世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2683
世界経済評論IMPACT No.2683

インド太平洋経済枠組み(IPEF)の交渉分野と課題

石川幸一

(亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)

2022.09.26

 去る5月23日に加盟14か国(注1)により立ち上げられた「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」閣僚級会合が9月8−9日の両日ロスアンゼルスで開催された。貿易,サプライチェーン,クリーン経済,公正な経済の4つの柱で交渉が行われそれぞれの閣僚声明が発表された。4つの柱への参加は選択可能だったが,ASEAN7か国は全てに参加し,インドは貿易への参加は見送った。まず,4つの柱の交渉分野をみてみよう(注2)。

貿易

 インドを除く13か国が参加。交渉分野は労働,環境,デジタル経済,農業,透明性と規制慣行,競争政策,貿易円滑化,包摂,技術支援と経済協力の9つである(注3)。

 「労働」では,労働者に恩恵をもたらし,「ILOの労働における基本的な原則および権利に関する宣言(ILO宣言)」に基づく国際的に認められた労働に関する権利(注4)をベースとする国内法を採用,維持,施行することを含め,持続可能で包摂的な成長に寄与する自由で公平な貿易を確保する。「環境」では,環境法の施行強化と環境保護の強化により気候変動,海洋環境保護,生物多様性保存,野生動物の違法取引や違法伐採との戦い,クリーンテクノロジー,環境財とサービスにおける貿易投資,再生可能エネルギー,ゼロカーボン調達,グリーンファイナンスと投資,環境的に持続可能なデジタル経済などを推進する。

 「デジタル経済」では,信頼でき安全な越境データフロー,包摂的で持続可能なデジタル経済,新興技術の責任ある開発と利用を推進する。「農業」では,食糧安全保障と持続可能な農業慣行を推進し,WTO農業協定に整合的な方法で食料と農業のサプライチェーンの強靭性と連結性を強化し,食料と農産品の輸入と輸出の不当な禁止あるいは規制を避ける。「透明性と規制慣行」では,ルールメーキングにおける透明性を推進し,新しいルールや変更についての関係者のパブリックコメントの機会の提供,オンラインを含む情報アクセスの改善などを行う。WTOのサービス国内規制に関する共同イニシアチブの成果を踏まえる。「競争政策」では,デジタルを含め開かれ,公正,透明で競争的な市場を確保するために競争法と消費者保護法を採用または維持する。

 「貿易円滑化」では,WTO貿易円滑化協定の効果的施行を含め貿易円滑化の国際ベストプラクティスを活用する。手続き簡素化,デジタル化,ロジスティクスの改善,通関データと文書のデジタル化などを進める。「包摂」では,先住民,マイノリティ,女性,障害者,農村居住者や地域コミュニティを含め全ての社会構成員の地域経済へのアクセスと参加を拡大し,貿易と投資への参加によりIPEFの恩恵を広く享受できるようにする。「技術支援と経済協力」では,IPEFの高い水準の規定と新しいイニシアチブの実施の促進のために2国間と地域の技術および経済協力を支持する。

サプライチェーン

 全14か国が参加。インド太平洋地域における強靭なサプライチェーン(以下SC)の実現が目的であり,市場の歪みの最小化,ビジネス情報の機密の保護などを尊重し,WTOの義務に整合的に行動する(注5)。

 「重要セクターと財の基準」の確立では,加盟国でSCに混乱が起き,政府の迅速かつ効果的対応を支援する必要があることを踏まえ,国家安全保障,市民の健康と安全,経済的強靭性に重要なセクターと財を特定する基準の確立を目指す。重要セクターと財の強靭性と投資の増加では,予期せぬSCの混乱への対応と迅速な回復能力の強化のためにSCにおける唯一の供給源やチョークポイントを明らかにし,重要産業の貿易投資支援,物的およびデジタルインフラの改善への投資,調達の多様化,SC強靭性への投資などを推進する。「情報共有と危機対応メカニズムの確立」では,政府民間の情報共有はSC混乱の早期警戒と効果的な回復に役立つことを認識し,SCの脆弱性と混乱についての政府間の連携メカニズムを確立し,重要セクターの財とサービスの移動の促進策,情報共有プロセス,各国の連携ポイントの指定などを進める。

 「サプライチェーンロジスティクスの強化」では,陸,航空,水路,海運,港湾などの輸送インフラを含むSCロジスティクスの強化のために民間セクターとの共働によりデータを収集,脆弱性を理解し,インフラを含むSCロジスティクスへの投資と技術協力などを促進する。「労働者の役割の強化」では,重要セクターのSCにおける十分な数の熟練労働者を確保するのに必要な訓練と開発への投資を行い,労働者とコミュニティがSC強靭化の恩恵享受を確保するためにILO宣言に基づく労働の権利を推進する。「サプライチェーン透明性の改善」では,重要産業のSCのリスクを見える化し,環境,社会,企業のガバナンスの尊重を推進する。そのため,零細中小企業への不要なコストを避けながら民間セクターと協力し重要セクターにおけるSCの透明性を改善するためのツールと手段の開発を進める。

クリーン経済

 全14か国が参加。クリーンエネルギーおよび気候にフレンドリーな技術の研究,開発,商業化,アクセス,活用および政策枠組み,能力構築,ファイナンス,官民連携などのための協力を推進する(注6)。

 「エネルギー安全保障とクリーンエネルギーへの移行」では,新興クリーンエネルギー技術の利用,クリーンエネルギー生産と貿易の拡大,エネルギー効率と節約に関連した政策,標準,インセンティブ枠組み,インフラ投資についての協力を促進する。各国のエネルギー安全保障と移行を考慮しつつ化石燃料への依存を減らす。「民間セクターの温室効果ガス排出削減」では,ネットゼロに向けて温室効果ガスの排出を削減するためにゼロあるいは低排出財,サービスと燃料を拡大する政策,インセンティブ枠組み,インフラ投資を促進する。「持続可能な土地,水,海洋対策」では,効率的な水と肥料の利用など持続可能な農業と持続可能な森林管理,持続可能な水利用策,オフショアの再生可能エネルギーと海上輸送を含む海洋をベースとする気候対応策を進める。

 「温室効果ガス除去の革新的技術」では,安全で持続可能な温室効果ガスの削減技術の開発とコスト削減のための二酸化炭素の回収,有効利用,輸送,貯留の供給と需要,市場及び非市場的な対応策などを推進する。「クリーン経済への移行を可能とするインセンティブ」では,低あるいはゼロ排出,財とサービスへの市場の開発および投資とファイナンスの増加,安全で多様かつ強靭なクリーンエネルギーSC構築のための協力,開発途上国メンバーへの技術協力,能力構築,研究協力などを行う。

公正な経済

 全14か国が参加。国内法制と国際協定および基準に整合的な方法で腐敗・租税回避を防止し戦い,国内資源動員を改善することによりビジネスと労働者にとり公平な競争環境(level playing field)を求める(注7)。各国のニーズに従い能力醸成,技術支援,革新的な方法での実施のための協力を行う。

 「腐敗防止」では,国連腐敗防止条約(UNCAC),資金洗浄に関する企業活動作業部会(FTAF)の基準,OECD外国公務員贈賄防止条約を効果的に実施する。国内および海外の賄賂,腐敗と戦い防止し資金洗浄と金融テロに対抗する枠組みの強化,政府調達における透明性と正確性,民間企業の反腐敗コンプライアンスプログラムの実施などを進める。税では,透明性と税務当局間の情報交換を促進し,技術支援,能力構築などによる税務行政と国内資源動員を支援する。「経済のデジタル化に伴う課税上の課題に対する税源浸食と利益移転(BEPS)包摂的枠組みの第2の柱」を支持する。

 「能力構築と技術革新」では,能力構築,革新的アプローチの開発を進め,技術支援,経験とベストプラクティスの共有,技術革新とその応用,民間セクターやステークホルダーとの協力を進める。「協力,包摂的共働と透明性」では,加盟国間の情報共有,市民社会・企業・NGO・経済団体・労働団体などステークホルダーの協力と共働を進める。

重要な日本の役割

 インドが貿易に参加しなかったが14か国が3つの柱に参加し,交渉の開始に合意したことが今回の閣僚会議の最大の意義である。とくに途上国メンバーであるASEAN7か国とフィジーが4分野に参加したことは評価すべきである。4つの柱の交渉分野は,極めて広範で,途上国メンバーを含め,実効性のある規定などをどのように作っていくかが交渉の課題である。

 米国はCPTPPへの復帰を否定しているが,IPEFでは労働,環境,デジタル貿易ルール,競争政策,規制慣行,貿易円滑化,腐敗防止などの分野はCPTPPにも含まれている分野である。デジタル貿易におけるCPTPP3原則など高いレベルのルールを作れるのかが注目される。SCでは経済安全保障およびロジスティクス関連のインフラの整備も盛り込まれており,協力体制の早急な構築が必要である。全体を通して「ILO宣言」に繰り返し言及しており,労働者および労働者の権利を重視するとともに包摂を強調しているのが特徴である。また,技術支援や能力構築など経済協力を行うことが重視されている。経済協力はASEAN各国がIPEFに期待している分野である。野心的な目標を目指す米国と経済発展レベルを考慮した現実的な合意と経済協力を求める途上国の間で日本の役割が重要となる。

[注]
  • (1)14か国は,日本,米国,韓国,豪州,ニュージーランド,インド,ASEAN7か国(ブルネイ,インドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポール,タイ,ベトナム),フィジーである。
  • (2)交渉事項の概略であり正確かつ詳細な内容については原文を参照願う。
  • (3)MINISTERIAL TEXT FOR TRADE PILLAR OF THE INDO-PACIFIC ECONOMIC FRAMEWORK FOR PROSPERITY,Pillar I –Trade.
  • (4)ILO宣言の権利は,①結社の自由と団体交渉権,②強制労働の撤廃,③児童労働の実効的な廃止,④雇用および職業に関する差別の撤廃,である。
  • (5)MINISTERIAL TEXT FOR TRADE PILLAR OF THE INDO-PACIFIC ECONOMIC FRAMEWORK FOR PROSPERITY,Pillar Ⅱ –Supply Chain.
  • (6)MINISTERIAL TEXT FOR TRADE PILLAR OF THE INDO-PACIFIC ECONOMIC FRAMEWORK FOR PROSPERITY,Pillar Ⅲ –Clean Economy.
  • (7)MINISTERIAL TEXT FOR TRADE PILLAR OF THE INDO-PACIFIC ECONOMIC FRAMEWORK FOR PROSPERITY,Pillar Ⅳ –Fair Economy.
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2683.html)

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