世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
私はJOB型職務(海外事業)を一貫して40年間貫いた:培った専門性に定年後引く手あまた
(元文京学院大学 客員教授)
2023.10.09
Ⅰ
まず私が歩んだ道を以下列挙する
1.大学3年に理論経済学のゼミに入り,当時高度成長し始めていた日本の経済成長モデルを開発途上国に移転して彼らの成長の助けにならないかと考える。
2.日本でのパイオニアとして海外事業を本格的に始めていた東レに1962年入社,海外事業担当を希望し配属される。
3.海外事業担当部は1年前に出来たばかりで上司も知見なく,試行錯誤してなんとかいくつかの会社を立ち上げる。
4.そうした経験を6年間積んだ後,中米の現地政府との合弁会社の経理財務労務担当取締役として出向,5年間勤務。中米No.1の企業といわれるまでに育て上げる。
5.帰国して海外事業部欧阿米州担当主任部員(課長)を命じられ,既存企業8社とイタリアでの新規事業担当を命じられる。選択と集中の戦略上不要となった既存企業の売却,整理業務を行い5社を整理。社内で「会社の葬儀屋」の異名をとる。
業務の傍ら企業研究会の海外事業部会に参加し,海外事業に進出している各社の幹部と交流し,海外事業の知見を学びあう。
6.イギリスの大手繊維会社の織布染色子会社の買収業務をおこなう。
7.イタリアの国営化学会社との合弁会社Alcantara 社の副社長として出向,14年間ミラノに滞在して東レが開発した人工皮革をヨーロッパ市場向けに製造販売するために設立した会社の経営を担当する。
同社はEven decisional right を双方が持つ合弁契約をもとに発足し社長以下ラインの部長はすべてイタリア人とし,日本からの出向者は私と工場に技術者が3名駐在するにとどめ,経営の現地化を徹底した。会社自体はイタリア側のマーケティング力と東レの技術がうまく融合し業績は順調に伸びた。
しかし10年もたつとイタリア側も自信をつけ,社長は当初締結した合弁契約で制限されている分野まで手を伸ばそうとし,私との間で衝突が絶えない日々が続いた。一方イタリア政府は国営企業の民営化の一環としてAlcantara 社の株式売却の方針を決めたが,合弁相手の化学会社がそれに抵抗し,ことにAlcantara 社の社長が最後はmanagement buyout の手法まで持ち出し頑強に抵抗した。約3年間「死闘」ともいうべき戦いのすえ,イタリア側株式を買い取ることができ,東レグループ会社の一員とすることができた。
その後東レがもつすべてのknow-how を投入しこの会社は1999年にはイタリア中堅企業No.1と現地経済誌に評価されるまでになった。
私は赴任後8年ぐらいたって,上記企業研究会から「イタリアの最新のビジネス情報」を会の月刊誌に寄稿するよう依頼され32回にわたって,イタリアに起こりつつある新しいビジネスモデルとその企業風土について寄稿した。
それがたまたま当時のイタリア大使英(はなぶさ)氏の目に留まり,同氏が当時のアサヒビ―ル樋口会長に紹介した結果,日経BP社から「人生を楽しみ懸命に働くイタリア―ニ」というタイトルで出版された。
Ⅱ
1.1999年60歳で帰国し,日経新聞の経済教室欄に「イタリアに学ぶ産地再生」という論文が掲載された。
上記二つのマスメディアに会社の枠を超えて私の考えを公にしたことは大きな影響を私にもたらした。まず10余りの大学から講義の依頼があり,その中のいくつかは客員教授として迎い入れたいというものであった。また各地の商工会議所や法人会などから数十件の講演依頼をいただいた。私は自宅に「小林国際事務所」を設け大学の講義と,各地での講演,海外に進出しようとする企業へのコンサルティングに走り回る日々を70歳まで続けた。フリーランスに転身したのである。
2.私は今85歳,老人ホームの一隅でこれを書いている。この9月末,私の論文が掲載された本が出版された。題名は『トピックスで読み解く国際経営』(文眞堂)である。最新鋭の学者の論文の中に私の書いたものが二つ入っているのだ。私は自分自身とびぬけた才能をもっているとは思っていない。大学時代から海外事業を自分の「志」と定め,それを天命とし,ほとんど全身全霊をかけてこの仕事に専念してきただけのことだ。日本の会社が今までやってきたようにジェネラリスト養成のためいくつかの業務をたらいまわしに担当するのではなく,一つの業務に集中して磨けば,世界水準のビジネスエリートと互角に戦える力をつけることが出来ることを上記の事例は示していると思う。
「貴方は日本では数少ない生涯をかけて海外事業を盛り立てたbusinessmanの一人です」との評価をこの本の編者からいただいた。誠にありがたいことである。
今日本は雇用形態をJOB型へ移行する過程にあると思う。私のキャリアはまさにJOB型勤務を海外事業という分野で果たしてきたといえるであろう。自分で選んだ職である。だから会社に言われなくとも自分で発案する。仕事だから困難とぶつかることは多い。だが好きで選んだ道だから耐え乗り越える。それになりよりも仕事をするのが楽しい。この制度の方が生産性が数段上がるのは目に見えてる。これが生涯をかけてJOB型で仕事をしてきた私が達した考えである。
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