世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
中国のTPP参加の本気度
(杏林大学 名誉教授)
2021.03.01
習近平のTPP参加発言の狙いは何か
中国の習近平国家主席が昨年11月,アジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議で環太平洋経済連携協定(TPP)への参加に前向きな姿勢を表明した。その狙いは一体何であろうか。東アジアの地域包括的経済連携(RCEP)協定が署名された直後のタイミングを狙って,中国が自由貿易の推進者であるかのごとく見せる戦略的ポーズにすぎないとの見方も少なくないが,中国は案外本気かもしれない。そう思わせるような根拠が少なくとも3つ考えられる。
第1に,TPPを通じてアジア太平洋地域の対中依存度を高めるのが狙いかもしれない。習主席は昨年4月の中央財経委員会で,磁場のようにグローバルなサプライチェーン(供給網)が中国に依存する状態を目指すと明言した。裏読みすれば,米国その他からの経済制裁を想定して中国の威嚇・抑止・反撃能力を強化するため,アジア太平洋地域におけるサプライチェーンの一角に中国を組み込ませようとしているのではないか。
因みに,報復条項を盛り込んだ中国の「輸出管理法」が昨年12月から施行され,これにより外国企業が米中の板挟みになる可能性が高まっている。もし中国の反発を買えば,中国から次々と嫌がらせを受けている豪州の「二の舞」となりかねない。米国の対中制裁に闇雲に従うと,そうした中国の「エコノミック・ステイトクラフト(経済的圧力)」に直面する恐れがある。
第2に,TPPによる対中包囲網を阻止するのが狙いかもしれない。質の高い包括的な21世紀型FTAを目指したTPPは,対中戦略の一環として位置づけられた。TPPの拡大により孤立を恐れた中国をTPP参加に追い込み,国家資本主義の放棄など構造改革を中国に迫るというのが日米共有のシナリオだった。
トランプ前政権のTPP離脱で頓挫しかけたが,日本の主導で米抜きTPPが発効した。米国不在の間にTPPを中国の色に染めるつもりなのか。
第3に,APECが目指す環太平洋自由貿易圏(FTAAP)の実現に向けて主導権を握るのが狙いかもしれない。対中包囲網を警戒した中国は,TPPの対抗手段としてASEANを議長に担いでRCEPの早期実現を目指した。RCEPならハードルが低く国家資本主義の温存も可能だと考えたからである。
米国がTPP,中国がRCEPを通じてFTAAPの主導権を争った米中角逐の構図は,トランプ前大統領によって崩れた。しかし,APEC内には「TPPの延長線上にFTAAPがある」といった議論が燻っており,米国のオウンゴールも中国の糠喜びに終わり,依然として大きな火種が残っている。このため,RCEP交渉の妥結を果たした中国がTPP参加への関心を示し,米国に揺さぶりをかけようとしている。
中国のTPP参加に日本はどう対応すべきか
仮に中国が本気でも,実際のところTPPへの参加は難しい。RCEPと違い,中国にとって国有企業規律や知的財産権の保護などTPPのハードルは高い。日本は今年,TPPの議長国である。日本はTPPの戦略的意義を踏まえ,中国から様々な誘惑や脅しの圧力を受けても,決してブレてはいけない。例外措置を講じてまで中国のTPP参加を認めるべきではない。参加表明をしている他国への影響も懸念される。むしろ,中国よりも米国のTPP復帰の方が先決であろう。
ただし,米国の国内事情から,バイデン大統領は今すぐTPP復帰に動くことはない。支持基盤の労働者層に雇用流出への警戒感が根強いからだ。民主党が昨年8月に採択した政策綱領には,「米国の競争力に投資をするまで新たな貿易協定の交渉はしない」と明記されている。2年後の米中間選挙を控えて,世論の風当たりが強いTPPを含む新たなFTA交渉には慎重になっている。
こうした情勢を背景に,バイデン政権は新型コロナウイルス対策と雇用対策など内政を優先し,通商政策は後回しにする姿勢を見せている。したがって,英国やタイ,インドネシアなどの加盟拡大によってTPPの存在感を強め,参加しないと不利になると米国を焦らせる一方,日本は日米貿易協議の枠組みを活用し,長期戦も覚悟でバイデン政権に対してTPP復帰を粘り強く説得していくべきである。
今年2月,英国がTPPへの参加を正式に申請した。英国との交渉で悪しき前例ができれば,TPP参加条件の緩和を狙う中国の思う壺となる。むしろ,現行基準の受け入れという一線を譲ることなく,英国のTPP参加を実現すれば,TPPの価値を高めるだけでなく,中国に対して不都合な現実を突きつけることができる。英国は,香港国家安全維持法の制定や新彊ウイグル自治区の人権問題などを問題視し,中国に対して強硬姿勢に変わっているからだ。TPP参加国の承認を取り付けねばならない中国にとって嫌な存在となろう。
結局,習近平のTPP参加発言の背景には,先鋭化する米中対立が存在する。どうすれば米中関係の悪化に歯止めをかけることができるのか。対岸の火事では済まされない日本にとっても悩ましい問題だ。容易なことではないが,ルールにもとづく多国間の枠組みに米中両国を取り込むことがやはり必要であろう。機能不全に陥っている世界貿易機関(WTO)に代わって,保護主義と反グローバル化に対する防波堤として,TPPへの期待は大きい。新たな通商秩序を主導する日本の覚悟が試されている。
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