世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.569
世界経済評論IMPACT No.569

TPP大筋合意と第52回日米財界人会議:日米リーガル・マインドの違い

金原主幸

(経団連国際経済本部 シニア・アドバイザー)

2016.01.11

 昨年の12月初旬,ワシントンで第52回日米財界人会議が開催された。この会議は半世紀にわたりほぼ毎年,開催されてきた日米ビジネス界の最も重要なコミュニケーション・チャネルである。かつて日米貿易摩擦が激しかった時代にはジャパン・バッシングの最前線の様相を呈していたこともあったが,最近ではもっぱら対話と連携が基調となっている。今回の会議の開催は,10月5日のアトランタでの閣僚会合におけるTPP大筋合意直後のタイミングであったため,TPPをめぐる議論が注目された。TPPは12カ国間による多国間協定だが,経済規模としては日米2カ国のみで全体の8割近くを占めている。しばしばTPPは事実上の日米FTAだと言われる所以である。

 筆者は同会議の日本側事務局長として当初から準備に携わり,閉会式で採択された共同声明の作成作業にも係わったので,本稿では,会議を通じて浮き彫りとなったTPP合意に対する日米ビジネス関係者の思いや受け止め方の相違などに焦点を当てて論じたい。指摘したいポイントは,以下の3点である。

 まず第一に,日米のビジネス界が今回のTPP合意を前向きに受け止めることで一致できた。共同声明では「両協議会(日米ビジネス界)は,TPP協定を合意に導いた(12カ国)全ての貿易担当大臣の努力に敬意を表する。両協議会は,日米両国に新しい自由貿易の枠組みをもたらすTPP協定の妥結を一貫して支持してきた。両協議会は,引き続き,成立を全面的に支持し,立法府の承認手続きに向けて積極的に働きかけを行う」(正文は英語)と謳われた。足かけ6年におよんだ厳しい交渉の結果,アジア太平洋地域にメガFTAが誕生することになったのであるから,日米ビジネス界がワンボイスでこれを歓迎するのは当然のはずだ。

 しかしながら,TPPの中身にまで降りていくとそう単純な構図ではなかった。端的に言えば,日本側は総論重視,合意したこと自体に満足だが,米側はあくまで各論重視である。これが第2のポイントである。日本側を代表してTPPについてスピーチをした某商社のトップは,交渉結果にすべての業界や関係者が満足しているわけではないとしながらも,批准が進まないとTPPは漂流し,TPPのもたらすメリットも失われることになりかねないと述べ,日米双方での早期批准を強く求めた。10月のTPP大筋合意を受けて発表された榊原経団連会長のコメントでも,合意を「心から歓迎」し,交渉結果について「21世紀型の画期的な経済連携協定」として「高く評価」している。すなわち,交渉結果を全面的に受け入れ賞賛している。

 今回の日米財界人会議のおける米側の発言ぶりは,これとはかなりニュアンアスの異なるものであった。会議に出席した米側代表は,TPP合意により日米間のFTAの土台ができたと一応評価したうえで,今回の合意内容のなかで落胆している部分について事例としていくつも列挙してみせた——日本の農産品市場へのアクセス,エネルギー分野のカーブアウト問題,マレーシアの保険分野規制,タバコに関するISDS条項のカーブアウト問題,バイオ新薬のデータ保護期間等々である。

 第3のポイントは政府に対するスタンスの違いである。日本の経済界では,合意内容に異議を唱えるなど交渉の最高責任者だった甘利大臣に対して失礼だ,という雰囲気が広く共有されている。これに対して米国の大企業は,フロマン通商代表を米国の企業益を実現するための交渉代理人と見做す向きが強い。したがって,交渉結果で取って欲しいものが取れなかったと認識した業界や企業は公然と交渉結果を批判するのである。会議後の共同記者会見のなかで米側議長のレックライター会長(イーライリリーCEO)は,「米日経済協議会の会長の立場では,議会での批准に向けて働きかけるが,製薬会社のトップの立場としてはTPPの知財保護期間の合意結果について失望している」と述べた。日本の財界人がこのようにTPP合意結果について公に不満を表明することはまずありえない。

 なぜ日米ビジネス界でこのような違いが生じるのだろうか? 理由はいろいろあるだろうが,筆者はリーガル・マインドの違いがひとつの大きな要因ではないかと考えている。すなわち,多くの場合,日本の企業は通商ルールは与えられるものという受身の姿勢だが,米国の企業はルールは自社のビジネスに都合のよいように政府に作らせるものという意識が強い。したがって,TPPについてもお題目的な総論よりも各論,つまり膨大なテキスト(合意文書)のなかの自社のグローバル戦略に直接係わる章の具体的な文面に関心が集中するのである。今回はその違いが改めて鮮明となった日米財界人会議であった。

*以上はすべて筆者の個人的見解である。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article569.html)

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