世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2860
世界経済評論IMPACT No.2860

メコン地域における土地収奪の構造:試論

藤村 学

(青山学院大学経済学部 教授)

2023.02.20

 本稿では,筆者が研究対象として頻繁に訪れるメコン地域の観察経験と,最近読んだPhilip Hirschら編(2022)Turning Land into Capital: Development and Dispossession in the Mekong Region (University of Washington Press) から得られる洞察を参考に,同地域における土地問題を論じたい。

 土地と資本はそもそも別個の独立した生産要素であり,“turning land into capital”(土地を資本に転換する)という表現が意味をなすためには,以下のような文脈を考える必要があろう。

 市場経済が十分に浸透していない閉鎖経済においては,土地利用が粗放的にとどまり,土地所有制度も未熟で,私有地と共有地の境界が曖昧な部分が大きいと想定される。そうした経済が対外開放するとき,貿易財への投入要素として土地の用途が広がり,生産可能フロンティア(経済学用語)が拡大する。植民地下の「強制された」開放経済では,ミャンマーの経済学者ミントが提唱した「余剰のはけ口(vent for surplus)」という概念がうまく当てはまる。つまり,グローバル経済に参加「させられる」ことで,それまで未利用・低利用だった土地が貿易財生産のために高度利用に転じさせられるとういう文脈である。現代は後発途上国がグローバル経済に自発的に参加しているという異なる文脈ではあるが,労働や資本に対して土地の量が相対的に豊富であるという比較優位に基づいて土地を集約的に使用する貿易財が輸出されるため,土地の集約的・高度利用が進展することには変わりない。さらに貿易よりも投資受け入れがグローバル経済から便益を得る近道だと認識する途上国は,土地集約部門への外国直接投資を歓迎することで,そうしたダイナミズムを加速させる。この最後の文脈において,「土地利用機会を外国資本に開放する」という政策が“turning land into capital”と解釈できるが,この表現自体に倫理的な含意はとくにない。

 一方,“land grabbing”(土地収奪)という表現は明らかに倫理的にネガティブな含意を持つ。この表現は,土地の高度利用が一国の経済成長に貢献する一方,エスタブリッシュメント層による「土地の切り売り」(ストックとしての国富の減耗)や,土地所有制度へのアクセスを持つ者と持たざる者の格差拡大といった,ネガティブな側面を強調している。ここでは,タイを除くメコン諸国(カンボジア,ラオス,ミャンマー,ベトナムを合わせ,以下,CLVTと略)を念頭に,これら諸国に共通する文脈からどのように土地「収奪」現象が生じているかを考える。

 第1に,CLMVはいずれも社会主義体制下で土地の集団化をいったん経験したのちに,経済発展の行き詰まりを打破するために市場経済を取り入れたが,そのプロセスが短期間に進行したため,新しい土地所有制度から恩恵を得るグループと不当に損害を被るグループの明暗が分かれたという側面が強い。

 第2に,CLMVはインドシナ半島という陸続きのなかで,河川流域を中心とする平地と,山岳地帯が混在するという地理的特徴を共有する。低地ではマジョリティ民族が伝統的に定住農業を営んでおり,彼らは国家からある程度土地所有を保障される一方,高地や山岳地帯ではマイノリティ民族が非定住的農業を営んでいることが多く,“turning land into capital”政策によって割を食うのは後者の人々であることが多い。

 そして第3に,CLMVは急速に経済大国化した中国の裏庭に位置するという共通点を持つ。中国政府は1990年代後半に「走出去(Going Out)」と「西部大開発(Going West)」という2つの戦略をほぼ並行する形で公式表明した。後者は中国国内の経済格差を改善するために南西端に位置する諸省が隣接するASEAN諸国との統合を通じて発展することを奨励するものだった。その戦略が,アジア開発銀行が主導する大メコン圏(GMS)協力プログラムに乗っかるという構図になった。GMSプログラムにおける「経済回廊」は,中国にとっては「西部開発回廊」でもあったわけだ。メコン地域にとっての「一帯一路」は以上の流れの延長上にあり,CLMVにとっては従来の農業や鉱業だけでなく,鉄道,道路,水力発電,さらには経済特区など,大規模インフラ開発の対象としての中国資本に自国の土地利用を開放するメニューが増えた。

 Hirschら編(2022)の洞察の1つが,都市近郊や低地の土地の非農業転用に伴って零細農民が高地に移動・入植するプロセスと,政府が外国資本に大規模な土地をコンセッションで長期リースする動きに伴って高地に住む農民や山岳民族が土地を追われるプロセスが同時進行してきた,というものだ。同著者らは,市場機能を重視する世界銀行などの国際機関が1990年代に行ったアドバイスが,そうしたプロセスを後押ししたとも指摘する。彼らの推計によると,農家所有の土地面積に対するコンセッション用地の割合は,カンボジアが37%,ラオスが30%,ミャンマーが16%とCLMのコンセッション割合が大きい。

 つまり,CLMの土地を中国,タイ,ベトナムのアグリビジネスがコンセッションで借り受け,ゴム,メイズ,キャッサバ,バナナなどの商品作物を栽培し,中国市場へ輸出している,というのが主な構図と考えてよい。このような垂直的統合が近隣諸国間である程度完結しているのが,世界の他地域とは異なるメコン地域の特徴といえよう。

 こうした構図からの勝者は,中国・タイ・ベトナムのアグリビジネス,土地コンセッション配分権を持つ各国政府支配層とその取り巻きのビジネスマン,軍エリートなどだ。敗者は,伝統的生業が依存する土地から追われる山岳民族や,土地を手放して農園労働者とならざるを得ない零細農民などだ。一方,外国資本から所有地のレント収入を得られる低地農民や,高地の移住先で新たに土地を確保するマジョリティ民族農民などは「プチ」勝者かもしれない。

 最大の焦点は,CLMの政治権力者たちが自国の土地ガバナンスをどのように認識しているかである。彼らが自国の土地資源の利用に関して短期的な自己利害を優先する程度が高いほど,CLM諸国に住む庶民の未来は危ういだろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2860.html)

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