世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
「グローバリズム」と日本:ポスト・グローバリズムの時代に向けて
(桜美林大学 名誉教授)
2022.11.28
本稿は筆者が2022年11月19日,政・財・官・学の自由な参加によるシンポジウム「白馬会議」において発言した内容が骨子であり,全て筆者の個人的見解,かつ責任が帰されるものである。
日本経済のポジショニング(喪われた30年)
日本経済の,90年代バブル経済の崩壊に始まる「喪われた30年」と称される時期は,苦闘の時代,或は試行錯誤の時代であった。背景としては,内外経済環境の激変(少子・高齢化が進行する中,バブル崩壊によるデフレスパイラル圧力が深刻化した日本経済と,冷戦構造終焉による市場経済の急拡大が需要・供給構造を改変させた世界経済が交錯)のなかで,a.マクロ経済政策(のミスマッチや失敗)に起因する「政策危機」,b.経済のグローバリゼーション加速に適応した,「新戦略/パラダイム・シフト」欠如,c.「ICT革命への乗り遅れ」,「プラットフォーム・ビジネスの軽視」,d.ハイテク分野での「イノベーション」の停滞,e.「起業・ベンチャーマインド不足」等々が指摘される。理由は様々であるにしろ,日本経済がマクロでもミクロでも,世界経済に大きな影響を与え,世界から熱い注目を集めていた時代は,残念ながら今は昔となりつつある。そして現在はシビアーに言えば,日本は経済成長が長期停滞し,少子化&人口減少が定着し,戦略的産業で世界をリードできる分野は少なく,サービス産業では低生産性が打開できず,イノベーションやアニマルスピリットが弱い社会,政府債務が過多/過大な国家,そして長期にわたって国民の所得が捗々しく増えない,といった所謂「衰退国家論」が囁かれる有様である。確かに冷戦終了後90年代にパラダイム・シフトが起きたことは間違いない。それはICT革命であり,冷戦構造終焉による経済のグローバル化・市場経済拡大(の加速)である。もっともグローバリゼーションやICT革命とはメガトレンドであって,科学技術の発達と同様,日本だけが時計の針が遅く/逆回転する,といったものではない。さらに日本のICTやハイテク技術自体が,当初から米国は兎も角として,欧州等他の諸国に長期間ビハインドしていた訳ではなかろう。然るにこの30年間で,日本経済の存在感・プレゼンスはじりじりと下がっており,マクロ/ミクロの指標が停滞・低迷しすぎていると感じられる。
ここで自らも含め残念なのは,バブル崩壊以降,日本の「政・財・官・学・メディア」による,日本が直面した様々な危機に対する「危機管理」がうまくいかなかった,ことである。その結果,「失敗の本質」を直視するより,「重箱の隅をつつく」「足を引っ張る」「犯人捜し」に落ち込んでしまい,結果的には前例踏襲の「対症療法の繰り返し」や「後寄せ・先延ばし」「後追い的な改革」に終始してしまった事例が多かった,といえよう。
そうしているうちに,マクロ・ミクロにおいて,危機を機会と捉え,経済・社会・経営戦略において先見性を持ち,かつレジリエントな自前の「グランド・デザイン(建前・総論ではない)」を,(国・企業・国民共に)喪い,欠いていった,と感じられる。
4つの「グローバリズム」の席巻
この間,世界を席券していたのは,所謂「グローバリズム」である。ここで「グローバリズム」とは,「グローバル化/グローバリゼーション(ヒト・モノ・カネ・情報が,貿易/投資/交流などを通じ,国境を超えて広がっていく潮流)」とイコールではない。「グローバリズム」とは「経済的に一体化しつつある世界を,まさにリード(支配)する理念」(パラダイム)ということで,筆者の独断と偏見では,90年代以降,4つのグローバリズム・パラダイムが登場してきている。
1)米国主導「市場主義によるグローバリズム」=経済を万能な市場に委ねていくという所謂「市場原理主義」,とくに FRB グリーンスパン時代の金融グローバリズムが代表的。
2)EU主導の「ルール主導,経済・市場を統合していくグローバリズム」。市場統合から通貨統合を果たし,ISO,会計原則等など,グローバルなルールを主導的に設定していくことで世界をリードしていく。
3)SDGs,或いはその金融バージョンのESGが代表する,人間・地球環境的視野に基づく,「理想系グローバリズム」。
そして
4)チャイナ・グローバリズム。これは一帯一路戦略,AIIB,デジタル人民元など,いずれも経済超大国となった中国を背景とした,或いはハブとしておくもので,確かに十分強力で,かつ覇権を展望しているが,今の所は中国の中国による中国のためのグローバリズムという域から踏み出していない。
これまでの日本は,これらのグローバリズムに適応していくと共に,強い浸透を受け,大きく振り回され翻弄され続けた,というのが実は「喪われた30年」の時代であった,と思われる。
確かに,AI(人工知能)とかDX(デジタル・トランスフォーメーション)や,ナノ・テクノロジー,地球環境改善に向けたイノベーションといったものは,普遍的であろうが,それを多くの人々/国民等にどう展開していくかについて規範化し,(双方向的ではなく)決定・管理・強制・実施していくというグローバリズムは,必ずしも普遍的とはいえないのではないだろうか。
グローバリズムの挫折と課題
さらにこれらの「グローバリズム(以下G)」は大きな問題(或いは副作用)=「格差の拡大」「中産階級の崩壊」など,を招き寄せただけではない。そのパラダイム自体に,深刻な「空洞」があって,その結果深刻な挫折・ボトルネックに突き当たっている。
①「市場主導型G」は2008年9月リーマンショックによって挫折した。見えざる手の「市場」は万能どころか,金融市場ではサブプライムローン証券化でモラルハザードが蔓延し,結局市場メカニズムでは「市場の失敗や矛盾」を解決できず,「政府」に解決を委ねる他なかった。
②「ルール・統合主導G」については,EUは2010年ギリシャ国債危機(ユーロ危機)に直面したが,そもそもギリシャ財政による長期にわたるEUスタンダード違反が露呈するに至り,EU主導のルールへの信認や求心力が崩れはじめた。さらには難民受け入れや,ユーロ危機への対応で域内対立が激化し,反「EU(規制・官僚主義)」のポピュリズムが高まり,ついにはルールにはない(?)の「英国離脱(BREXIT)」が起きてしまった。
③「理想系G」は現在も進行中なパラダイムであり,その掲げる目標は高い。然るに,SDGsにしても,ウクライナ戦争によって,脱炭素運動の主体的推進役 EU が,エネルギー供給をロシアに依存していたというミスマッチを突かれ,戦争というSDGsとは真逆で最悪な状況を招来した。カーボンゼロ等に向けた,科学・技術革新は加速していくにしても,世界経済の現状では,化石燃料の需要と価格が高騰し,インフレが加速するなかで,各国国民につけを負わせ,「誰も見捨てない―サステナブル」どころではない,というパラドキシカルな状況に陥っている。
グローバリズムと日本
日本は,「グローバリズム」の時代,バブル崩壊以降の政策展開について,「反面教師」(バブルを急激に崩壊させた金融政策など)とされたり,経済社会の実情を「課題先進国」などと呼ばれているのが実情である。結局日本は,喪われた30年の間,これらグローバリズムに対抗する軸をもたずに,対症療法を繰り返すか,バスに乗り遅れるな,とばかり後追いに終始した,感がある。それでは,日本が「グローバリズム」に独自のスタンスを対峙できる可能性は無かったのであろうか?
筆者が思うに,日本は冷戦構造の長期化に安住し,その最盛期に「日本の真に誇るべき価値を世界に発信する」,いち早く「(いわば)日本型のグローバリズム」なるものを意図し,展開し,発信していくという発想がなかった,或いは怠ってしまった。(これは決して日本がNO1であるとか,最強であることを主張するというのとは全く異なる)当時の日本は,たゆまぬ努力と試行錯誤の集積により,真に優れて普遍的といえる,つまりグローバルでかつスタンダードたりうる,幾多のエレメント・コンセプトが存在した。しかしそれを日本は,ガラパゴスに留めてしまった。さらにバブル崩壊以降,ICT革命に載せ,DX化することもなかった。ブル崩壊以降も,危機をバネに飛躍していく叡智を欠いていたし,その後もいくつか「時代のチャンス」を活用できなかった。その結果,必要以上にグローバリズムに翻弄された感がある。
ポスト・グローバリズムの時代
いずれにしろ現在,グローバリズムは既に挫折或いはボトルネックに直面しており,時代は,ポスト・グローバリズム,分断の時代に入ってきている。つまり,これまでのグローバリズムが「相対化」され,対立・相克(或いは均衡)する時代が到来したともいえよう。
ポスト・グローバリズムの時代に,日本が埋没せず,そのプレゼンスを真に発揮してほしいと切に願っている次第である。
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