世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
差別をなくそうだって?!
(杏林大学総合政策学部 教授)
2024.05.27
誰もが自明だと疑わないスローガンはときに有害であり得るが,その代表的な例がこれである。
ちなみに差別について,「区別はよいが,差別はいかん」などという人もいるが,一番肝心な,区別と差別の「区別」を明示している例は少ない。とりあえずここでは,「区別」とは,異なるものについてその違いを「認識する」こと,としよう。そして,「差別」とは,異なるものに対して,「異なる待遇を与える」こと,とする。つまり,差別とは差別待遇のことである。
さて,そのように定義すると,この世の中はむしろ差別に満ちていることがわかる。しかも,それらがすべて唾棄すべき批判の対象となっているわけではないこともわかるのである。要するに,この世の中には「容認される差別」と「容認されない差別」があるのだ。そして重要なのは,まさにその「区別」なのである。
朝の通勤時間帯には「女性専用車両」なるものがある。これはそこに男性が乗ることができないという意味で差別だ。しかしこれは概ね容認されていると考えてよいのではないか。他方で,これが「黒人専用車両」だったら,同じような評価にはならないだろう。
公衆トイレや公衆浴場が男女別になっているのも「差別」である。なにしろ,男性は(たとえ緊急の状況であっても),女子トイレに入ることは許されないのだから。スポーツ競技が男女に分かれているのも,定義によって差別である。なにしろ,女性の競技には男性は参加を許されないのだから。同様にして,女性が大相撲の力士になれないのも,男性が宝塚でトップ・スターになれないのも差別である。しかし,それらも概ね,容認されている差別だと言えるのではないだろうか。すべてのスポーツ競技における男女差別をやめるべきだという積極的主張は,寡聞にしてあまり聞いたことがない。他方で,スポーツ競技に「有色人種部門」や「参加に関する所得制限」があったら,それらは(かつてあったとしても),今は容認されないだろう。もちろん,女性が相撲の土俵にすら上がれないことをめぐって,議論の余地があるのはご存知のとおりである。
これらについて明らかなことは以下の通りである。
- ① 世の中には「容認される差別」と「容認されない差別」がある。
- ② その区別は一定不変ではなく,時代によって,地域・文化によって変化する。
私が誤りだと思うのは,これらに関して,時代や国を通じて普遍の価値基準があるという考えである。江戸時代に,禁止令が出るまで混浴の文化があっただとか,ヨーロッパの一部の国では公衆トイレをすべて個室にしようとしている,などといった議論が今の日本人にそのまま適合するという保証はまったくない。
われわれには,その都度,その問題それ自体について議論する以外に対処方法はないのである。日本の平均的な女性にとって,すべてが個室の公衆トイレで,あなたの隣で用を足している人が男性(変質者ではない保証は,もちろんない)でもよいのか。スポーツの女子競技において,「心は女性」である生物学的男性(栄光を求めて虚偽の申告をしてはいないという保証はない)の参加を認めるとどうなるのか……,等々。
そしてこれらにとって一番有害なのが,表題にした「差別をなくそう」だ。それでは,あれも差別だ,これも差別だ,という安易なマスコミ受けを狙った「差別狩り」のみが横行して,言論が思考停止になってしまう。なにしろ現代人は差別という言葉に弱く,それがどんなに極端なものであっても,同調圧力も加わって,それに反論する気力を萎えさせてしまう。
繰り返しになるが,差別の普遍的存在を認めたうえで,「容認される差別」と「容認されない差別」をその都度,時代と状況に応じて丁寧に議論するしか,われわれにできることはないのだ。民主主義社会である以上,すべてが多数決で決まるべきではないにしても,不本意な社会的決定を受け入れざるを得ない人々がいることも避けることはできまい。
優秀な女性を,女性だという理由だけで排除するのは「容認されない差別」であると思う。しかしだからといって,あらゆる役職・ポジションにおいて男女比率を同じにすることは差別の解消であろうか? そうしている国は「進んでいる国」であろうか? それは国別の差別ランキングのチェック項目として適切だろうか? そのために優秀な人(場合によって男性)が席を譲らねばならないことこそが差別だ,と考える人がいてもなんら不思議ではないのではないか?
そんな当然の良識を忘れさせてしまうスローガンが「差別をなくそう」なのだ。真に恐るべきは,誤った思想ではなく,思想の誤った普及である。そして,そこで無視し得ない役割を果たすのが,わかりやすく,もっともらしく,きれいで,誰も反論しそうもない「スローガン」なのだと思う。
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