世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
TSMC熊本工場の進出による変化
(九州産業大学 名誉教授)
2025.02.10
2024年12月に本格稼働し,今年1月に量産体制に入ったTSMC熊本工場(Japan Advanced Semiconductor Manufacturing:JASM)は,スムーズな立ち上がりを見せている。人口僅か4.3万人の菊陽町の,キャベツと人参栽培の農地が半導体製造工場用地に変わり,近隣の町は大きく様変わりした。JASM近くの無人駅JR原水駅では,毎日電車から下車する従業員の長い列が見られる。駅前には専用のバスが着き,従業員を工場へ誘う。ここは喧騒に包まれた東京近郊ではなく,耳を澄ませば通勤する人々の話す台湾語も聞こえる。
現地の法定最低賃金は898円であるが,JASMの清掃スタッフ(クリーンルーム内掃)の時給は1500円(勤務時間:8:00~17:00),1650円(16:00~24:00)と深夜の1800円(24:00~8:00)であり,最低賃金の約2倍という破格の待遇である。また初任給(月給)は,大卒で28万円,修士で32万円,博士で36万円であり,賞与は2回,それぞれ基本給の約2カ月が支給される。具体的な例として,求人サイトRegional careerが掲載した「募集職種技術系(設備機器エンジニア,ESHエンジニア(注1),インテリジェンス・マニュファクチャリング,エンジニアなど)」の採用人数は101~200名で,経験者の場合,大学卒から大学院卒の月額基本給は34万円~45万円である。熊本の地場企業の大卒初任給の平均である20万円よりも優遇された給料体系で,初年度の年収は600~1200万円に達すると見ている。極めて良い条件の給与のため,他社からJASMに転職するケースも見られる。
就労人口が増え,住宅のニーズ,交通渋滞への対策の必要性も高まった。2023年9月19日には土地取引の目安となる「基準地価」が発表された。同年7月1日時点の前年同月比で熊本大津町の商業地の上昇率は,全国トップの32.4%増であった。これも「JASMによる経済効果」であろう。
夕方の居酒屋に場面を変えると,そこかしこで「乾杯!」の声が聞こえる。TSMCが2022年に熊本に進出し,工場建設を始めると,直ちに現地の経済は潤うようになった。「町の雰囲気が大きく変わり,活気もある」,「TSMCのお陰です」,「TSMC様々」などの声が至る所で聞かれるようになった。
近くのスーパー「ゆめタウン」に特設された「台湾食材コーナー」は耳目を惹いた。スーパーの店員は,「台湾で馴染の“八寶粥”,“パイナップルケーキ”,ナッツ類の売上が非常に良い」,「顧客の多くは大量に購入してくれる」と言う。
農地が工場用地に変わり,町の景観も大きく変化した。新設された「エアポートホテル熊本」の台湾出身のスタッフ蔡孟君は,「このホテルは多くの台湾人ビジネスマンの往来をサポートしています」と語った。
TSMCが熊本に進出後は人の流れのみならず,資金の移動も活発になった。TBS Newsのニュースキャスターは,「家族に会いに熊本に来るたびに,熊本の変化に驚かされている」,「母から聞いた話であるが,TSMCの名前を聞かない日はないという」とTSMC効果の大きさに驚きを隠さない。
地場シンクタンクの九州経済調査協会は,TSMCの熊本進出で今後10年間に少なくとも約20兆円の経済効果が得られると試算する。日台共同で「シリコンによる富創造の夢」を追求する。
今年の1月に熊本第1工場で量産化が始まり,同時に周辺の不動産価格も上昇し始めた。坪2万円から20万円に10倍も値上った例もある。現地の不動産事業者は,TSMCの技師たちのためにオーダーメイドシステムを採用した。台湾人の中には一気に6軒の家屋を購入する者もいるという。
地場不動産業者は,TSMCの幹部が購入する一戸建て家屋への入居に際しては,テープカットや業者の職員の拍手で入居を祝うなど独自のセレモニーも導入し歓迎しているという。
菊陽町の一戸建て住宅を購入した陳さんは,「熊本で不動産に投資したのは,TSMCがこの地に工場を設置したからで,親戚と友人に呼びかけたところ計6世帯分の家屋を購入することになった。TSMCにより多くのビジネスチャンスがこの地に生まれている。この家屋は,将来は民宿やTSMCの技師にレンタルすることも想定している」と述べた。この住宅からJASMの工場までは車で約15分の距離で,周辺にはTSMCの幹部の多くが住んでいる。不動産業者は「これらの住宅は1階に日本風の畳の和室を設え,2階には計4室,それに物置部屋もあり,屋根にはソーラーパネルが設置されて太陽光で発電された余剰電力を電力会社に販売することも可能である」と言う。2階建てのこの家屋の価格は5000万円~6500万円で販売される。
住宅地のゴミ管理についてもTSMCの台湾人エンジニアを念頭に,燃焼ゴミは「赤の袋」,不燃ゴミは「黄の袋」,資源回収ゴミは「緑の袋」の解説が中国語で書かれている。
TSMCの海外不動産総監の鄭筠心は「この界隈にはSony,富士フィルム,東京エレクトロニクスが立地しており,これらの企業のエンジニアが近隣の住宅に居を構えている。エンジニアの約8割が日本人で残り2割が外国人,その約半数が台湾人エンジニアだ」と言う。また,「彼らの多くも若年層で,若者が嗜好する雰囲気を住宅にも求める」としている。
既述の通りTSMCの熊本進出後,熊本の土地価格は高騰し,地価の上昇率は全日本最高を記録した。しかし,地価の高騰は飲食店や商店などの小規模事業者にとっては利益を圧迫する要因にほかならず,更に昨今の人件費の上昇に手伝い,倒産やより遠隔地への移転を余儀なくされる「負の影響」も顕在化しているという。
[注]
- (1)ESHエンジニアとは,環境(Environment),安全(Safety),健康(Health)を考慮した事業活動に関わるエンジニアを指す。
[参考文献]
- 朝元照雄「なぜTSMCは熊本に進出するのか:熊本工場が現地にもたらした役割」世界経済評論Impact No.3133,2023年10月2日。
- 朝元照雄「TSMCの足もとで:九州にどんな効果をもたらしたのか」世界経済評論Impact No.3494,2024年7月22日。
- 朝元照雄「TSMC熊本工場開所式の意義:日本における半導体ルネサンスの始まりか」世界経済評論Impact No.3340,2024年3月18日。
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