世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
CLM諸国がネット詐欺ビジネスの拠点化か
(青山学院大学経済学部 教授)
2025.02.24
近年,コロナ禍を契機としたネット詐欺が世界各地で隆盛しているようだ。メコン地域では政府によるガバナンスの弱いCLM(カンボジア,ラオス,ミャンマー)のとくに国境地帯が地下犯罪組織に利用されやすいようだ。
英エコノミスト誌は2022年10月8日付記事“The gangs that kidnap Asians and force them to commit cyber fraud”において,CLM諸国の経済特区などにおけるカジノ施設集積について特集し,高額報酬のネット広告に騙されて集められた若い「ネティズン」たちが,カジノを隠れ蓑にした実質的な強制労働施設で,ネット詐欺の「かけ子」をさせられている状況を伝えた。カンボジア立地のネット詐欺産業は同国GDPの約半分に相当する125億ドル以上を稼ぎ出しているのではないかという米国平和研究所(USIP)の試算もあるようだ。
国連薬物犯罪事務所(UNODC)の専門家によれば,こうした地下経済は中国系犯罪組織と地元の少数民族武装集団が連携して成り立つという。カンボジアのシハヌークビルが経験したように,政府が本腰を入れて取り締まりに転じると,犯罪組織がガバナンスの弱い別の場所に「渡り鳥」しても不思議ではない。習近平政権が,カジノ都市マカウをラスベガスに倣った統合型リゾートに変身させるという方針を示したことも,中国系犯罪組織が東南アジアへ拠点を移転する後押しになったかもしれない。
フィリピンではドゥテルテ前政権下で外貨獲得ビジネスとして中国人を主な顧客とするオンラインカジノ事業(Philippine Offshore Gaming Operators, POGO)が隆盛したが,マネーロンダリングや違法薬物,人身売買など凶悪犯罪への懸念が高まった。2024年,違法カジノに営業許可を与えた華人町長のスパイ疑惑が同国議会で議論され,マルコス政権は同年末にPOGOを全面禁止するに至った。
今年に入って注目されているのが,日本人高校生も複数巻き込まれたことが報道された,ミャンマーの国境町ミャワディだ。タイと国境をなすモエイ川沿いのミャンマー領は中央政府のコントロールが効かず,かねてよりタイ側から簡単に渡河して賭博をできるカジノ施設が多い。2021年2月のクーデター後は無法地帯の度合いが増しているものと想像される。ミャワディ中心地から北へ16km地点に香港拠点の亜太(Yatai)グループが開発してきた「シュエ・コッコ新都市」は治外法権的存在になっているもようだ。シュエ・コッコとともにカレン族主体のカレン州国境警備隊(BGF)が支配しているとされるこの地域の「KK園区(KK Park)」と呼ばれる場所が話題にのぼっている。
英エコノミスト誌2025年1月25日付記事“Online scams may already be as big a scourge as illegal drugs”では,高給出稼ぎ広告に釣られてタイ経由でKK園区に誘導されたフィリピン人女性が暗号資産詐欺に加担させられ,カナダ人男性から約1200万円を詐取したという個人レベルのエピソードや,米カンザス州の田舎町の地場銀行経営者が暗号資産詐欺に深くはまり,損失を埋めるために銀行から70億円以上を横領して24年の禁錮刑に処される羽目になったという事件が紹介されている。
ミャワディのKK園区は有刺鉄線を張り巡らせた高い壁に囲まれ,監視カメラや武装警備員によって管理されているという。犯罪組織はこうした法の支配が及ばない「コンパウンド」に詐欺ラボ(パソコン机が整然と並ぶイメージ)を設置し,かけ子たちの生活を支えるスーパー,遊技場,売春宿,さらにはノルマを満たさない場合の拷問施設も備えるという。
このような詐欺ビジネスモデルは中国語スラングでsha zhu pan(殺猪盤),英語では“pig-butchering”と表現される。まず,ソーシャルメディアやデートアプリなどでターゲットを特定し,偽の人物像を担うかけ子が数週間から数カ月にわたってSNS上でターゲットと信頼を醸成する。次にターゲットが弱みを見せるタイミングをみて偽の投資に勧誘する。そして家族・友人からお金を借りるまで深みにはまらせ,最後の一滴まで搾り取ってから,かけ子が姿を消す--という具合だ。
同記事によれば,こうしたネット詐欺産業全体の年間総収益は推定5000億ドル(約75兆円)規模にのぼり,違法薬物市場に匹敵するのではないかという。ネット詐欺ビジネスは薬物ビジネスよりも参入障壁が低く見返りが大きいため,成長産業のようだ。
同記事によれば,ネット詐欺集団は麻薬犯罪組織のように組織化・階層化されておらず,地下のギグ・エコノミーで緩く連携しているようだ。あるグループはかけ子候補をだますことに特化し,別のグループは暗号資産への投資を指導し,また別のグループは詐取した資金を洗浄することに特化しているという。さらに厄介なことに,麻薬ビジネスとは異なり,ネット犯罪対策には合法化,規制,治療といった選択肢がない,と同記事は指摘する。
人々のコミュニケーションが対面からネット空間にシフトするのにつれ,詐欺の玄関口も後者に引っ越すということだろう。ネット詐欺によるホワイトカラー強盗には暴力が要らないので,多少のITスキルを持つ者は地下経済に吸い寄せられやすいかもしれない。AI翻訳機が洗練されてくれば言語の壁がなくなるので,「かけ子」のリクルート先はグローバル化するだろう。
今回,ミャワディが世界的に注目されたので,犯罪組織は「詐欺コンパウンド」の移転先を探しているに違いない。中国人系組織にとっては土地勘のあるCLM諸国の国境地帯が引き続き有力な拠点となるのではないかと懸念する。
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