世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
米ソ冷戦時代との本質的相違:産業基盤を構築した中国
(エコノミスト )
2021.04.05
「正史」は如何に書かれるべきなのだろうか。我田引水を排し,客観的に書かれるべきであるが,それを行うのは殆ど不可能な作業ともいえる。枝葉抹消と基幹を明確にし,記述しなければならないが,歴史の個々人はそのようなものではない。個は類型として同質であることを望んでおり,これは実存主義の存立条件でもある。司馬遷の歴史記述法は先駆的であり,現代の歴史編纂の原型になったが,そろそろ新たな手法で刷新しなければならない時代に入った。歴史書とは未来を創り出す共同事業ではないかと思う。
しかしながら,人々は自己の存在を優先したがるため,それは生命体の本質なのかもしれないが,あえて敵を造り出し自らの存在証明を引き出す。従って,いつの時代も対立構図は消滅しない。第二次大戦終了後直ちに,同盟を組んでいた米ソは対立へと転換した。その様子を描いたものに,『灰とダイヤモンド』という白黒映画(1958年)があるが,実に退屈な作品である。だが原作の評価は高い。第二次大戦直後のポーランドを舞台にした長編小説である。そこにはソ連側に付くのか,あるいは西側に付くのかが迫られ,苦闘する青年の姿が描き出されているから,地政学的に深刻なテーマを描いている。また,映画『怒りのぶどう』(1940年)は共産主義的であるとの理由で,アメリカでは長いこと上映禁止にされていた。『ローマの休日』(1953年)は我が国では高く評価されており,何度もテレビで放映されている。しかし制作したアメリカではそれほど人気のある映画ではない。いずれも冷戦による「反ソ=反共」的アメリカの政治風土が影響している。対立による自己証明は克服できないのだろうか。自己主張を双方がいくら展開しても,真理は一つというのが科学的立場であるが,現実の歴史展開はなかなかそうはいかない。
1990年代から冷戦対立が消滅し,地球全体の協力体制が構築できるのではないかとの期待も生じた。本格的に地球規模で人類の活動が展開されるようになったのは大航海時代からであるが,「グローバル化」論は概して1990年以降の定義である。89年ベルリンの壁崩壊によって米ソ冷戦時代は崩壊し,それがEU統合を加速した。しかし,米ソ軍事均衡の変動によって派生したものは,その直後のイラクのクウェート侵攻であった。さらに,南北朝鮮の統一もあるのではないか,との憶測も国際政治研究分野で議論があったが,事態は今日の状況を見れば明らかである。民族同士が激しく戦闘を繰り返してきた朝鮮は,東西ドイツよりもはるかに統一は困難である。そして,ソ連国家の解体が齎したものは,ロシア周辺国の相次ぐ離脱とプーチン政権という強権政治の長期化である。そうせずにはロシアそのものの維持も難しくなっている。ロシアの歴史的宿命のようなものさえ感じる。
そもそもソ連崩壊の直接的契機になった事件は,「レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所」の爆発事故にあった。技術開発ツールと組織運用にその源泉を見出すことができる。これは1986年4月に起きた旧ソ連(現ウクライナ)の事故で,操業休止中だった4号炉の「外部電源喪失を想定した非常用発電系統の実験中」に制御不能に陥り,「炉心融解」を引き起こし爆発したものである。旧ソ連の技術体系の基本はローテクにある。その最高傑作はカラシニコフ自動小銃であり,ローテクは手軽で実用性のある部門では本領を発揮する。しかし,旧ソ連は現代技術のDXやセンサーを駆使した高度解析コントロール技術部門を,創り出すことが出来なかった。技術開発には企業組織形態が影響してくる。その根源には19世紀末の科学技術体系への教条主義が存在している。マルクス主義はリービッヒやウィルヒョウらへの古典主義に過ぎる高い評価を与え,権威主義を崇拝していた。従って,新しい産業時代を開拓できなかったのである。しかも,この旧式の産業構造と生産第一主義を重視するから,ますます旧ソ連は中央指令経済システムから自由ではなくなる。結果として国家は解体した。
これに対して中国の躍進は対照的である。ソ連と中国社会主義の相違は,市場経済の導入と産業基盤に由来している。ソ連は70年以上もの長期間に及ぶ計画経済という,融通性の全くない経済システムを温存してきた。他方,中国は一世代でそれを放棄し,柔軟に市場経済を取り入れた。中国人民は元来,商売に長けた民族である。肌感覚として,市場経済を復活することができる素地が充分あった。中国は政治的制約を逆手に取ることに成功したといえる。社会主義体制の部門は経済から放逐し,政治体制と軍事部門に集約しつつあるといえる。もちろん,国営企業という残存部門は今なお大きなシェアを抱えているが,何れ民営化が迫られる時期が来ると考えられる。この大きな社会流動化を控えているから,中国政府は政治制度としての社会主義綱領を外せない。それ故,綱領論争が鍵になるのである。これを回避しては中国の進路を変えることも出来ない。それが中国国家であり,外交は相手の用語法をもって行うのが礼節というものである。
香港の中国化は時間の問題である。香港が中国共産党の完全な統治下に入ると,「金融部門や海外企業の撤退が相次ぎ香港経済,引いては中国本土の経済にとってマイナスだ」との説もある。だが,既にそのような事態になったとしても,本土経済は影響を受けないまでに成熟していると見るべきである。この延長線上に台湾問題がある。おそらく,本土による台湾統治には武力行使など必要なく,中台共同投資や企業合同など,資本の論理をもって整合的に統合するだろう。このプロセスは大変な政治社会面で創造的破壊を伴うはずであり,経済学者の分析力が試される問題ともいえる。軍事動向に余りに目を奪われていると,深層の構造を見失う。新興国が本格的に経済力をつけるということは,短期中期の経済動向からは読めない政治状況を生み出す。中国の長期的政策課題は石油・石炭資源依存体質からの脱却にある。そのため中国の経済主体はブルーカーボン・プロジェクトの研究や,タクラマカン砂漠・ゴビ砂漠の緑化開発を推し進めなければならない。資源制約の観点からも,新たな国内国際的産業配置に着手する時期である。旧来の開発政策に固執する謂れはない。
アジアの戦後史を概観すれば一目瞭然であるが,国境や国名が変わるのは決して珍しくない。独裁と衆愚政治の間に民主主義が成立しているが,国境は常に動いており,留まるところがないと認識しておくべきである。そして,どちらかの勢力に加担しなければ生きて行けないとか,左右のイデオロギー対立で消耗しているという現実は不幸なことである。グローバル化の時代にあって,それは経済的合理性にも反しており,世界は崇高であり,もっと寛大であるはずだ。
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末永 茂
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