世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3585
世界経済評論IMPACT No.3585

長期的視野で短期的アクション

鶴岡秀志

(元信州大学先鋭研究所 特任教授)

2024.10.07

 分野を問わず,有識者や専門家は「長期的視野が必要」とコメントすることが流行しているのだろう。ところがその言い出しっぺが超短期的アクションを追い求める(偶然,この稿を執筆時に石破新総裁の手のひら返しがあった)。この長期的と短期的の矛盾は科学技術政策に波及していることはご存知ないかもしれない。多くの政治指導者が交代する2024年は,「言っている事とやっている事」の乖離が進むのか否かの分かれ目かもしれない。

 2009年,米国オバマ大統領は米国の科学技術と産業力再興を目指して新技術戦略,「ナノテクイニシアティブ」を立ち上げた。詳細は,今でも閲覧できるJSTのサイト(オバマ政権の科学技術イノベーション成果100選)をご覧いただきたい。この戦略の目玉はナノカーボンとその応用であった。表立って大きな声をあげていないものの遺伝子改変を中心としたバイオにも「ナノバイオ」という名目でかなりの額の予算が注ぎ込まれた。ナノバイオについては米国内の活動の「核」が明瞭でなかったのだが,新型コロナの震源問題で中国に資金を注ぎ込んでいたことが見てとれた。

 一方,「ナノカーボン」の主役はヒューストンのRice大学とNASAのLBジョンソン・スペースセンターであった。後者は20世紀後半に世界初のフラーレン(注1)合成を成功させ,続いて単層カーボンナノチューブ(SWCNT)合成,前者は樹脂にSWCNTを混練したコンポジットなど,次々に驚異的な研究成果を生み出していた。さらに,サムソンは乾式合成法でグラフェン(注2)を合成したがRice 大学は安定な湿式合成に成功した。Rice大学研究者はフラーレンの合成で1996年のノーベル化学賞を受賞している。NASAのフラーレン・SWCNT合成設備は小規模発電所を「付帯専用設備」として併設した大変な代物であった。これを直接見学した日本人は稀だったので論文からでは必要な電力が分からず,我が国では1992年のNEC(当時)研究員だった飯島博士のSWCNT合成まで成果を得られなかった。

 21世紀になり,テキサス大学のGoodenough教授がリチウムイオン電池(LiB)の実用化でノーベル賞に輝いた。受賞前の21世紀初めに,ナノカーボンを電極に添加するとLiBの安定化と高性能化ができることが見えてきた。そのため,オバマ時代の連邦政府は米国のLiB開発ベンチャー企業二社へ巨額の投資を行なった。二社のうちオーナーが中国人の米国企業は助成金受領後の数年で中国企業に売却された。もう一社はボストン近郊のA123という会社で,充放電回数が不十分であったが実用化レベルまでもう一歩のところまで達していた。筆者は,勤務していた商社がこれに目をつけて実情を調べてくるように指示を受け,結果的に数回訪問した。A123の基礎技術はカナダのHydro Quebec(HQ:ケベック州の電力会社)と同様のリン酸リチウム鉄型LiBなので,当時我が国電池メーカーが開発していた三元系よりは出力が劣るものの発火・爆発しにくい。またレアアースを必要としないので安価というメリットがある。MITを含めて米国東部から集まった若い研究者で活気が溢れていた。製造技術は日本の電池メーカーからやって来た中堅の方が担当されていた。

 当該商社は,安全性の高いリン酸リチウム鉄系LiBの実用的技術のライセンスを取得して世界へ売り出すために,A123とHQのどちらかと契約を目指していた。両社を訪問した結果,過去にトカマク型核融合炉の開発を行っていたHQの研究所が圧倒的規模を誇り,電気容量,爆発・火災対策研究などで優れていたが,量産へはA123が頭一つ抜け出していて現在主流のラミネート型をパッケージ化していた。ところがA123は爆発・火災の研究が不十分であったので市販車で爆発火災事故を起こした結果,破産した。その後,電池業界だけではなく我が国経産省や多くの企業が驚いたことに,オバマ連邦政府はA123の中国万行集団への売却を許可,NEC,NEC/日産と短期間に転売される紆余曲折があって中国企業へ生産技術が流出してしまった。A123の電池製造技術とは別に中国企業はHQとのLiBの物質や構成についてライセンス契約は行っているものの,電池は製造技術ノウハウが極めて重要なので中国以外の国にとって打撃となった。

 蓄電池の開発と実用化は昔から時間のかかるテーマである。高密度にエネルギー蓄える蓄電池は,ちょっとした不純物混入や部品不具合でダイナマイト級の爆発をする。さらに,電池は電気化学反応装置なので充放電の回数も熱力学の法則に支配され「騙し騙し」増やすような技術開発を行なっている。したがって,特許だけではなく使用する原材料と製造工程に関わるノウハウが非常に重要になる。オバマ政権が重点項目として予算を投入したLiB開発が結果的に中国を利したことについて,米国の研究者の多くは驚き,我が国研究者の間でもオバマ政権の親中態度について唖然とし,対中政策を見直すべきではないかとの意見が多かった。

 当時,我が国はLiBについて何をしていたのか? 2009年に経産省・NEDOが京都大学を核として国内電池主要メーカーを糾合して「革新型蓄電池先端科学基礎研究事業」組合を発足させた。従来,日本は電池分野では強かったのでLiBでも市場を制覇しようとしたのである。筆者の勤務していた商社もこの組合に参加しようとしたのであるが,傘下に工業用のキャパシタ製造会社(弱小であった)しか持っていなかったのでけんもほろろで相手にされなかった。たまたま筆者が電池について教えを請うた方が当該組合「議長」の京大教授の大学研究室同窓生だったので訪問の機会を得たが,面談を行なったものの相手にしてもらえなかった。その後,この事業組合に携わっていた方々に状況を尋ねたところ,共同研究には程遠い状態であったようである。実際にNEDOの事業評価では芳しい成績を残せていない。これでは国策で多額の助成金とA123から得た技術でLiBの産業化を進めた中国に負けるだろうと社内で話していたら,読者がご存知の通りの結果になった。

 オバマ政権は長期的視野という名目で「ナノテクイニシアティブ」を立ち上げ推進したのであるが,速やかに中期的戦略もなく要諦を変更してしまった。我が国だけではなく米国の多くの友人らも,まるで中国振興政策のようだと嘆いていた。

 我が国では今年から新NISAが始まった。金融系のコメントはほぼ100%,長期的視野で投資をすべきである,というものである。ところが1月末以来,株式市場はお祭り騒ぎで高騰していたものの8月に歴史的暴落と急騰を繰り返してボラティリティは高いままである。米国のAI 関連の株にレバレッジをかけたような株価変動が繰り返されている。日経は,「オルカン」のインデックスが今年1月から順調に伸びていると言っても,為替相場を考えると8月以降はそれほど伸びているわけではない。間違っていないがあからさまな印象操作である。結局,金融市場関係者は一般個人投資家から儲けを掠め取るために極短期の市場価格変動を望んでいる。これは昭和30〜40年代に商品相場で個人から金を吸い上げることが横行していたことを思い起こさせる。

 国家を挙げての「貯蓄から投資への移行」自体に反対する考えはないが,それを実際に運営する業界の強欲さには辟易する。スーツやドレスを纏った「なんとか」である。このような風潮は金融市場だけではなく科学技術研究にも大きく影響している。日本の科学技術再興を唱えるなら,瞬時の株債券・FXでお祭り騒ぎを繰り返すのではなく,少なくとも長期的に発展させるために主要企業が策定修正する中期経営計画のようなものが必要である。常々,金融関係者は,「株価は将来の予想価値である」と言っているが目に映るのは博打であり,株価が下がると政府日銀に対策を求めるという一般投資家を馬鹿にしたような振る舞いである。ドジャースの大谷選手が巻き込まれた詐欺事件と重なる振る舞いと言えるだろう。

 科学技術,産業振興は一朝一夕では何もできない。政権が変わろうが経済が上下しようが変わらぬ姿勢がなければ達成できないことを勉強すべきである。これこそが文理融合であろう。

[注]
  • (1)多数の炭素原子のみで構成される,サッカーボール状クラスターの総称
  • (2)結合した炭素原子のシート物質
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3585.html)

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