世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2228
世界経済評論IMPACT No.2228

mRNAワクチンの開発物語:ノーベル生理学・医学賞の本命候補カタリンとワイスマン

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2021.07.19

mRNAの研究に苦節40年

 1955年1月,カリコー・カタリン(Karikó Katalin)はハンガリーで生まれた。父親は精肉業を営み,母親は事務員である。幼い時期に,父親の豚や牛の解体時の心臓などの観察が好きであり,大きくなると科学者になることを夢みた。

 1973年に国立ヨージェフ・アティッラ大学(現在のセゲド大学)に入学した。1976年,学部生のカタリンはある学術報告で,合成されたRNAは細胞を指導し,「妨害する物資」の蛋白質を生産することができると聞いた。人工によるRNAを合成できれば,癌や病毒性疾病を治療することができる。カタリンの指導教授と彼女は興奮し論議した。カタリンはこの学術報告と指導教授の指導を受けて啓発され,それ以降40年間mRNAの研究を続けることになった。

 生物界のDNA(デオキシリボ核酸)とRNA(リボ核酸)の分子によって核酸が構成される。核酸は細胞内の大型生物分子であり,主に生物の基因(遺伝子情報)の伝達を担当している。DNAは細胞から離れることができないため,遺伝子情報はRNAの中のメッセンジャーRNA(mRNA)を通じて,細胞核から持ち出されて細胞質の核酸・タンパク質複合体に送られる。mRNAの重要な役割がないと,DNAは単なる無用の物質にすぎず,それ故,mRNAは「生命のソフト」(設計図)と呼ばれている。

 1978~82年,カタリンはハンガリー科学アカデミー付属セゲド生物学センターでドマス・イェネー教授の下で研究し,1983年に博士号を取得した。カタリンがmRNAの研究に没頭している時期,科学界ではDNAの遺伝子治療がホット・イシューになった。すなわち,細胞のDNA修正を通じて行う病気の治療である。この治療法は後に,DNAを修正すると遺伝子の突然変異を発生して死に至る可能性が認識されるようになった。

 1985年,セゲド生物学センターの研究費が手当できなくなり,カタリンが30歳の誕生日を迎えるその日に解雇通知を受け取った。欧米各地の教授に求職の手紙を書いた結果,アメリカのテンプル大学からポストドクター研究員として招聘された。同年,カタリンは技師の主人と2歳の娘を連れてアメリカ行きの航空機に搭乗した。娘が抱いた熊の縫いぐるみの腹の中に一家の全財産900ポンドを隠した。自動車などを売り,闇市場で英ポンドに両替して用意した渡航後の予備資金である。当時のハンガリー共産党政権は100ドル超の国外持ち出しを認めていなかった。

 テンプル大学の研究期間,カタリンの研究はdsRNA(二本鎖RNA)でエイズ,血液病や慢性疲労症候群の治療に向けられたが,これらは独創的な研究と見られていた。1989年,カタリンはペンシルベニア大学医学部の研究助教のポストを得た。研究パートナーにはバイオ企業に移籍した人や他大学に移籍した人もいた。ペンシルベニア大学では研究室が頻繁に変えられた。理由は研究費の申請が却下されると給料にも事欠いたために,他の研究室に移らざるを得なかったためである。英語もそれほど流暢でない一人の移民として,長年に渡り固定した定職が得られず,カタリンの研究は学術界においてはアウトサイダー的な領域と見なされていた。研究論文もそれほど多くなく,アカデミックジャーナルに投稿しても常に不採用になった。この間,彼女は癌に冒された。

カタリンとワイスマンの共同研究

 その後ドリュー・ワイスマン(Drew Weissman)教授と共同研究を進め,7年かけてmRNAが果たす作用のプロセスを解明した。彼らはこれらの発見の重要性と可能性の広がりを確信した。2人は研究費を申請したが,研究費支給機構から大した関心を寄せられず,研究費申請の大部分は不採択となった。研究費支給機構の審査員によると,mRNAによる治療法の将来性がなく,研究は無駄だというコメントが付された。

 2人は製薬会社や投資機構に特許の売り込みを駆けたが,相手にされなかったため,自らRNARx社の設立を試み,アメリカ政府から100万ドルの資金援助を得た。しかしながら,ペンシルベニア大学の知的所有権に対する制限(研究者の特許は大学機構の所有)に引っ掛かり,同社は大きな成果を上げることがなかった。2012年,ペンシルベニア大学はこの技術の特許申請をしたが,大学側はこの特許を協力企業に移管し,モデルナ社とBioNTech社に売却した。

後記:後編の部分は次週(26日)アップの「COVID-19の蔓延とワクチンの開発:モデルナ社とBioNTech」に続く。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2228.html)

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