世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ミュンヘン安全保障会議と欧州のジレンマ:右傾化を怖れる欧州と米国価値観との乖離
(国際社会経済研究所(IISE)主幹研究員・立命館大学デザイン科学研究センター 上席研究員)
2025.05.19
欧州の主要国で右傾化が進んでいる。ドイツでは,野党で極右のAfD(ドイツのための選択肢)がイプソスの4月の世論調査において,与党で保守政党のCDU/CSU(キリスト教民主・社会同盟)を支持率で追い抜きトップに躍り出た。フランスでは極右政党RN(国民連合)が昨年の国民議会選挙で躍進し議会では中道,右派,左派が拮抗する中で首相が4回交代するという混乱が生じている。イギリスでも昨年夏,中道左派の労働党が14年振りに政権を奪還したが,その後支持率が急落し,右派ポピュリスト政党「リフォームUK」の支持率がユーガブの2月の世論調査で与党労働党を初めて上回り首位となった。
こうした一連の動きの背後にあるのは,長引くインフレや景気低迷,移民/難民問題,終わりの見えないウクライナ戦争などの課題に対し適切な解決策を提示出来ない政府に対する各国市民の強い不満である。筆者は昨年夏の英国滞在時に反移民暴動を目の当たりにしたが(拙稿No. 3589『異文化に対して我々はどう向き合うべきか』),トンネルの出口の見えない多くの課題を抱える現状に対する人々の苛立ちが全国に広がった暴動の底流にあると感じた。
欧州主要国の右傾化が継続する中で緊密な同盟国であるはずの米国からの内政干渉とも言える動きが最近目立っている。イーロン・マスク氏は今年2月の独総選挙前にX(旧ツイッター)で「ドイツを救えるのはAfDだけだ」と投稿して話題になった。また,同月に開催されたミュンヘン安全保障会議でバンス米副大統領は,「欧州は米国と共有する価値観から後退している」,と欧州を痛烈に批判している(注1)。
最近の米国からの欧州批判の根底には「米欧間での価値観(Value)」の違い」があると筆者は考えている。前述のバンス氏の演説でも「価値観」という単語が9回使われている。歴史的に欧州と米国は文化的に多くを共有し信頼関係を育んできた。例えば米国のシンボルである“自由の女神”は,アメリカ独立100周年を記念して,フランスからアメリカへの贈り物として制作された像であり,その由来には,自由,民主主義,そして両国の友好関係という象徴的な意味が込められている。
バンス氏は演説の中で欧州の主要政党が極右勢力を政権入りさせないことを非難し,米欧が今まで共有してきた民主主義のベースとなる「言論の自由の基本的価値観」を欧州各国が否定するのであれば,欧州は米国の軍事的保護を失う可能性があるとほのめかしている。
なぜ欧州のリーダーたちは極右を怖れ排除しようとするのだろうか? 欧州の基本戦略は地域統合深化によるグローバル市場でのプレゼンス拡大と競争力強化である。1993年に設立されたEUは欧州単一市場の整備,共通通貨ユーロの導入,GXの推進などを進めてきた。そしてその求心力として,人間の尊厳の尊重,法の支配,人権の尊重,平等といった価値観を加盟国間で共有している。
他方,欧州極右政党の共通理念は,①EU懐疑主義(トランプ2.0と同様の自国ファースト),②反気候変動政策,③反移民/難民である。つまり極右勢力の台頭は欧州の基本戦略を否定する大きな脅威といえる。こうした中でドイツの連邦憲法擁護庁は5月2日,AfDを右翼過激派に指定した。これによりAfDは独公安組織の監視下に置かれることになる。その後この認定は一時停止され行政裁判所の判断待ちになったが,バンス氏が演説の中で欧州の民主主義を批判し,EU当局者らを「コミッサール(情報を検閲/言論統制した旧ソ連の政治/行政官僚)と呼んだのも一理あるように感じる。
バンス氏の一連のメッセージは,米国の同盟国としての欧州を強化したい,という意図から来ていると言われる。彼の真意は,欧州で台頭する極右勢力という「内なる脅威」に対処していく上では,これを弾圧/排除することではなく,極右勢力を支持する有権者の声に虚心坦懐に耳を傾けるべきである,ということではないだろうか。
移民/難民問題は欧州が今真剣に向き合うべき課題である。2011年に勃発したシリア内戦などの紛争により中東やアフリカから数百万人の難民が欧州を目指す中で,当時EUの盟主だったメルケル独前首相は移民を事実上無制限に受け入れる政策を実施した。これはドイツの歴史的責任や労働力不足対応などに加え,欧州の共有価値である人間の尊厳の尊重,人権の尊重も大きな要因になっていたと考える。
こうした難民の受け入れにより主要国の移民人口比率はOECD統計によると2023年でドイツ18%,イギリス,15%,フランス14%と2%台の日本に比べると桁違いに高い水準である(注2)。欧州各国では治安の悪化や犯罪増加が顕在化しているが他方で移民の人権尊重を訴える人も多く,各国で政治的/社会的な分断が起きている。
移民問題は複雑な背景を持ち一朝一夕には解決出来ないが,欧州はある意味で大きなジレンマに直面していると筆者は考える。移民政策の変更が必要とされている一方で,台頭する極右勢力やその支持者の声を聞くことは欧州の求心力である共有価値を否定するだけなく,EUが主導してきた欧州統合深化や脱炭素政策,さらにはEUの存在意義を危うくするリスクも孕んでいるからである。
トランプ2.0で米国は戦後長く続いた世界秩序を大きく変えようとしているが,こうした新たな環境の中で欧州がグローバル・パワーとして競争力を回復するか,あるいは欧州連合が崩壊し衰退の方向に進むのか? ミュンヘン安全保障会議でのバンス米副大統領の演説は欧州のリーダーたちに,たとえそれが聞きたくない意見であっても,民主主義の原則の下で国民の声と真摯に向き合ってこそ欧州の安全保障強化につながることを同盟国の友人として忠告しているように思える。欧州のリーダーたちが今後右傾化の動きにどのように向き合い対処していくかを注視していきたい。
[注]
- (1)バンス米副大統領の講演:「Remarks by Vice President Vance at the Munich Security Conference」
- (2)OECD International Migration Outlook 2024
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