世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2495
世界経済評論IMPACT No.2495

虚構の帝国としてのロシア

末永 茂

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2022.04.11

 ロシア−ウクライナ戦争を,単に地政学的な対NATO軍事論の構図だけでは捉えられないだろう。本稿は「どちらの側が条約を遵守しなかったのか」という水掛け論ではなく,ロシア経済の構造的弱体化が,政治的軍事的暴走を加速したという問題意識で論じてみたい。

 ウクライナ戦争が膠着し長期化した場合,紛争は各地に飛散する可能性は避けられないし,例えそこまで状況が悪化しなくても世界の版図を大きく動かす要因になり得る。ロシアや中国のような伝統的・古代帝国的DNAを保持している国家は,農地(一次資源)と人民の支配を生産力の基本的単位としている。ロシア・ソビエトは長らく帝国的国家を維持してきた大国であるが,それが今日のジレンマの根源的な要因になっている。女帝エカチェリーナ2世の34年間,スターリン29年間のプロレタリア独裁に迫る,20年以上の長期皇帝支配が現在のロシアの実態である。ここでは帝国という領土優先の論理が温存され,隣国や境界を巡る紛争が絶えまなく継承されることになる。そして,これが第三次世界大戦をも誘発しかねない国際情勢にもなっている。

 世界帝国は高コストの政治経済システムという形で象徴的に現れる。ヒックスは『経済史の理論』第8章で労働市場を論じているが,師はある歴史時点から奴隷労働は所有者にとって長期的維持費が高くなり,そのことが自由労働へ転換せざるを得なくなったと分析している。同様に,ウォーラースティンは『近代世界システム』で,世界システムは15世紀末以降,世界帝国からヨーロッパ世界経済へ移行したと論じている。世界最大の版図である元帝国から国際分業体制への変質がそれにあたるが,これは人民の拘束や政治統治の高コスト化が原因だったとしている。市場経済は国境の制約を比較的容易に乗り越え,他国へ浸透・転移する経済システムである。この二つの論理からロシア経済を分析した場合,プーチンは実に時代錯誤の国家・経済運営をしているのではないかと考えざるを得ない。余りにも古典的な帝国的支配を国是としているからである。封建領主的な領土拡張主義を採る帝国ロシアは,国土が狭くとも大国になり得るという方法論を採用できない。

 従って,ロシアはウクライナ周辺への攻略を深めたからといって,経済システムが強化されることはないだろう。なぜなら,占領地の市民は自由労働者としてロシア政府の意のままにはならないからである。プーチンの国家統治観は旧ソ連型・軍事統制経済そのものであり,またロシア伝統の皇帝政治以外のイメージを描くことは出来ない。ソ連崩壊後,我が国はじめ西側諸国は市場経済化のために多額の経済協力や技術支援を行ってきたが,30年後のロシア世界は現代国家化することなく,帝国国家に先祖帰りしている。

 ソ連崩壊後のロシアはモノカルチャー経済に急速に退行してきた。1990年以降の製造業は旧態依然のままで,経済成長率の推移は石油価格の変動にほぼ連動している。総資本形成比率では20%代前半で中国やインドと比較しても遠く及ばない。そのことが益々,石油・ガス部門への依存を高め,経済構造の質的高度化が図れないものになっている。国有資本と財閥経営の優位を一層高め,本来活発に産業を誘導しなければならない民間企業の投資率は低調なままである。70年以上,中央指令経済にドップリと漬かってきたロシア・ソビエト経済のしっぺ返しが現実である。しかも,ソ連崩壊後直ちに西側に隣接するウクライナや周辺諸国は次々と独立し,ロシア産業の成長エンジンは外されてしまった。カスピ海から黒海周辺地域は旧ソ連経済の基幹産業部門の集積地である。ここにロシア経済崩壊というプーチンの苛立ちがある。

 このような経済構造を抱えたまま,ロシアの軍事費は対GDP比で4.3%(アメリカは3.7%)と世界最高レベルである。絶対額ではアメリカ,中国,インドに次いで4位であるが,如何にも国民経済の負担は大きい。産業構造が一次産業部門と軍事部門に特化した国民の不満は堆積している。そもそもソ連崩壊の原因が軍事優先と民生圧迫にあったのではないか。これを乗り越えられずに,周辺国の領地を占領したからといって,国民経済が抜本的に改善されるはずはない。まして低迷している経済産業構造下にあって,戦乱による破壊活動を大規模に展開するのであるから,正に終末国家としか表現できないだろう。

 ロシア経済は生き残り策として,地続きの中国・インドへの資源供給戦略を採る可能性は否定できない。中国は同じ国家的志向性を持つ14億人を抱える巨大国家であり,「共同富裕」なる戦略を打ち立てているのだから,資源エネルギーは自国に優先的に導きたい。一次産品供給経済としての国家戦略はロシアにとって安易な選択である。古い体質の経済構造を高度化するためには,企業現場からの革新以外にはありえないが,ロシア産業はそれが最も困難で遠い道のりである。計画経済という長い統制経済に馴染んできた国民は,自由経済にはストレスを感じる。古い帝国的観念に犯されてきた国家は,中国と北朝鮮が代表的であるが,さらにいずれも植民地経済と社会主義経済という軍事的政治経済を百年以上温存してきたのである。これらが大陸経済として一体化することは国際貿易と国際関係上,極めて危険であるといわなければならない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2495.html)

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