世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2435
世界経済評論IMPACT No.2435

新しい資本主義のアジア

鈴木康二

(元立命館アジア太平洋大学 教授)

2022.02.28

 岸田首相は「新しい資本主義」と言う。株主資本主義から新しい利害関係者資本主義への転換を指していると見る。日本に以前あった利害関係者資本主義の会社資本主義は,コア従業員の長期的利益を最重要視した。米国流の株主価値最大化という短期的利益の最重要視に取って代わられた結果が,日本の「失われた三十年」だ。

 新しい利害関係者資本主義での,利害関係者は,自然環境,顧客,全従業員,取引先,株主,経営者層の順に,重視されるべきと筆者は思う。個人の意欲を刺激し能力伸長に寄す市場競争は是認され,それに相応しい労働者の経営参加・出資参加が考えられる。J.S.ミルは「経済学原理」第六章で経済成長が終えた後の定常型社会を構想した。経済成長の三要素,「人口増・資本増・技術革新」が止まった状態なので,岩波文庫は停止状態と訳し否定的なニュアンスが誤解を生んだ。国連気候変動条約への国家・企業両セクターの対応が消極的だとして,市民社会・個人両セクターが反発し,2003年生れの環境活動家グレタ・トゥンベリが支持された。国家・企業両セクターの動きが鈍いのは,資本主義と経済成長による利益と富の蓄積が否定されると見るからだ。CO2削減に総論賛成でも日本で炭素税導入・原発廃止がなされない理由だ。彼らが喜んで気候変動条約に関われるような,各論の戦略提示と説得的な総論の言葉の発見は,未だ不充分だ。

 開発経済学者・セルジュ・ラトゥーシュは「脱成長(デクロワサンス)」を2004年から言う。「節度ある豊かさや自立共生」を説くが,「経済成長社会から抜け出す」との否定的ニュアンスが嫌われている。社会保障が専門の京大教授の広井良典は,2001年「定常型社会」,2015年「ポスト資本主義」を出した。社会思想家マルクスを評価する経済学者で大阪市立大准教授の斉藤幸平は,2020年「人新世の「資本論」」のベストセラーを書いた。人新世(アンソロポセン,人類の時代)の下で,地球生態系や気候変動は,資本主義が生む負荷と矛盾で大影響を受けている。社会学者・大澤真幸は「新世紀のコミユニズム」を2021年に出した。コミュニズムは社会主義との誤解を避け副題は「資本主義の内からの脱出」だ。

 筆者が納得したのはケイト・ラワースの2017年作「ドーナツ経済」だ。経済の目標をGDPからドーナツに変えよと主張する。人類には環境的上限があり,他方で社会的な最低限の土台が必要だ。この二つの輪に囲まれたドーナツとして人類の経済はある。人類にとって安全で公正な範囲であるドーナツは,再生可能な自然を活かし,分配が適切な経済だ。合理的な経済人に替る社会的適応人,プラス成長率重視から適切な分配の設計に変える,成長依存から成長に拘らない社会に変える,経済学者は専門家と一般市民だ,自己完結した市場と見ないで組み込み型経済と見る,など提言は具体的で,ドーナツの上下境界線が既に破られている分野を国別にデータで示している。経済は政治・文化・法律という社会に組み込まれ,社会は生物と資源という地球に組み込まれ,地球は宇宙という自然に組み込まれている,との見方で市場経済を見るものだ。

 筆者は,アジアでビジネスをする日本企業・日系企業は,「ESGを最重要視する利他性と接続性を考えたポストモダン経営をせよ」と主張している。この考えに「ドーナツ経済」は適合している。アジア途上国は中国・インド・ASEAN諸国に見られる通り,一人当たりGDPが先進国並になるまで経済発展,経済成長を求める。ナショナリズムと,国には発展の権利があるとの第三世代の人権の考えで正当化する。1986年国連総会決議に「発展の権利宣言」がある。アジア途上国は国連気候変動条約も発展の権利との調和の下でしか実行しない。日独英・スウェーデン・デンマーク・フィンランド・アイスランド・イスラエルの8か国は「発展の権利」の国連決議に棄権し,米国は反対した。発展の権利はあっても,国を跨ぐ地球環境という上限の中で,国民が生きる社会的土台作りに日本企業・日系企業・日本のODAは寄与したいのだ,とアジアの全社会セクターにアピールしていける。企業の非財務情報開示に,国別分野別のドーナツ境界を越えたデータと共に示すのだ。組み込み型経済で利他性と接続性はより説得的になる。

 個人・組織の原理として語られるマズローの欲求段階説は,自己実現が最終的だとの理解は誤解だ。マズローは「完全なる経営」の中で,自己実現欲求の上に自己超越があると書く。下位欲求を満たして人は上位欲求に向かう。生理的欲求,安全欲求の物質的欲求が満たされて,社会的欲求,承認欲求,自己実現欲求の精神的欲求が生まれる。承認欲求までは欠乏欲求だが自己実現欲求からは成長欲求だ。途上国の考える発展の権利を自己実現から自己超越を目指す成長欲求だと捉え説得するのだ。儒教の仁の中国,仏教の慈悲のASEAN,キリスト教・イスラム教の愛,そしてソクラテスの徳,みな自己超越を目指したものだと説得すれば,宗教対立・民族紛争を宗教教義で正当化することが出来なくなる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2435.html)

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