世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3409
世界経済評論IMPACT No.3409

転換期を迎えたベトナム経済

池部 亮

(専修大学商学部 教授)

2024.05.13

 ベトナムはドイモイ(刷新)政策を本格化させた1990年代初頭からおよそ30年間,堅調な経済成長を続けてきた。国際通貨基金(IMF)によると,1990年から2023年までのベトナムの経済成長率は年率平均で6.7%であった。2045年までに高所得国の仲間入りを果たすとするベトナム政府の目標を達成するためには,これから20年間の成長率平均を6.1%以上としなければならない。ベトナムのこれまでの経済成長は,外国投資企業(FDI)に豊富な労働力を提供し,FDIが持つ技術や資本を利用して成長を続けてた。いうなれば要素投入型の経済成長を達成したに過ぎない。これからは,全要素生産性(生産効率)の向上が求められることになる。

 ベトナムの経済構造,特に製造業におけるFDIの存在は大きい。ベトナム統計総局(以下,GSO)によると,FDIのGDP寄与率は1995年の6.3%から2020年には約3倍の19.5%に達した。また,東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国中,ベトナムのモノの輸出額はシンガポールに次ぐ第2位となる大規模なものであるが,2020年の輸出額の72.3%をFDIによる輸出が占める。ベトナムの工業化はFDIによってけん引されており,時に「借り物」の工業化と揶揄される所以でもある。

 一国の経済発展段階については多くの先行研究がある。例えば,アーサー・ルイス(1954)の二重経済モデル(注1)やロストウ(1960)の経済成長の五段階(注2)など,発展途上国が成長を続けるうえでのいくつかの段階や節目の存在が指摘される。特にルイスの二重経済モデルは労働力過剰経済の発展途上国が成長を続けていくと労働不足経済への転換期がいずれ訪れるという「ルイスの転換点」が有名である。ベトナムに当てはめて考えるならば,農村の余剰労働力を都市部の工業部門が活用してこれまでは比較的容易に経済成長が実現できた。しかし,余剰労働力の限界が近づくと,労働の供給量が減じ,工業部門での労働者の流動性も低下するため工業部門の人件費は上昇に転じ,生産物はこれまでの競争力を持ち得なくなる。労働力に比較優位があった経済を資本や技術が比較優位となるような経済へと高度化させ,新たな産業の幹(リーディング産業)を築かなければ,持続的な成長は難しいであろう。GSOでベトナムの就業人口のセクター別構成比を見ると,第1次産業が低下し,第2次・第3次産業の就業者が増加している。特に第1次産業の就業人口比率は,2010年に50%を割り込み,2021年に30%を下回るなど急激に減少している。2017年にはサービス産業の就業人口が第1次産業の就業人口を上回り,2026年頃までには製造業の就業人口が第1次産業を追い越す勢いである。農村部は都市部の工業への人材供給源であり,農村部の就業者の減少はベトナムの経済構造がルイスの転換点を迎えつつあることを示しているのである。

 ベトナムが中所得国の罠に陥らずに高所得国の仲間入りを果たすためには,全要素生産性の向上が欠かせない。そのためには労働生産性の向上が重要で,人的資源開発が待ったなしの状態にある。人的資源開発とは,要するにベトナム人の教育水準を引き上げ,高度人材をたくさん輩出することである。技術や知識をもった人材の底上げには長い時間を要する。中所得国の罠に陥った国々ではこの人的資源開発が上手くいかなかったことが主因として挙げられる。人的資源の質や量を議論するには紙幅が足りないが,GSOでベトナムの職能別就業人口構成比を見てみよう。2020年の就業人口に占める割合が最も大きな職能は未熟練労働者であり全体の3分の1を占め,18%の販売員,14%の手工業人材が続いた。一方で高度人材と言える職能の割合は全体の4分の1程度であった。未熟練労働者の構成比は2010年以降減少しており,一方で販売員はサービス業の発展によって拡大し,手工業人材も微増している。そして,熟練の農林水産人材も大幅に減少してきた。指導者・管理者,高度専門人材,中度専門人材,機械設備オペレーターなど,高度人材と工業人材の割合が2010年の16.8%から24.4%へと上昇しており,着実に高度人材が育ってきているように見える。

 ベトナムの課題のひとつして人的資源開発があることを指摘した。ベトナム統計総局によれば,ベトナムの大学進学率は約3割であり,半数以上が進学する日本やタイと比べればまだ低いものの,経済水準の上昇とともに進学率も上昇するであろう。ベトナムは儒教的な思想があり,立身出世を美徳する社会の中で,人々の向学心や上向き思考も強い。この儒教的なベトナム社会や人々の行動様式は東南アジア諸国の社会よりも,中国や日本,韓国など東アジアの社会と多くの共通項を持っている。要素投入型の成長から労働生産性向上による成長へと転換期を迎えるベトナムに改めて注目していきたい。

[注]
  • (1)Lewis, W. Arthur (1954) “Economic Development with Unlimited Supplies of Labor”, The Manchester School, Vol. 22, Issue 2, May, pp. 139-191。
  • (2)Rostow, Wolt W. (1960) “The Stages of Economic Growth: A Non-Communist Manifesto, Second Edition, Cambridge: Cambridge University Press.(木村健康・久保まち子・村上泰亮訳『経済成長の諸段階-一つの非共産主義宣言』ダイヤモンド社,1961年。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3409.html)

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