世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2748
世界経済評論IMPACT No.2748

日本社会のデジタル化と国際競争力

小林規一

(立命館大学経営学部 授業担当講師・立命館大学デザイン科学研究センター 上席研究員)

2022.11.14

 この夏,英国から20年ぶりに日本に生活の拠点を移して感じたことの1つが英国と日本のデジタル化に対するアプローチの違いだった。帰国後に住民票転入,国民健康保険加入,運転免許証の書き換え,銀行口座の居住者への変更など日常生活に必要な一連の手続きを経験したが,実に多くの書類への記入が必要になっていることに驚いた。窓口担当者の方は皆さん優秀でスムーズに対応いただいたが,同じ作業をするのに英国ではこうした手続きは基本的にパソコンやスマートフォンから直接申請できるようになっており,PDF化された証明書の発行も含め,紙の書類を一切使うことがないシステムになっている。

 デジタル化の定義は,書類等のアナログ情報をデジタル(=コンピュータで読み取り可能な)形式に変換するプロセスである。他方,政府や企業にとってのデジタル化とは,デジタル技術を活用して業務プロセスやビジネスモデルを変革し,新たな収益や付加価値を生み出すことを意味している。また,英国では森林資源保護の視点から「紙を極力使わない」という意識がオフィスで定着し,これが業務のペーパレス化を促進している。

 英国のデジタル庁にあたるGDS(Government Digital Service)が2011年に発足した際には,「Digital by Default」(デジタル化により進化ではなく革命をもたらす)というビジョンが掲げられ,英政府は国民に提供する各種サービスを利用者の利便性向上の視点から抜本的に見直している。スピードという面でも英政府の24の全省庁がGDS発足から2年でGov.UKという政府サイトに統合されている。このサイトでは,所得税や自動車税の納税,運転免許証・パスポートの更新,コロナワクチン接種の申し込みを含む英政府が提供する全ての情報やサービスにキーワードを入れるだけで簡単にアクセスすることが出来る。

 海外のやり方が全て正しいとは思わないが,英国ではデジタル化により自宅のパソコンやスマートフォンで公的な手続きが簡単に出来,利用者の手間が大幅に削減されている。また,銀行のほとんどの支店では窓口が廃止され,オンラインかATMでの対応に切り替えられている。以前は窓口で長く待たされたり,事務作業にミスがある事も間々あったが,デジタル化によりこうしたストレスも大きく減った。

 私が日本に久しぶりに戻って感じたのは日本人の真面目さや勤勉さ,事務作業の優秀さである。これは世界トップレベルだと思う。他方,こうした個々人の優秀さが,既存のアナログ手続きプロセスを維持しながらデジタル化を進める原因になっているのではないだろうか? デジタル化に際して,既存のシステムやプロセスを変えることには心理的な抵抗感があるかもしれないが,慣れ親しんだ対面での対応をデジタル化によりサイバー空間に取り込んでいくことは,中期的には大きなメリットがあるのは明白だ。もちろん,デジタル化により不必要になった業務をしている人には,より付加価値の高い仕事をしてもらうことが国全体の生産性を上げていく上で重要になる。

 今,世界の先進各国は社会の高齢化や政府財政赤字の拡大に直面する中で,デジタル化によるサービスの利便性の向上と効率化による経費削減を同時に実現することを求められている。ロンドンの地方自治体の責任者から聞いた話では,公的書類の発行などの市民サービスを提供する際に,職員が対面で対応すると1件当たり日本円で約1000円,電話で対応すると400円のコストがかかるが,これをオンライン対応に変えると対面の1/50の20円に激減するそうだ。Gov.UKが年間10億件以上の市民サービスに対応していることを考えると,デジタル化により市民がその都度役所に出向かなくてすむようになるだけでなく,大きな経済的メリットも出てくる。他方,行政サービスを電子化する中では,ITリテラシーの低い高齢者などが対応できなくなるなどのマイナス面も出てくるが,使い勝手の鍵になるユーザーインターフェースを改善しながら必要に応じて家族や友人等,周囲の人々がサポートしながら社会全体のデジタル対応力を高めていくことが世界の流れになっている。

 スイスの国際経営開発研究所(IMD)がまとめた,「世界デジタル競争力ランキング2022」で日本は前年から1つ順位を下げ,過去最低の29位となっている。同じアジア圏のシンガポール(4位)や韓国(8位),台湾(11位),中国(17位)にも引き離される結果となっている。技術先進国と言われる日本がデジタル分野で世界に大きく立ち遅れていることは驚きである。急速な少子高齢化が進む中で,今後日本が生産性やイノベーションを高めながらグローバル市場でのポジションを上げていくためには,デジタル化への戦略的な取り組みが不可欠だ。その意味で我々国民一人一人がデジタル化による恩恵と,それに伴い必要になる変化を前向きに受け入れながら,より便利で豊かな社会を実現するための将来ビジョンを共有していくことが今強く求められていると考える。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2748.html)

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