世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
経済安保強化に対する日本企業の覚悟を問う
(杏林大学 名誉教授)
2022.03.21
経済安保の強化は喫緊の課題
グローバル化と自由化を謳歌できる時代は終わった。経済安全保障の強化は日本にとって喫緊の課題となっている。日本が経済安保の強化をはかる背景には,先端技術分野における中国の台頭と米中対立の激化といった国際秩序の変化がある。中国が経済と軍事の両面で力を増し,日米欧が連携強化に迫られたからだ。
経済安全保障とは,国の安全を揺るがすような「経済的な脅威」から日本を守ることである。米中対立の激化とロシアのウクライナ侵攻によって,日本の基幹インフラに対するサイバー攻撃に対する懸念が一段と強くなっている。また,サプライチェーン(供給網)の遮断や各国の輸出入規制によって重要物資が入手困難となる事態も想定され,経済活動や国民生活に大きな打撃を受けるリスクが高まっている。
さらに,軍事と民間との垣根がなくなりつつあることに各国は危機感を強めている。人工知能(AI)や量子暗号などの先端技術は軍事転用できる。軍事転用可能な技術の流出を防ぐことが極めて重要となっている。しかし,法規制の未整備な日本が「抜け穴」になる懸念があったため,米国は日本に対処を求めていた。
経済安保推進法案が閣議決定
岸田政権は今年2月,経済安全保障推進法案を閣議決定した。今国会での法案成立をめざす。法案は①サプライチェーン(供給網)の強化,②基幹インフラの安全確保,③先端技術の官民協力,④特許の非公開,の4本柱で構成され,政府が企業や研究者などに対し,支援や規制を行う内容になっている。
米中の対立を受け,軍事転用可能な技術の流出防止や重要物資の確保のため,米欧の規制に倣って日本も法案を設けたが,課題は多い。
サプライチェーンの強化では,半導体,医薬品,レアアース,蓄電池など4分野を対象に,調達先や保管状況の開示を義務づける。また,基幹インフラの安全確保では,電気,ガス,石油,水道,鉄道,貨物自動車運送,外航貨物,航空,空港,電気通信,放送,郵便,金融,クレジットカードなど14業種を対象に,重要物資の調達前に国の審査を課す。サイバー攻撃によって深刻な影響を被る設備について,製造国や部品の詳細を報告させる。経済界がとくに警戒するのは,政府による過剰な介入と規制である。新たな規制に戸惑う企業も少なくない。
人工知能(AI)など先端技術では,日本も経済安保基金を通じた資金支援や官民協議会の設置で後押しするが,巨額の予算を充てる米欧には見劣りする。また,軍事転用の恐れがある技術の特許を非公開にする制度がないのは,G7のうち日本だけなので,今回の措置は評価できる。ただし,特許出願の中で公開の危険が高い案件だけを絞って審査対象としており,広範な審査の米欧に比べ厳格さに欠ける。
経済安保法案をめぐる争点
経済安保推進法案では,実効性を保つため違反した企業への罰則も設けている。しかし,特定重要物資のサプライチェーンの調査に応じない企業に対しての罰則が,経済界の反対により撤回されるなど,罰則の一部が削除されている。また,今後,政省令で定める対象範囲についても,特定重要物資の範囲,基幹インフラの審査の対象企業を限定するような要望が経済界から出されている。このため,経済安保を重視する自民党や政府関係者からは,「骨抜きにされる」と実効性を不安視する意見も出ている。
さらに,米欧には安保情報への接触を限定する「セキュリティ・クリアランス(適格性評価)」という制度があるが,個人情報調査を民間人にも実施するのは人権問題に関わるとの懸念から,今回は導入を見送った。しかし,同制度については,米欧と様々な情報を共有する機会を増やすために,今国会で法案が成立した後も再検討する必要があろう。
経済安保の強化のために新たな規制が導入されると,経済効率が損なわれる恐れがあるのも確かだ。したがって,経済効率と経済安保のトレードオフ(相反)で生じる軋轢を減らすための難しい対応が,政府には求められる。政府は,まずは取り組むべき必要最小限のものに抑えたとしており,今後,情勢の変化などによっては見直すなど,さらなる法改正を行っていく構えだ。
経済安保で問われる日本企業の覚悟
地政学的なリスクが高まる中,経済安保強化に向けた各国の動きに対応して,日本企業も経済安保に関するルールに抵触するかどうかの線引きを明確にするため,リスク管理強化に向けた組織の整備に動き始めている。
例えば,三菱電機では2020年10月,各国の経済安保政策が企業活動に影響を与えている状況を踏まえ,「経済安全保障統括室」を新設。その他,デンソーやパナソニックなども同様の組織を立ち上げ,政策動向や法制度を調査・分析し,各社における輸出,情報セキュリティ,投資,開発等に関して,経済安保の俯瞰的な視点から総合的なリスク管理を行いつつある。
企業のリスク管理強化が広がりつつある中,ロシアのウクライナ侵攻は日本企業にも重大な選択を突きつけた。軍事進攻などの地政学リスクにどう対応するか,企業の覚悟が問われている。
幅広い業種で世界各国の大企業が相次いでロシア事業の停止を表明する中,「ユニクロ」のブランドを展開するファーストリテイリングは今年3月,当初ロシア事業を継続する方針だったが,一転して停止に追い込まれた。背景にあるのは,各国政府や消費者,投資家などを巻き込んだ反ロシア機運の高まりだ。市場への進出や市場からの退出に関する企業の決定は,本来,経済合理性に基づくべきであるが,今や地政学リスクを無視できなくなっている。
重要なことは,想定されるリスクに備え,どのような事態になっても企業としてしたたかに生き残る道を考えておくことだ。日本企業にとってとくに警戒が必要なのは,中国による地政学リスクである。中国は台湾への侵攻を狙っている。台湾有事の際の影響はロシアの比ではない。不都合な真実に目をつぶった楽観主義は,もはや「百害あって一利なし」である。
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馬田啓一
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