世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
トランプ大統領への営業外交
(杏林大学総合政策学部 教授)
2025.05.26
慣れとは恐ろしいもので,アメリカのトランプ大統領が傍若無人でエキセントリックな政策提案をしても,もはやそれに対する各国の反応のほうに関心が向くようになってしまった。
トランプ大統領の関税提案に対する各国の対応を見ていると,まるでわがままな大口顧客に対する営業マンのそれのようである。あれほど無茶で一方的な関税提案に対して,机を叩いて退席する国のいかに少ないことか。しかしそれはそれで分析するに値する現象ではないかと思えてくる。
そこで例によって教科書的な基本からおさらいしてみよう。そもそも国が貿易を行う理由とは何だろうか? 代表的な答えは三つある。第一に,自国では生産・入手できないものを他の国から購入する。第二は,生産性の違いだ。自国でも生産できるが,国によって相対的な得意・不得意があるときは,得意なものに特化して,互いに分業したほうが,すべてを自国で生産するよりも効率的になる。結果として,より多くの財・サービスを――同じ意味だがより安く――手に入れることができる。よく知られた比較優位の原理である。保護関税を否定し,自由貿易を礼賛する根拠は,基本的にこの前提に沿ったものである。ただし,この第一,第二の要因による貿易の場合,人々の福利厚生が増大するのは,あくまで輸入を通じてであることが重要である。したがって,もしそのような状況であれば,トランプ関税はなによりもアメリカ国民に被害をもたらすことになる。
さて,貿易を行う理由の第三は,収穫逓増(費用低減)である。生産量を増やすほど生産性が上昇する――同じことだが費用が低減する――ときには,生産して売るほど利益が生じる。その場合,国内の市場だけでは十分ではなく,海外にマーケットを求めなければならない。もちろんすべての企業にその機会が与えられるはずもなく,競争的淘汰を通じて,生産者はごく少数の大企業に限定されることになる。しかし,まさにそれによって規模の経済を利用するという意味での効率性を達成することができるのである。そして,第一,第二の要因とは異なり,この第三の要因においては,競争的淘汰の過程を通じて,輸出市場を確保することこそが致命的に重要になるのである。
われわれの眼前にある国際貿易の風景は,まさにこの第三の要因によって支配されている。いわゆるグローバリゼーションによって,企業はより安価な生産拠点を選択できるようになり,費用の制約は著しく弱められた。それは収穫逓増の世界であり,生き残りに成功している企業にとっては,より大きな市場の確保こそがミッションである。販売せよ,販売せよ!これがモーゼで,預言者たちなのだ!
そしてそのミッションにこれ以上ない場を提供している国こそが,アメリカなのである。アメリカは1980年代半ばに経常収支が赤字――同じことだが対外純資産が減少――になって以降,現在に至るまでその状態を続けており,現在,世界最大の対外純負債国である。まさに,対外的に借金をして,世界からモノを買いまくっているのである。
ちなみに日本の財務省は,日本政府の財政赤字を「国の借金」と偽称して,国民を脅しているが,日本の政府の借金はほぼ日本国民によって賄われている。言葉の正しい意味において「国の借金」とは,海外への借金であるが,日本は借金どころか,対外純資産が長らく世界一位であった。それに対してアメリカの対外純負債は,正真正銘,世界最大の「国の借金」に他ならない。
収穫逓増から利益を得る一部の大規模生産企業は――海外に生産拠点を移してアメリカに逆輸出しているアメリカ企業も含めて――,アメリカの巨大な経常収支赤字に依存している。そして今や,どの国の政治も巨大有力企業の経済力と一心同体であることを考えれば,その有力な大企業がマーケットを失うことの不利益が,すべての政治経済的外交の駆動力となっている。
そのように考えると,冒頭で述べたトランプ大統領の一方的な関税提案に対する各国の営業マン的通商外交の背景が理解できるのではないだろうか。とはいえ,主要国がアメリカの軍事力に加えて,莫大な経常赤字に依存し続ける国際関係・経済の構造は異常であり,是正されるべきだと思う。ある意味では,トランプ関税は,まさにそのための政策であると見ることもできるだろう。しかし,例によって――ウクライナ・ロシア戦争への調停と同じで――,やろうとすること自体は必ずしも間違っていないが,その動機と方法はお粗末この上ない。
ではトランプ大統領は何がしたいのか? さしずめ,世界の最有力顧客であることを利用して,主導権,支配力を誇示することではないかと思う。もちろん,結果として良いことがもたらされるなら,別にそれでもよい。この点も,ウクライナ・ロシア戦争の調停と同じである。
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