世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3053
世界経済評論IMPACT No.3053

日本の高齢化は長期金利の上昇をもたらす

白井さゆり

(慶應義塾大学 教授)

2023.07.31

 日米欧など先進国では1980年代から名目長期金利(たとえば,10年国債利回り)や実質長期金利が一貫して低下する傾向にあった。これにより政府・企業・個人の利払いコストは低下し,恩恵を受けた。

 この実質金利の低下は,「自然利子率」の低下を反映している。自然利子率とは景気・物価が過熱も冷え込んでもいない状況下で,貯蓄と投資が等しくなる水準の実質金利のことである。高齢化,生産性上昇率,不平等,安全資産需要,国際資本移動,財政といった構造的な要因が,各々貯蓄または投資へ影響を及ぼして自然利子率を決定する。

 これまで先進国で自然利子率が低下してきたのは,高齢化の影響が大きい。多くの国では長寿化しているので定年退職年齢が上昇しており,退職後も働き続ける人が増えており,国全体として貯蓄形成が進むからである。もうひとつの共通要因は,生産性伸び率の低下にある。各国とも製造業から医療介護などのサービス産業に移行していることや,労働者の高齢化でイノベーションが停滞したとの指摘もある。また,デジタル投資は増えているが,重厚長大な設備投資や自動車,飛行機,電気の発明のように経済の生産性を大きく高める技術革新が乏しいことも,自然利子率の下押しに寄与したようだ。

 だが2022年から予想以上のインフレが生じたことで多くの中央銀行が利上げをしており,名目長期金利と実質長期金利が上昇している。そこで,実質長期金利が将来的にさらに上昇するのか,それとも再び以前の水準に低下するのか世界で議論が活発化している。この判断には,自然利子率が低水準のままなのか,それとも今後上昇していくのか,その見通しに大きく左右される。

チャレンジングな金融政策環境をもたらす自然利子率の低下

 金融政策では,自然利子率は政策判断においてアンカーの役割を果たす。短期実質金利が概ねこの水準にあれば金融政策は緩和的でも引き締め的でもなく景気に中立的だと判断される。景気後退局面で短期金利を引き下げる際に,短期実質金利を自然利子率よりも下げて緩和バイアスをつくることを意図する。

 自然利子率の趨勢的低下により,日米欧の中央銀行は短期政策金利のゼロ金利制約に直面し,流動性の罠の下でチャレンジングな環境をもたらした。そこで緩和バイアスをつくろうと,国債買い入れや長短金利操作など非伝統的金融緩和政策によって長期金利を直接的に押し下げる手段を実践した。

 2020年新型コロナ感染症により世界が景気後退に陥ると,欧米の中央銀行は利下げや量的緩和など大幅な金融緩和を実施した。その後,世界的なインフレの中で2022年から大幅な利上げと量的縮小に転じている。

 今後,自然利子率が上昇すれば名目金利は高めで推移するので,中央銀行は短期金利を機動的に調整できるようになり,副作用の大きい非伝統的金融緩和手段に頼らなくて済む。対照的に,自然利子率を決定する構造的要因に変化がなく今後も低水準で推移するのであれば,現在の実質長期金利の上昇はインフレが落ち着けばやがて低下する。そうなると,欧米も再び日本と同じ短期金利のゼロ金利制約に直面し,必要に応じて非伝統的政策に頼らざるを得なくなる可能性がある。

自然利子率の低下は財政の持続性に寄与

 自然利子率は財政の持続性にも影響する。自然利子率が低下し,とくに実質GDP成長率を下回れば,政府債務の対GDP比の大幅な上昇は抑制され債務の持続性は高まる。しかもバーゼル金融規制の自己資本比率や流動性カバレッジ比率などで,国債は安全で流動性が高い「適格流動資産」として銀行による保有が優遇されているので,その分国債需要を高まり自然利子率を下押ししている。

 しかし,歳出が増えると公的部門の貯蓄が減少するので自然利子率は上昇し,財政の持続性が悪化する。公的債務の対GDP比が上昇を続けているとやがて投資家による債務持続性に対する懸念が高まり国債離れが進む可能性はゼロではない。また自然利子率の低下で債務持続性が改善しているように見えても,低下の理由が潜在成長率や生産性伸び率の低下によって起きている場合には,税収も伸び悩むため財政持続性が高まっているとは言えない点には注意が必要だ。

 日本では政府債務が大幅に拡大し続けているのに自然利子率が低下してきたのは,高齢化と生産性上昇率の伸び悩みが財政支出による上昇圧力を相殺してきたからである。

将来の自然利子率は上昇または低水準で推移するのか

 今後,先進国の自然利子率が上昇すると予想するのがローレンス・サマーズ教授である。その根拠は,高齢化が一段と進み退職者が増えると貯蓄を取り崩し始め,貯蓄率が低下するからだ。まだカーボンニュートラルを目指して各国がクリーンエネルギー投資を拡大し,地政学リスクの高まりで軍事支出も増えるので,自然利子率は上昇するとの主張だ。またインフレ率も高齢化による人手不足や地政学リスクもあって以前よりも高水準で推移するので,名目長期金利は上昇すると予想する。

 それに対して,自然利子率は低水準で推移すると予想するのがオリヴィエ・ブランシャール教授や国際通貨基金(IMF)である。理由は世界的に高齢化が進みつつあり貯蓄形成が続くことに加えて,クリーンエネルギー投資の拡大は温室効果ガス排出量が多い投資の低下をもたらすので正味大きく増えるか分からないことや,政府のGX投資や軍事支出は債務持続性を悪化させるので,格付けの低下や投資家離れにより大幅な歳出拡大は制約されるとの見立てだ。

日本の長期金利見通し

 日本では団塊世代があと1~2年で全員が75歳を超える。これまで同世代が働き続けることで貯蓄形成を補っていたが,今後は貯蓄の取り崩しが始まる可能性がある。さらに,潤沢な企業貯蓄で日本の貯蓄率は維持されていたが,原材料,金利,人件費などの上昇や,企業の存続に必要な省人化・デジタル投資が増える可能性もある。また,政府債務も増え続けている。となると,将来的に自然利子率は上昇に転じ,長期金利が上昇する可能性もある。IMFは2040年以降に上昇していくと予想する。

 自然利子率の上昇は将来の長期金利の上昇を通じて財政の持続性にも影響するため,政府は今から備えが必要であろう。日本銀行も本年7月に10年国債利回りの1%までの変動を容認する長短金利操作の柔軟化を実施しており,前述した構造的要因の変化も考えると,長期金利が上昇方向を指し示していることは念頭においておくべきであろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3053.html)

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