世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
定常状態と脱成長は,忘れた頃にやって来る
(杏林大学総合政策学部 教授)
2021.10.11
現実の経済が不可避的に定常状態に行き着くという「陰鬱な」結論は,これまでの経済学において何度が主張されてきた。つまりそれは,経済成長の限界・終焉を予言するものである。おそらくそのもっとも初期のものは,19世紀前半のいわゆる古典派経済学の時代であろう。
そこでは,労働者は生存が許容されるギリギリの最低賃金に縛られ,加えて資本家の利潤率もゼロとなってしまうと主張された。このとき問題となった経済成長の制約要因とは,人口増加と食糧生産における収穫逓減である。有名なマルサスの人口法則のもとでの賃金鉄則により,生存賃金を上回る賃金のもとでは,栄養状態の改善などを通じて成人・幼児の死亡率が低下し,人口が増加する。しかし食糧の生産性は,肥沃な土地が次第に減少することから逓減し,人口増加に歩調を合わせて増加することはできない。やがて食糧は不足し,再び生存賃金のもとでの栄養状態の悪化等から人口増大は抑制されざるを得なくなる。
もちろん,現実の歴史的経過はそのようにはならなかった。ほぼ同時期に進行していた産業革命により,生産性は飛躍的に増大し,同時に農業における生産性も想像を超えて拡大した。何より,豊かになった国では,マルサスの予想したような人口の爆発は起こらず,むしろ少子化が生じたのである。
20世紀になって,第二次世界大戦後には,ヨーロッパや日本で顕著な経済成長が実現した。そしてそこで再び,定常経済が唱えられるようになる。1970年代,ブレトン・ウッズ体制の崩壊とともにそろそろ経済成長に陰りが見え始めた頃であり,また公害を始め,経済成長の負の側面が露出し始めた頃でもあった。
そんな時期にローマ・クラブがまとめたリポートは,日本でも『成長の限界』というタイトルで出版された。そこでは,とりわけエネルギー資源の枯渇が,成長の制約要因として強調されていた。
その分析手法やモデルについては,専門の経済学者から多くの批判が寄せられた一方で,折からの石油ショックとも重なり,その予測はにわかに現実味を増した。私が大学生のときに,この本を教科書に使っていた地学の先生が「レポートを提出するときのホチキス止めは,左側1箇所のみにすること」などと,節約を強調していたのを覚えている。しかし,その後の省エネ,代替エネルギーの開発等を通じて,ローマ・クラブの不安な予想もいつしか忘れ去られていったように思われる。
そして21世紀。今度の成長制約要因は,ついに地球温暖化やそれに伴う気候変動といった地球環境である。考えてみれば,人口も食糧も,化石燃料や鉱物資源も,科学はそれらを成長の制約要因として緩和,猶予することを可能にしてきたが,制約そのものを無くしたわけではない。今後も科学がそれらを解決し続けることに100%賭けることは,それこそ科学的ではあるまい。巷で話題のSDGsも,その実現性への政策的考察を欠くのであれば,単なる楽観論ですらない。
それでも歴史を振り返れば,悲観論の方が断然分が悪い。しかし,それを補うべくいつの時代にも,「脱成長」を道徳的観点から,社会生活のあるべき姿として説く人々がいた。同僚との出世競争や他企業との市場競争に明け暮れていないで,あくせく働いて,顕示的消費に精を出す生活から抜け出して,もっと知的で,精神的に豊かなものを求めようではないか。「唯足るを知る」ことこそが真の幸福であることは,ストア派もエピキュロス派も共通なのである。さあ,出世・成長ありきの思い込みから解き放たれよう……。そしてそれは決まって,成長の限界が論じられるのとシンクロナイズするように現れては論じられた。
「生産の増加が引き続き重要な目的となるのは,ひとり世界の後進国の場合のみである。最も進歩した国々では,経済的に必要とされるのはより良き分配であり,……」
「このような今日の社会状態よりもはるかにすぐれた社会状態は,ただに定常状態と完全に両立しうるというばかりでなく,また他のいかなる状態とよりも,まさにこの定常状態と最も自然的に相伴うようである。」
さて,これは誰の言葉かおわかりだろうか? 驚いてくれると嬉しいのだが,答えは,J・S・ミルである。1848年に出版された『経済学原理』(引用は末永茂喜訳岩波文庫版。ただし「停止状態」を「定常状態」に変えた)。太陽の下に新しいものはないことを知ると同時に,人が過去からあまり学んでいないことをも知らされないだろうか。
「忘れた頃にやって来る」とはそういうことだ。
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