の乗船者が逃亡する事件が起きた。この時,日本はイギリスとアメリカの在日公使の勧告を受け,同船を勾留して「奴隷船」と認定し,船長を裁判にかけた。当時,明治政府は西洋諸国と不平等条約を締結していた一方で,ペルーとは外交関係を樹立していなかったため,国際紛争において圧倒的に不利であったが,人道主義と主権独立を主張しつつ,日本最初の国際裁判を行い,結果的には,中国人労働者を解放し,食事や医療の援助をした上で送還までなし遂げた。苦力の救助と裁判の進行においては,イギリスとアメリカ側の力も得ていた。現代社会において起きる移民・難民問題のような国際紛争を解決するためには,やはり国際法の効力へ訴求し続けること,そして利害の交錯する国家間関係という限界はありつつも,有志国間の国際的な協力が(かなりの外交的な緊張をはらみつつも)不可欠であると考えられる。

 上述の通り,「マリア・ルス号事件」の背景には,植民地主義の拡大によってもたらされた政治の不公正,また経済格差による貧困問題など,様々な不公正が深刻であった点が挙げられる。そして現在においても,移民・難民は,政治の不安定に翻弄され,経済的に貧困に置かれ,自国では社会的に迫害されたために国を離れたものの,他国でも劣後した立場に置かれ,社会的公正の欠如に苦しんでいる。歴史が形を変えても繰り返されるものだとすれば,出口が見えないようにも思われる。しかし,公正・平等の価値観を含む社会秩序を構築する努力を有志国間が非政府組織と共同しつつ,継続しなければならないのであろう。これは移民・難民問題に関して,「マリア・ルス号事件」という史実の指し示す教訓であると思われる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3666.html)

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