世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
自衛権の法的統制と日本国憲法9条
(ITI 客員研究員・明治大学 名誉教授)
2021.08.16
戦争は,不戦条約(1928年)において,歴史上はじめて「戦争権」の否定により違法なものとされた。とはいえ同条約は,自衛権の行使をなんら制限するものではなく,その発動は発動国において独自に判断されるべきものであった。この点,国連憲章(1945年)においても個別的か集団的かの如何を問わず自衛権(the inherent right of self-defense)の発動は発動国の専権事項であって,自衛権を行使した場合に事後的にその旨が国連安全保障理事会に報告されなければならないという手続きを付加したに止まる(同憲章51条)。従って今日なお,自衛権行使の要件を定め,その発動を法的に統制することが,不戦条約における戦争の違法化の理念を空洞化させないために喫緊の課題であり続けている。
ところで,日本国憲法9条は,不戦条約(1928年)を国内法化したものであると考えられる。政府原案においては,日本が侵略された場合において自衛権の発動は日本国においてはおこないえず,国連軍がこれを行使するという定めであった。しかし,議会上程後のいわゆる「芦田修正」により固有の自衛権は日本がみずから行使しうるという条文に変更された。このような解釈は最高裁砂川事件判決(1959年)で確定した。同判決はまた,旧日本軍が解体され,朝鮮戦争に際して国内治安の維持を強化するために設置された「警察予備隊」しかないという,日本国が固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない当時の実情からアメリカ合衆国との間で集団的安全保障協定(日米安全保障条約,1951年1960年改訂)を締結することは憲法9条における固有の自衛権行使の範囲内のことであるとも判示した。日米安全保障条約(1951年)はその前文で,同条約の締結は日本国との平和条約(1951年)においても確認されている日本国の権利であることを明記するものであった(同条約5条c項)。
今日,憲法9条の条文解釈,特に自衛権の発動要件を考えようとするとき,同条が明治憲法改正の一部として成立したこと(1947年)の意義を確認しておくことは重要である。それは憲法9条の成立が,明治憲法における軍事に係る諸条文の解釈と運用についての深い反省に基づくものであったと考えられるからである。
明治憲法は天皇の軍事大権として統帥権の独立を規定していた(同憲法11条「天皇は陸海軍を統帥す」)。昭和前期(1926~45)において戦争は「国家総力戦」の時代となり,同規定における「国務(政府)と統帥(軍部)の関係」も変わった。すなわち,両者の「分離」から両者の「一体化」がめざされることとなった。結果として,実質的に統帥(軍部)が国務(政府)を主導する形での「軍部主導の政治」が行われることとなった。国家総動員法はその法的枠組みであった。
明治憲法において「統帥権の独立」が規定されたのは,ドイツの歴史的経験を憲法上の制度に組み込んだものである。すなわち「統帥権の独立」は,ドイツの独墺戦争,独仏戦争に際して,国務(首相ビスマルク)が統帥(参謀総長大モルトケ)を信頼し,統帥部の戦争指導に全幅の信頼をおくことができたという稀有な歴史的状況のもので成立した軍事思想であり,その制度化であった。しかし,ドイツにおいては第一次大戦時においては両者のこのような良好な関係はもはや成立するものではなかった。日本における「統帥権の独立」も,それが統帥(軍部)が国務を主導する形での「軍部主導の政治」に行きついたことから言えば,国務と統帥がそれぞれに人を得なければ統帥権の独立がうまく機能するものではなかったことを示すものであったといえよう。
「こうした明治憲法下での憲法運用の経験を踏まえて今日日本国憲法9条の解釈を考えようとするとき,以下がその要点となるであろう。第一に,憲法9条のもとでも固有の自衛権は当然認められる。第二に,「統帥権の独立」といったことは明文上もなく,逆に自衛権行使における「文民統制」が定められている(日本国憲法66条2項)。この「文民統制」の実態は,映画であるが,第二次大戦時首相チャーチルが北アフリカにおける英軍の作戦行動を参謀の助けを借りながらその最終的決定を行うといった場面が描かれており,これが正当な国務(政府)と統帥(軍部)の関係の在り方における文民統制の在り方であると考えられる(ここでは軍部は政府の一部局であり,首相の指揮に服する。映画「チャーチル(Darkest Hour, Winston Churchill)」2019年,参照。キューバ危機における米国ケネディー大統領の作戦指揮を描く米映画「13(サーティン)デイズ(Thirteen Days)」もある)。第三に,日本国憲法9条のもとで自衛権は内閣総理大臣の命令(文民統制)のもとで行使される(自衛隊法76条)。この場合,その時々の内閣総理大臣において,以下のような様々な事態に即して,チャーチルのような決断力をもって的確な作戦指揮をいかに取りうるかということが一番の問題となる。(1)「グレーゾーン事態」これは平時でもないが有事でもない事態で,武装集団が我国の領土である離島を占拠するような場合である。(2)「重要影響事態」これは放置すれば日本への武力行使が想定される事態である。朝鮮半島有事や台湾海峡有事のような場合である。内閣総理大臣は武器弾薬の提供などの支援活動を命じることができる。(3)「存立危機事態」これは「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」であり,内閣総理大臣が防衛出動を命じる。米国へ弾道ミサイルが発射されるような事態で,ミサイル迎撃が命じられる。これは集団自衛権による武力行使である。(4)「武力攻撃事態」これは,「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態」であり,内閣総理大臣が防衛出動を命じる。
以上の各事態のうち今日もっとも問題となるのは(1)の「グレーゾーン事態」への対処である。海上保安庁にかわり海上自衛隊が出動する「海上警備行動」を内閣総理大臣が迅速に発令することが課題となる。具体的には,漁民を装った武装集団(民兵)が離島に不法上陸,占拠するような場合で,外国軍艦が日本領海侵入を狙っているような場合において,国内治安維持を担う海上保安庁や警察がまず対処するが,それでは有効に対処しえないこととなった場合に海上自衛隊の警備行動が発令される。この局面では警察と自衛隊が有効に協働してこれら民兵を排除しなければならない。日本の警察と自衛隊でこの「不法上陸,占拠」を排除しえない場合,アメリカ海兵隊の出動となる。これらの事態の進展に即した警察権と自衛権を統合した切れ目のない我国防衛の仕組みの構築が必要となる。
こうして,以上に述べたように,我が国においては自衛権の発動は抑止され,防衛出動は国会の承認事項であることからも厳格な法的統制のもとにあるといえると思う。国際社会が自衛権の発動について不戦条約から一歩も踏み出せていない状況の下で,日本が「日本モデル」とでも言いうるような厳格な自衛権の発動要件を定めるにいたっていることは,戦争の違法化の実質化に大きく寄与するものであるといえるであろう。
関連記事
高橋岩和
-
[No.3600 2024.10.28 ]
-
[No.3385 2024.04.22 ]
-
[No.2654 2022.08.29 ]
最新のコラム
-
New! [No.3627 2024.11.18 ]
-
New! [No.3626 2024.11.18 ]
-
New! [No.3625 2024.11.18 ]
-
New! [No.3624 2024.11.18 ]
-
New! [No.3623 2024.11.18 ]