世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
マイナス金利は毒薬
(東洋大学経済学部 教授)
2020.09.28
なぜ,マイナス金利なのか
20世紀には「金利の非負制約」は常識であり,名目金利がマイナスになることはあり得ないとされてきた。しかし,21世紀には日本をはじめ,ヨーロッパなど広くマイナス金利が観察されるようになり,政策金利の一部をマイナス圏まで引き下げる中央銀行も出てきている。マイナス金利政策は金融緩和の行き着く先であり,金利の引き下げが経済に好影響を与えるという経済理論を背景にしている。
GDP=消費+投資+政府支出+輸出-輸入の式のうち,投資がGDPの変動に大きな影響を与える。マクロ経済学では,投資プロジェクトからの収益率が金利よりも高ければ投資が実行されことから,金利が下がれば下がるほど投資が増える。金利がマイナス圏まで落ちれば,収益面での評価が低いプロジェクトへの投資も可能になる。
マクロ経済学は現実を見ていない
経済学に詳しい人なら,ここまでの話に何の疑問もないだろう。金利が下がれば下がるほど投資が増えてGDPも増えるというのは大学の1年生で習うことだ。しかし,この話には明らかな誤りがある。例えば,金利がマイナス2%の状況で,収益率マイナス1%の投資が実行されるだろうか。ROE(自己資本利益率)やROIC(投下資本利益率)の向上を求められているなかで,企業経営者は投資効率が低くなる選択を行わない。一方で,短期的な収益は見込めなくても長期的に重要なプロジェクトには積極的に投資する。この場合,金利は考慮されるものの,社会的意義や将来の見通しの方が重視される。
この面では,マクロ経済学の想定はまさに机上の空論といえる。ある程度のプラスの金利水準の下では確かに投資と金利の関係がみられるだろう。しかし,20世紀と21世紀では金融を取り巻く環境や金融政策が大きく変わっている。そのような変化に応じて経済理論も修正されるべきだろう。
マイナス金利が下支えするもの
金利と投資の関係には正しい面もある。投資は設備投資+住宅投資+在庫投資からなるが,このうち住宅投資は金利低下に素直に反応する。また,株式をはじめとする金融商品の価格も経済理論が示唆するように上昇する。見た目にはGDPの増加要因ではあるが,富の再分配を促すことにも注意が必要だ。金利低下の恩恵は金融商品や不動産への投資ができる人に限られる。日本では個人の株式投資は限定的で,株高の恩恵はごく一部の人にしか及ばない。近年は外国人投資家による不動産投資が活発であり,マイナス金利政策の恩恵は外国に流れ出てしまっている。さらに,私たちは株価や不動産価格の必要以上の上昇が深刻な経済危機をもたらすことを1990年代に経験している。筆者には,歴史を学んだうえでマイナス金利政策が正当化できるとはとても思えない。
ところで,マイナス金利は為替レートの減価(日本では円安)にはあまり役立っていない。為替レートは非常に多くの要因が関係し,それらの要因は絶対的な水準というよりも相対的な関係で為替レートに影響を及ぼしている。また,刻々と新しいニュースが入ってくる外国為替市場では経済政策のニュースはすぐに陳腐化し,政策効果が長続きしない。
マイナス金利が経済にもたらす悪影響
マイナス金利政策は様々な経路で経済に悪影響を及ぼす。家計に対しては,金利の引き下げは低金利税ともいうべき効果をもたらす。個々人の状況は様々だがマクロ経済全体でみると,家計が資金余剰主体,政府が資金不足主体になっている。金利の低下は,政府が負担する利息の減少,家計が受け取るはずの利息の減少をもたらし,結果的に家計が政府に支払いをしていることになる。金利が低下することで住宅ローンが組みやすくなるという効果はある。しかし,過度な金利低下は家計の借金体質を加速させる。事実,先進国では家計債務の増加は問題となっており,経済をより脆弱にしている。
調達金利がほぼゼロであれば,企業は従来通りの経営で十分にやっていける。リスクを負って新規事業や新技術に投資する必要はない。一定程度の金利水準は経営者にほどよいプレッシャーを与え,経済の活性化を促し,新陳代謝を進める。アニマルスピリッツの欠如は生産性の向上を抑制し,社会の停滞を招く。デジタル化で日本が世界に遅れているのは,新しいことをしなくても生きていけるから,ではないだろうか。
マイナス金利は政府の財政規律を失わせる。政府は企業よりも生産性が低く,資金効率も悪い。経済成長のためには,限られた資金を民間と政府でどのように分け合うべきなのか,火を見るよりも明らかだ。
マイナス金利政策は経済を脆弱にし,活力を奪い,富の再配分を通じて「民を飢えさせる政策」であり,マイナス金利は経済を不健康にさせる毒薬だといえる。金融政策は誰のためのものなのか,初心に帰って再確認すれば,直ちに廃止すべきなのは明らかだ。また,経済学の専門家は広い視野を持って経済モデルが現実の経済を映しているのか,常に問い続けるべきだろう。誤りが明らかになれば修正すればよいのだから。
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