世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2603
世界経済評論IMPACT No.2603

ルイス・モデルの多様性

宮川典之

(岐阜聖徳学園大学 教授)

2022.07.25

 ルイス・モデルといえば,開発経済学の基礎理論のひとつである。最初に提示されたのは1954年であった。それは典型的な開発途上国が近代化を達成するための処方箋としての役割を担っていた。事実,このモデルは多くの途上国において適用された。首尾よくいくところいかないところそれぞれだったが,学術分野で圧倒的に引用されたことも手伝ってルイスは,1979年度にノーベル経済学賞の栄誉に輝いたのだった。

 ところでいまではもはや古臭くなってしまったかに見えるルイス・モデルを筆者があえてテーマに選んだのは,このモデルの含意がひとり開発論のみの領域にとどまらないからだ。つまり狭義の専門領域を越えてさまざまな分野で用いられるようになったことが,その背景にある。たしかに1950年代から1960年代にかけて開発経済学が華やかだったとき,このモデルはこの分野の中心的位置を占めていた。具体的にいうなら,途上国の二重経済構造としての特徴づけおよび余剰労働移動説として重宝がられた。イアン・リトルによれば,おそらく1970年代まで世界銀行において,ツー・ギャップ(貯蓄投資ギャップと外国為替ギャップ)・モデルとともに中核的位置を占めていた。ところが1980年代以降,新古典派が復権し,その新ヴァージョンである新自由主義が席巻するにつれて,ルイス・モデルはしだいに色あせていった。1990年にワシントン・コンセンサスが提示される局面では,完全に忘れ去られたように見えた。ところが前世紀末にアジア経済通貨危機が発生するに至り,今度は新自由主義が徐々に色あせてゆく。2007~08年に発生したアメリカの金融危機,それに引き続いて起こったEU後進地域の財政金融危機などが,そのような傾向に決定打を与えたかもしれない。

 21世紀にはその間隙を突いて中国が台頭する。この国は開放型工業化——海外から多国籍企業を経済特区に誘致して自国の豊富な労働力と結合する仕方で労働集約的工業製品を大量生産することを通して,海外へ輸出して「規模の経済」を実現しようとするもの——を成し遂げていった。その基本モデルとして用いられたのが,かのルイス・モデルだったのだ。中国内部の圧倒的人口を擁する農村部から近代的部門としての経済特区へ向かって労働力が大量に移動して,吸収されていった。そしてやがて「ルイスの転換点」が認識されるようになり,賃金は上昇し始める。さらに中国はそれを起点に,内陸部にルイス流の近代的部門を創設し,周辺の農村部から大量の労働力を引き寄せた。この一連のプロセスを経て中国は,高度の経済成長を実現し,いわゆる中流階層の形成に成功する。言い換えるなら,中国はルイス・モデルを首尾よく用いて近代化(工業化)を達成できたのである。

 歴史的にも,イギリスにおける世界で最初の産業革命の達成のプロセス,日本をはじめとして東アジア地域における近代化(工業化)のプロセスにおいても,ルイス・モデルが効果を上げたといえる。

 そして現在,アメリカをはじめとして先進国内部で経済格差問題が浮上するに及んでいる。じつはその背景にルイス・モデルが関わっているという見方がある。そもそもルイス・モデルは近代化のための道具立てだったのだが,ここに至っては賃金格差の土壌としての意味をもつ。というのはルイス・モデルにおいて想定される余剰労働の大量移動という性質,すなわち現在では大量の移民労働——アメリカのケースではメキシコ国境からのヒスパニック系移民の流入——や非正規雇用制度の導入などに起因して,先進国内に低賃金労働者のプールが形成されたことから,そこに新たに余剰労働が創出されたように見えるからだ。その結果,近代的部門たる都市部の金融・先端技術・電子部門が突出し高賃金が支払われるのに対して,余剰労働プールから得られる賃金は著しく低い水準にある。これこそ新たな先進国内の二重構造と化す。つまり現在の先進国において,パラドクシカルな意味において,ルイス・モデルが復権してきているのである。それは近代化のプロセスとしてではなく,国内格差を説明するための分析ツールとしてであることを申し添えておきたい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2603.html)

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