世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
戦争は終わらない,世界政府の樹立を急げ
(国際貿易投資研究所 客員研究員)
2023.05.01
ウクライナ戦争は戦闘開始以来,最大の激戦になりそうである。5月にはスターリングラード攻防戦のような重戦車対重戦車の気配を帯びてきた。どのような展開になるか予断を許さないが,また戦闘の結果に関わらず,当分この戦争は数年あるいはそれ以上継続するのではないか。ベトナムも断続的ではあれ,30年も続いたように。さらに戦闘局面によっては,この戦争が第三次世界大戦に発展しないと誰が断言できようか。
テレビ・ドラマのセリフに「呑気は,それだけで傲慢だ」という言葉があった。なるほどと思わせた。その瞬間,筆者は即座に「傲慢だから平和ボケでいられる」と連想した。我が国は長距離ミサイル配備を可能にするようだが,この程度で東アジアの安全保障体制を構築できるのだろうか。1月から国連安保理の議長国になったが,見るべき成果はあったのか。そんなことを考えると益々,ドラマのセリフが胸に刺さる。
エルネスト・ルナン(1823−92)の講演録に『国民とは何か』というのがある。百科事典では国民とは「言語・文化・人種・宗教及び国旗と国歌を共有し,国民的アイデンティティを形成すること」ということになるが,この概念はそう単純なものではない。ルナンは各国の国家・国民形成事情と多様性について,つぶさに検討し「国民とは魂であり,精神的原理」であるとしている。さらに「人々がこれまで払ってきた犠牲,これからも払うつもりでいる犠牲の感情によって成り立っている大いなる連帯」,「共同生活を続けていくという,はっきりと表明された同意であり願望」であるといっている。この国民国家論でウクライナ戦争やベトナムも理解できるような気がする。しかも,この国民国家概念を深読みすれば,国家・国境は決して画定的なものではなく,時が流れれば極めて可変的であり,国民意識の質的強弱によって,国家崩壊も容易に発生し得る。
反戦平和論者の間では反米/ソ連崇拝イデオロギーが未だに根強い。アメリカが覇権的で帝国主義であるとする論調である。確かに,アメリカは戦後の国際紛争に深く関わってきたことは自明である。しかし,旧ソ連や中国の紛争支援も大きな役割を果たしてきた。冷戦構造や第三世界論という国際版図がそれであるが,大国覇権のせめぎ合いでは国際平和は保てない。これは歴史が証明している。どこかの強力な国家なり機関が,揺るぎない権力機構を構築しない限り世界は平穏ではいられない。
資本主義批判と政府批判が「良識の証」であるという認識は少なくない。資本主義は人間主体の体制ではなく,搾取と収奪,利潤追求一辺倒が渦巻く社会であり,環境破壊も全く顧みないという論理である。新自由主義批判の論点もこれとほぼ同類である。しかし,資本主義に先行する諸社会もアジア的生産様式においても,そのようなマイナス・イメージの要因は分離できない程,構造化されていたはずである。百歩譲って,資本主義の階級制を認めるとして,それは「賃労働と資本の関係」で展開されてきたという特殊性があるだけである。これを是正する社会が社会主義体制であるといいながらも,今度は社会主義的権力的に「搾取と収奪を構造化」してきた。脱ソ連のプーチンも,中国共産党体制も同じように環境破壊を生み出しており,帝国的収奪構造を形成している。論者によってはこれを権威主義体制と呼んでいるが,これらはいずれも政治経済体制の相違ではなく,強欲な指導層の存在が問題発生源なのである。この点の指摘がなされない限り,教条社会主義論は理想社会像からは縁遠い存在でしかない。
プーチンはスターリンを復活させたがるし,中国共産主義も同じ志向を辿らざるを得ない。政府の強権的政治体制,特に周辺地域における統治問題は国内問題であり,他国に干渉される謂れはないと中国政府は主張している。だが,1949年建国時の版図に収まる範囲内であれば,まだ国際社会は容認もできるが,これを大胆に拡張するとなれば決して受け入れられない。拡張主義は紛争の火種にしかならないからである。ウクライナ戦争の根源がこれである。紛争の絶えなかった西欧から教訓化した政治理念や,単一の原理をもって国際社会を統合することは難しい。また,パワーポリテックスによる世界政治も80億人を超える世界にあっては,これも現実的ではない。
カントの『永久平和のために』が長い時間軸を経て国際連盟に結実し,さらに現在の国際連合を創り出してきた。第二次世界大戦後の爆発的人口増加と国際開発の成果を享受し,我々は今こそ「世界政府の樹立」に着手しなければならないように思う。単なるODAやPKO活動,人道的支援などでは世界秩序は維持できない局面に入っている。誰もが認識していながら,未だに大きな声にはなっていない。さすがに国際連合とは全く別個に世界機関を創ることはハードルが高すぎる。では,何から着手すれば良いのか。まずは「核兵器の国際管理機構」の強化発展ではないだろうか。核兵器を各国の国権発動では使用できないように強制力を持たせること。また原子力廃棄物や核兵器関連の廃棄は,「国際的共同処理場」で処分するシステムを構築することではないか。
この実施のためには,国籍を離脱した無国籍の軍人と軍隊による「世界軍の創設」が必要になってくる。つまり,国連の多国籍軍やPKOをさらに常設で実体化させるのである。NATOや軍事同盟を国権から切り離し,独立した「世界軍」のためにリクルートすれば,相当数集まるだろう,とウクライナ国民の気概から感じる。呑気でいたくない世界人民は少なくないはずである。プーチンの軍人募集よりも,遥かに魅力的に感じる「新兵」は世界各国に点在しているだろう。「核の冬」に怯えているよりも,一歩先の世界を見据えて「世界政府樹立」の議論を前進させようではないか。
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末永 茂
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